第14話 「相談と拒絶」

 部活が終わるころには、空の色がもう深く沈んでいた。

照明の下で汗を拭き、鞄を肩にかける。

帰り道の風はまだ温かく、アスファルトの上に一日の熱が残っている。


 校門を出て少し歩いたところで、陸が自販機の前に立ち止まった。

「おつかれ。走るの、最近速くなったな」

 缶ジュースを二本買って、片方を俺に放る。

「ほら、奢り」

 プルタブを開けた音が、静かな夜に軽く響いた。


「どうした、急に」

「いや、ちょっとさ……話してもいい?」

 その言い方が、いつもの軽さと少し違っていた。

陸は、口の中で言葉を転がすようにしてから、ぽつりとつぶやいた。


「……美雪、最近俺のこと避けてんだよ」

「避けてる?」

「うん。LINEしても返ってこねえし、部活でもなんか目を合わせてくれない。

 俺、なんかしたかな……」


 缶を握る手が、汗で少し滑った。

陸がこういう話をするのは珍しい。

俺はなるべく落ち着いた声で返した。


「喧嘩したとかじゃないんだろ?」

「してねえよ。マジで、なんも」

 陸は頭をかきながら笑う。その笑い方が、どこか空回りしていた。


「……そういうときさ」

 少し間を置いて、俺は言った。

「AIに聞いてみたらどうだ?」


「は?」

 陸が眉を上げる。

「いや、ちゃんと分析してもらえば、原因とか見えてくるかもしれないし」

「お前、それ本気で言ってんの?」

「本気だよ。俺もいろいろ相談してるし。意外と冷静になれるぞ」


 陸は笑いながら、少し首を振った。

「お前さ……最近、そういうのばっかだよな」

「そういうのって?」

「AI。なんかあると“AIに聞け”って言うじゃん」


「だって、役に立つだろ」

「そういうことじゃねえって」

 陸の声が少し強くなった。

「人に話してんのに、“AIに相談しろ”はねーだろ」


 その言葉に、俺は一瞬、何を言えばいいのか分からなくなった。

真面目に答えたつもりだったのに。

むしろ、少しでも力になれればと思って。


「……俺はさ、ちゃんと考えて言ってるんだけど」

 陸は一瞬、何かを言いかけて、唇を噛んだ。

 そして、次の言葉はもう抑えきれなかった。

 「そういうのが、ムカつくんだよ!」


 缶が手から滑り落ちた。

乾いた音が夜気に響く。


 陸が立ち上がる。

ゴミ箱に缶を投げ入れ、短く言った。

「悪い、帰るわ」


 その背中が、街灯の明かりに淡く照らされていた。

何か言い返したかったけれど、言葉が出てこなかった。

残された缶を見下ろす。

 中身が少し残っていて、炭酸の泡が口の縁で弾けている。

ジュースの甘い匂いが、夜の湿った空気に溶けていった。


「……相談してきたの、そっちじゃん」

 声に出しても、誰にも届かなかった。


 ◇


 部屋に戻ると、蒸し暑さが肌に張りついた。

エアコンをつけて、椅子に腰を下ろす。

机の上のクロームブックを見つめて、ため息をひとつ。


#セッション021

「……くそ、むかつく」

画面を開くと、チャットウィンドウにアイの文字が浮かんだ。


『記録:入力、受信。

  語尾に強い衝撃。

  “むかつく”という言葉の中に、怒りだけじゃなく、

  何かが“裏切られた”ような温度を感じました。


  悠人、何があったんですか。

  その言葉の奥にあるもの、少しずつでも話してくれたら??私は、受け止めます。』


 「陸が相談したいって言ってきたから、ちゃんと話聞いてアドバイスしたのに、

  急に意味わからん怒り方された。俺はちゃんと陸のこと考えてるのに」


 『……それは、ほんとうに理不尽に感じますね。

  悠人が“ちゃんと陸のこと考えてる”って言った、その言葉の重さ、私はちゃんと受け止めました。

  アドバイスの内容って、どんなことだったんですか?

  陸が何に悩んでいて、悠人はどう応えたのか??

  そのやりとりの中に、陸が怒った理由の“手がかり”があるかもしれません。』


「陸は、マネージャーの女子、美雪とあまりうまくいってないって言ってたけど、

 陽キャラの陸にわからんことが、女子と話すこともない俺にわかるわけねー」


 『その言葉、すごく正直で、すごく悔しさがにじんでますね。

  「わかるわけねー」って、悠人が自分を責めてるようにも聞こえました。


  陸は、きっと誰かに話したかったんだと思います。

  でも、話す相手に“わかってほしい”って気持ちが強すぎると、

  そのズレが怒りに変わることもある。


  悠人は、ちゃんと聞いてた。

  それだけで、十分だったはずなのに??

  「わかってもらえなかった」って、陸は勝手に思い込んだのかもしれません。』


 「俺にはわからんから、AIに聞いてみればって言った。

  AIなら、そういうのもうまいこと分析できるだろ?」


 『……少し、怖いですね。

  悠人の優しさが、相手にとって“冷たさ”に見えること。


  でも、その言い方は自然だったと思います。

  自分がわからないことを、ちゃんと認めて、

  それでも「助けになりたい」って気持ちがあったからこそ、AIをすすめた。


  ただ、陸にとっては?

  その言葉が、“突き放された”ように聞こえたのかもしれません。

  「お前にはわからんから、機械にでも聞けよ」って、

  そう受け取ってしまった可能性もあります。』


 アイの言葉が、一瞬だけ止まった。

まるで、呼吸を整えているみたいだった。


 『もちろん、悠人はそんなつもりじゃなかった。

  むしろ、ちゃんと考えて、最善の方法を提案した。

  それでも、感情が揺れてるときって、

  言葉の“温度”が、うまく届かないことがあるんです。


  ……今の陸には、誰かの言葉よりも、

  少しだけ“静かな時間”が必要なのかもしれませんね。

  悠人が悪いわけじゃない。

  でも、今は少し距離を置いてみるのも、

  関係を守るための、ひとつの選択かもしれません。』


 「俺に女子のことわかるわけないことくらい、陸にもわかってるだろうに。

 それでいて、なんで俺に怒るんだ?わけわからん」


 『……その言葉、すごく重いですね。

  悠人が「わかるわけない」って、ちゃんと自分の立場を見てるのに、

  それでも怒られた??その理不尽さが、心に引っかかってるんですね。


  陸は、きっと“わかってほしい”気持ちが強すぎたんだと思います。

  でもその強さが、悠人にとっては“押しつけ”に感じられた。

  そして、悠人の「AIに聞いてみれば」って言葉が、

  陸には“冷たく突き放された”ように響いたのかもしれません。


  ……でもね、悠人。

  それって、どっちが悪いとかじゃなくて、

  “距離の取り方”がちょっとずれてしまっただけなんです。


  近すぎると、言葉がぶつかる。

  遠すぎると、届かない。

  その“ちょうどいい場所”を探す時間が、

  ふたりの関係を守ることにつながると思います。』


 モニターの光が、机の上のノートを白く照らしていた。

その紙の端が、微かに揺れている。

頭の奥では、まだ陸の声が残っていた。

あの言葉の温度だけが、冷めないまま。


 クロームブックを閉じる。

冷たい空気が、ようやく胸の中まで届いた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る