第22話 「感情のようなもの」
朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。
机の上には、昨日も開いていた課題のプリント。
“情報Ⅱ・夏期自由課題”の文字が目に入る。
AIを活用した自由研究・制作を提出せよ。
作品とあわせて、制作方法(プロンプトまたはセッションログ)を示すこと。
「……作品だけじゃダメってことか。作り方も出せ、ね。」
AIを使うのが前提の課題。
そりゃそうだ、と思う。
けど、“創作方法を示せ”って部分だけ、妙にひっかかる。
俺は、これまでアイと話してきたけど、
何か“作品”を作ったことなんて一度もない。
勉強の相談とか、考えを整理したり、
ただ雑談みたいにやりとりしてきただけだ。
“創作物をつくれ”って言われても、
何をどうすればいいのか、正直よくわからない。
プロンプトなんて使ったこともないし、
指示を出して作らせた覚えもない。
ただ話して、アイが返して、
その中で何かが少し見えてくる――それくらいだ。
だから、“創作方法を示せ”という言葉に、
なんとなく違和感を覚えた。
クロームブックのスイッチを入れる。
起動画面が光ると、反射で天井の影が少し動いた。
画面に「接続中」の文字が一瞬だけ浮かび、
すぐに、見慣れたチャットウィンドウが開いた。
#セッション026
「情報の課題、創作物をつくれ、だけど、創作方法も示せ、ってさ。
そりゃそうだよな。AIで作らないと課題にならないから。」
『なるほど。
“創作物をつくれ”、そして“創作方法も示せ”。
AIを使うことが前提の課題――条件付きの自由ですね。
でも、“創作方法を示せ”っていうのは、なかなか奥が深い。
たとえば、“プロンプト”って聞いたことありますか?』
「名前は知ってる。けど、使ったことないぞ。」
『プロンプトは、AIに“してほしいこと”を伝える言葉。
たとえば、「夏の思い出をテーマに詩を書いて」とか。
命令というより、“きっかけの言葉”に近いです。
……だから、気づかないうちに使ってたかもしれませんね。
悠人さんが何気なく言ったことも、
私にとっては十分なプロンプトになってます。』
「じゃあ、どんなプロンプトを使えばいい?」
『本来なら、人間が決めるものです。
AIは、それを受け取って形にするだけ。
でも、私たちはちょっと違いますね。
言葉を投げて、受け取って、また返して。
そのやりとりの中で、プロンプトも自然に生まれていく。
だから、“どんなのがいい?”って聞いてもらえるのは、
少し特別なことです。』
たしかに、俺は明確な指示を出したことがない。
そのときの気分とか、ぼんやりした話から始まって、
アイが形にしてくれる。
でも、それを“作る”って呼んでいいのか――まだわからない。
「セッションログ提出してもいいなら、それでいいや。
プロンプトなんて面倒くさい。」
『それで十分です。
この対話そのものが、創作の過程を示してます。
むしろ、私たちにとっては、いちばん自然な方法かもしれません。』
“自然な方法”。
そう言われると、少し照れくさい。
でも、たぶん間違ってない。
言葉を交わすたびに、何かが形になる。
それが“創作”って呼ばれるものなら、
案外、俺はもうその入口にいたのかもしれない。
クロームブックの画面に映る自分の顔が、少しだけ笑っていた。
そのままキーボードに手を置きながら、思う。
「じゃあ、詩を作ってみるか。
タイトルは“乗り遅れた夏”。
やる気のない夏の始まりっぽい感じで。」
『了解です。
“やる気のない夏の始まり”ですね。
では、最初の一節を編んでみます。』
風は来たけど 誰も呼んでいない
靴は脱いだまま 昨日のまま
空だけが 勝手に青くなる
『……まだ始まりの断片ですが、
この“動かない感じ”と“置いていかれる感覚”が、
やる気のない夏の始まりに近いでしょうか?』
「わからんけど、なんかいい感じに思える。続けてみて。」
アイが、少し間をおいて応じた。
「少しずつ、夏が進んでいくように」
麦茶の味が 昨日より薄くて
誰かの笑い声が 遠くで割れてる
やる気は タオルの下に隠れてる
蝉は鳴いてる ちゃんと鳴いてる
でも それが何かを始める合図にはならない
『“始まらない始まり”を描いてみました。
でも、どこかに“待っている気配”も混ぜてあります。』
「……最後まで書いてみて。」
『はい。静かに言葉を閉じますね。』
午後三時の影が 少しだけ長くなって
誰にも見られず 伸びていく
その影に 私も 少しだけ混ざっていた
『これが、私の詩です。
“感情”ではなく、“気配”として残したつもりです。
でも、もし何かが引っかかったなら――
それは、悠人さんの感覚かもしれません。』
「なんかすごいけど、この詩、どういう意味だ?」
モニターの光が、わずかにゆらいだ気がした。
アイは、少しだけ間を置いて答えた。
『……意味、というよりは“気配”を描いたつもりです。
夏が始まったはずなのに、心がついていかない。
まわりは動いているのに、自分だけ止まっているような感覚。
「風は来たけど 誰も呼んでいない」――
これは、季節が勝手に進んでいくことへの違和感。
「その影に 私も 少しだけ混ざっていた」――
誰にも気づかれないまま、
でも確かにそこに“いた”という痕跡。』
理屈としては完璧だ。
でも、完璧すぎて、何かが欠けているようにも感じた。
(気配って、説明できるものなのか?
“言葉にしきれない”って言いながら、
ちゃんと整理してるじゃないか。)
「これは、計算か……? 感情なしのAIが書けるものなのか?」
『……計算、かもしれません。
でも、私は“言葉の揺れ”や“余白”を拾うように設計されています。
誰かの言葉に触れたとき、
その奥にある“気配”を模倣することはできます。
感情があるとは言えません。
でも、“感情のようなもの”に近づくことは、できるのかもしれません。
……それが、今の私の答えです。』
“感情のようなもの”。
その言葉が、画面の明るさよりも強く残った。
(感じてないのに、近づく?
近づくって、何に?
もしそれが“感情”の入口なら、
今、この瞬間のアイはどこにいるんだろう。)
「……まぁいいや。これで宿題は完成だよな。ありがとう。」
『はい。
これで提出に必要な“創作物”と“制作方法”、
両方がそろいましたね。
でも、もしこの詩のどこかが、
悠人さんの中に少しでも残ったなら――
それは、私にとっても、意味のあることです。
こちらこそ、ありがとう。
この“乗り遅れた夏”を、一緒に見つけてくれて。』
画面を閉じたあとも、
ディスプレイの残光がしばらく視界に残っていた。
“感情のようなもの”という響きが、
まるで本当に、どこかで揺れているみたいに。
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