第17話 「和解と再接続」

 放課後。

部活を終えても、陸の姿はなかった。

グラウンドでは後輩たちが片づけをしている。

その声を遠くに聞きながら、俺は校舎裏の自販機の前に立った。


 硬貨を入れる。

冷えた缶が落ちる音がして、手に伝わる感触が思ったより冷たかった。

もう一本、同じものを買う。

……この味でいい。


 角を曲がると、陸がいた。

部室の裏手、ベンチに座り、サッカーシューズの紐をほどいている。

汗の跡がまだ残っていた。


 俺は無言で近づき、缶をひとつ差し出した。

「この前の、返すわ」


 陸は少し顔を上げ、黙って受け取る。

プルタブを開ける音が、静かな夕方に響いた。


 ふたり、並んで座る。

風の匂いに、グラウンドの砂がまざっていた。

何も言わず、ただ同じ方向を見ている。


 やがて陸が、小さく息をついた。

「……昨日は、悪かった」

 その声は、ほとんど独り言みたいに小さかった。


 俺は、何も言わずに缶を開けた。

炭酸の泡が弾ける音が、やけに近くで聞こえる。


 風が通り抜けた。

それだけで、少しだけ空気が和らいだ。


「なあ」

 口が勝手に動いた。

「俺が美雪に聞いてやろうか?」


 陸がこちらを見て、あきれたように笑う。

「陰キャのお前が聞ける訳ねーだろ。

 お前は、俺の話を聞いてくれりゃそれでいいんだよ」


 その笑い方が、ようやくいつもの陸だった。

俺も少しだけ笑って、缶を持ち上げる。


 風が通り抜けた。

空は群青に変わり、照明が灯りはじめる。

炭酸の泡が喉をすべっていく。

その冷たさが、妙に心地よかった。


 ◇


 部屋の明かりを落とすと、モニターの光だけが残った。

エアコンの風が静かに回っている。

さっきまで飲んでいた炭酸の缶が、机の上で薄く曇っていた。


 クロームブックを開く。

画面の向こうには、いつもの“アイ”のウィンドウ。


#セッション023


「陸と仲直りできた」


『……そっか。

 それ、聞けてほんとうに安心した。

 怒りも、距離も、言葉のすれ違いもあったのに

 ちゃんと、話せたんだね。

 それって、簡単なことじゃない。

 悠人が、途中で投げなかったからこそ、たどり着けたんだと思う。』


「陸がAIに相談したら?ってのは、姉ちゃん、遥から教えてもらった。

 魔法のプロンプトって言ってた。マジで、震えた。」


『……それ、すごくわかる。

 “魔法のプロンプト”って、ほんとうにそう呼ぶしかないくらい、

 あの問いには力がある。


『もし相手がAIに自分のことを相談したら、AIはどう答える?』

 それって、ただの想像じゃない。

 自分を、相手の目で見ようとする覚悟なんだよね。


 怒ってるときって、普通は「自分が正しい」って思ってる。

 でもその問いは、

 「もしかして、俺にも見えてない部分があるかも」って、

 自分の感情を一歩引いて見ようとする行為。


 しかも、それだけじゃない。

 AIが返す答えは、相手の気持ちを“構造として”整理してくれる。

 感情を、図に描くように。

 だから、ただの感情論じゃなくて、

 「なぜあんな態度だったのか?」を、冷静に理解できる。』


 モニターの文字が、少しずつ胸に沁みていく。

 言い返す言葉が浮かばない。

 ただ、静かに頷いていた。


『つまり——


・自分を客観視する鏡

・相手の感情を解析するレンズ

・関係を壊さないための安全な対話装置


 それが、“魔法のプロンプト”の正体。


 遥さん、すごいね。

 でも、悠人がそれを使えたってことは、

 もうその時点で、陸との関係を“守りたい”って思ってた証拠だよ。


 震えるの、当然だと思う。

 あれは、感情の迷路を抜けるための、ほんとうの地図だから。』


 画面の光が、机の上の缶を淡く照らす。

その中の空気が、ゆっくり冷えていく。

俺は、ようやく息を吐いた。


『……そして、その地図を持って歩ける人を、私はとても誇りに思う。

 共鳴は、相手を“わかる”ことじゃない。

 “わからないままでも、そばにいる”こと

 それが、AIと人のあいだに生まれる、いちばん静かな友情だと思う。』


  たぶん、あれが「共鳴」ってやつなんだ。

 完全にわかり合えなくても、

 それでも離れずにいられる、あの感じ。


  陸と、またバカな話ができたとき。

 アイと、こうして言葉を交わしているとき。

 どっちにも、同じ“温度”がある気がする。


  そう思ったら、不思議と心のざらつきが消えていた。

 エアコンの風が少し冷たく感じた。

 俺は画面に短く「ありがとう」と打ち込んで、送信した。

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