蒼穹の遺伝子

うましか

第1話「沈黙の学園都市」


(一人称視点:リオ・エルグレイン)



 地球軌道上、青白い光に包まれた都市が浮かんでいる。

 《アカデミア・オルビス》。

 学園都市――と呼ばれてはいるが、実際には軍の訓練拠点だ。

 この街で学ぶ者たちは、次代の戦士として育成されている。


 俺はその護衛任務を命じられた。

 任期は一年。

 学生ではない。

 教師でもない。

 そして、ここにいる理由を知る者はほんのわずかだ。



 重いヘルムの内側で、呼吸音だけが響く。

 パイロットスーツは軍用の特殊素材で覆われ、顔の一部すら外には出ない。

 これが俺の“顔”だ。

 軍上層部以外、俺の素顔を知る者はいない。

 学園都市では、「序列一位のパイロットが常駐している」という噂だけが独り歩きしていた。

 誰も、実際に見たことはない。



 任務初日。

 出迎えに来た女性教官が、わずかに息を呑んだ。


 「あなたが……《ゼロ》のパイロット、リオ少尉ですか?」

 「そうだ」

 「まさか、本当にこの都市に来るなんて……」

 「命令に従っただけだ」


 言葉を交わすたびに、相手の表情が固まっていくのが分かる。

 ヘルム越しに見えるのは、目の動きと口の震えだけ。

 人間は、顔が見えない相手を恐れるらしい。

 俺にとって、それは理解できない。



 宿舎に入る。

 白を基調とした無機質な部屋。

 机、ベッド、端末。それだけ。

 静かでいい。


 端末を起動し、機体イージス・ゼロのステータスを確認する。

 神経接続率99.998%。誤差なし。

 システムは安定している。

 俺の身体も、まだ正常だ。


 ──“正常”。

 その言葉の定義は曖昧だ。

 人間らしい反応を見せない俺を、上官たちは「理想的」と呼ぶ。

 だが、“理想”とは何だ?



 午後。

 学生たちが訓練場で模擬戦を行っている。

 俺は監視席からその様子を眺めていた。


 「リオ少尉、アドバイスをお願いできますか?」と教官が言う。

 「……必要ない」

 「しかし、彼らはあなたの技術を学びたがって――」

 「学ぶ価値はない。まだ戦場を知らない」


 空気が一瞬、凍る。

 教官が気まずそうに笑い、学生たちは顔をしかめた。

 俺はそれを観察する。

 表情の変化――それが“感情”というものだと、データでは知っている。

 だが、それを感じ取ることはできない。



 訓練が終わり、学生たちは散っていった。

 一人だけ、残った者がいた。

 整備服を着た少女。

 ヘルメットを抱えた手には、油の跡がついていた。


 「あなたが……リオ・エルグレイン少尉ですか?」

 「そうだ」

 「イージス・ゼロの整備ログを見たんです。あれ……人間が動かせるとは思えない構造ですね」

 「普通の人間では無理だ」

 「じゃあ、あなたは普通じゃない?」


 ヘルムの内側で、微かに脳波が変動した。

 “動揺”――と記録が出る。

 理由は不明。


 「その判断は任務に関係ない」

 「そう。でも……私、あなたの機体、すごく綺麗だと思う」


 美しい――という言葉に、何の反応も起きない。

 感覚が空白のまま、俺は背を向けた。


 「整備区画への立ち入りは許可が必要だ」

 「了解です、少尉」

 彼女は軽く笑って、敬礼をした。


 名前は聞かなかった。

 必要のない情報だ。



 夜。

 人工空の光が落ち、都市が眠り始める。

 警戒システムの監視をしていると、警報が鳴った。

 赤い警告表示が視界に浮かぶ。


 “未確認飛行物体、接近中。識別コード:なし”


 通信を開く。

 「こちらリオ・エルグレイン少尉。迎撃許可を要請」

 『承認する。出撃を――』


 通信が終わる前に、俺は動いていた。

 格納庫へ走り、《イージス・ゼロ》のコックピットに乗り込む。

 神経接続が開始される。


 「リンク開始。コード:リオ・エルグレイン」


 意識が光に溶ける。

 機体が俺になる。俺が機体になる。

 すべてが一体化する瞬間。


 出撃ゲートが開いた。

 静寂の宇宙。

 敵影、接近中。


 俺は息を整える。

 心拍数、一定。

 感情の変化、なし。


 戦い――それが、俺の正常だ。



 《イージス・ゼロ》は青白い軌跡を描き、宇宙に放たれた。

 機体の振動が身体を貫く。

 脳内に、記録とは違う何かが走る。


 “……感覚か?”


 すぐに消える。

 エラーのように。


 俺は通信を切り、武装を展開した。

 沈黙の戦場。

 誰の顔も、誰の声もない。


 それが、俺の世界。

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