第2話 いつもと少し違う朝

 ぼふん。

 ばたばた。

 私のベッドに飛び込む音と足をばたばたさせる音が部屋に響く。

 ちくたく。ちくたく。

 時計の秒針の音だけが響く。

 ばたばた。

 そしたらまた足をばたばたさせる音。


「〜〜〜〜!!」


 そして音にならない声。


「やばいって!!!」


 ぜえぜえ。顔は赤くなり息は上がる。原因は部屋に入ってからずっとばたばたしてしまったからか、あるいはさっきの下校時の恥ずかしさ、嬉しさなどその他諸々の感情が溢れたからか、もしくはその両方か。

 きっと、ていうか確実に両方だろうなと決定づける。佐倉さんは腕を組むくらいは普通、だと言っていたが私にしては全くもって普通ではない。言ってしまえば初めてなのだ。

 ついさっきまで百合漫画で見ていただけの光景。こんな私にはそんな現実なんて訪れないだろうと、ほぼ――99.9%諦めていたこと。それがなんかよくわからない内に体験していた、とか未だに信じられない。


「…痛い」


 夢じゃないか頬を引っ張ってみたがちゃんと痛かった。


「……やっぱ痛い」


 さっきは片方だけだったからってだけの理由で今度は両の頬も引っ張ってみたけどやっぱりちゃんと痛かった。


 うん、これは夢じゃない。ほんとのことなんだ。


 ベッドの上に寝転がって目を閉じる。そしたらいとも簡単にさっきまでのことが頭に浮かび上がってきて。びっくりすることに腕を組んだ時の感触までそっくりそのまま身体が覚えていた。

 改めて思い出してみると佐倉さんの腕思ってたより細かったな、とかなんかいい匂いがしたな、とか、ちょっと当たっちゃうくらいに意外と胸大きかったな、それになんだか柔らかかったな、とか。ありきたりなことからちょっとよろしくない事まで、色々なことが浮かんでくる。

 それになりよりすっごく可愛かった。私とは正反対の性格で。人懐っこくて明るくて、言動も一つ一つ可愛くて。

 今までは放課後なんてさっさと荷物をまとめて教室を出て、1人早歩きで家に帰っては百合に勤しんでいたのに、佐倉さんとなら今日みたいに他愛もないことやってゆっくり帰るのもいいな、なんて思った。


「……あ」


 いまだ熱を発し続けている私に一つのことが思い出される。そう、お礼だ。というか本来の目的はお礼を言うことだったはずなのにいつから忘れてしまっていたのだろう。


 明日、また話しかけてもいいかな。――お礼、言わないとなんだし。


 なんだかこれじゃあお礼を言うことはただの建前で本音はただ話したいだけ、のように感じ取れてしまう。


「桜ーご飯だからきなさーい」


 今いいところだったのに。お母さんには悪いけれど、そう思ってしまう。そろそろ妄想が捗るかな、とか思っていた矢先なのだからそう思ってしまっても仕方ないだろう。

 けどご飯を作ってくれているのだ。行かないなんて選択肢はない。


「はーい今行く」


♦︎


 ちゅんちゅん。


「無理、眠すぎ」


 昨日のことが忘れられなくて思い出しては妄想にふけっていたら朝を迎えていた。スマホのカメラで見たくもない自分の顔を見ると、目の下にははっきりと隈が現れていた。

 あちゃー。とも思うが昨日の――今日という方が正しい就寝時間を思い出すと午前6時。今は7時ちょっとだから1時間寝れたかなーくらいである。これじゃ隈ができるのも当然だ。

 準備しないと、と思い立とうとしても身体は正直である。私の意に反して再びベッドに横になる体制を取り始めていた。

 そんな中お母さんから「いつまで寝てるの早く起きなさい」という声がかけられる。普段だったら起きたくないなーと思いながら適当に返事をするのだが今日はそういうわけにもいかなかった。だってその後にこんな言葉が続いたんだもの。


「お友達が待ってるわよ」

「え、誰?」

「佐倉椿ちゃんって子みた「っお母さんありがと」」


 佐倉椿、という名前を聞いた途端ベッドから飛び出るように跳ね起きた。

 なんで佐倉さんが!?っていう驚きはもちろんのことだけど、それよりも佐倉さんに会いたい、一緒に登校したい、っていう気持ちの方が大きいような気がしてしまう。


 とりあえずさっさと着替えて朝ごはんは焼いてあったパンを引っ掴んできた。バターもジャムも塗ってないけどしょうがない。


「行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 バタン。ドアが閉まりエレベーターのボタンを押して早く早くっとせがむ。こういう時に限っていつもはすぐ来るエレベーターはなかなかこない。


「きたっ!」


 足早に乗り込んですぐにボタンを押して降りる。そしたら今度はどこの階にも止まらなかった。よーしよし。


「ん、渥美さんおはよ」

「お、おはよう」


 佐倉さんは私を見つけるなりニコッと笑いかけてくれた。笑った時に揺れる髪でさえも可愛く見えた。


「ごめんね朝から勝手に来ちゃって。迷惑じゃなかった?」

「あ…うん全然」

「よかったぁ」


 佐倉さんはそう言ったあと、私のことをもう一度じっくり見てくすくすっと笑い出した。

 なんで笑っているのか訳もわかってない私を前に佐倉さんは口を開いた。


「渥美さんなんでパン咥えてるの?」

「あっ、これはその…」

「私が勝手に来ちゃっただけだし食べてからでもよかったよ?」

 

 と、言われたてしても私にも譲れないところはある。人を待たせるのは良くないではないか。…と言いたいのだけど私はなぜだか佐倉さんに早く会いたかったのだからこれもきっと上辺だけの理由なのだろう。


「あ、口についてる」


 教えてくれてありがとう、って言うよりも前に私の口元に佐倉さんの手が、指が伸びてくる。そうすると必然的に顔も近くにくるから視界いっぱいに佐倉さんが広がって。


「ん、とれたぁ」

「…ありがとう」

「とりあえずパン食べちゃお、まだ時間全然あるし」

「うん、そうする」


 ということでパンを食べているのだけど、その様子を佐倉さんがじぃっと食い入るように見ているからかすごく食べづらい。


「あ、あのさ」

「んー?」

「そんなに見られてると、その、ちょっと恥ずかしい…」

「んふ〜そっかそっかぁ」


 私がそう言っても佐倉さんは見るのをやめない。むしろさっきより一層じぃっと見てくる。というか私が食べるところなんて見ててどこが良いのか全然わからないのだけど。


「渥美さんやっぱ可愛いね」

「…!?」

「んふっそうやって照れるとことか特に〜」

「んんっ」


 本当に心臓に悪い。パンが気管に入ってしまった。けどもちろん可愛いと言われて嫌な気はしない。

 しかしさっきから私だけドキドキしてるのもなんか悔しい。私だって佐倉さんの照れるとことか見てみたいのに。


「さ、佐倉さんも…可愛いよ」


 そう思った結果私が取った行動は同じように伝える、ということ。可愛いと思ってるのは事実であるし悔しいばかりに嘘を言っているわけではない。


「えっ、…あ、ありがとっ嬉しいよぉ」


 いざ反応を楽しみにしていたら最初の少しだけは照れたけどすぐにいつもの調子に戻ってしまった。やっぱり"可愛い"だなんて言葉くらい言われ慣れてるのだろうか。


 私が佐倉さんが照れてとろとろに溶けているところを見るのはまだまだ先になりそう。

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