第4話   交差点の向こう4

 用が終わってから教会に帰ってきた僕を、お風呂上りの理恵が迎えてくれた。


「おかえりなさい、雪。どこ行ってたの?」


 しっとりした髪に、パジャマ姿の理恵は、普段の制服姿と違ってちょっとだけ色っぽくて、心臓の鼓動が高まる。


「いや、ちょっと夜風に当たりたくて」


 適当にごまかすと、笑われた。


「何、それ。まだお風呂にも入っていないのに。変な雪」


 僕は困って頭をかく。


「良いんだよ、センチメンタルなお年頃なんだ。あれ、そういえば礼さんは?」

「ああ、お風呂に入った。お父さん、いつもお風呂長いけど、今日は特に長いわねー。雪、今日は入れないんじゃないの?」

「そりゃあ、困る。まぁ、いいや、待っておくよ」


 僕が歩き出すと、理恵が呼び止めてきた。


「礼拝堂に行くの?」

「ああ」


 視線を落として呟く。今日の懺悔を、寝るまでにすまさないと。


「ねぇ、私も一緒に祈っていい?」


 ちょっと恥ずかしそうに上目遣いで見てくる理恵に、心の隅でどきどきしながら、一緒にいてくれるのが嬉しくて、だから照れ隠しにからかう。


「今をときめく救世主様に一緒に祈ってもらえるなんて、こりゃあ、僕は死んでも天国に行けそうだ」


 冗談で言ったつもりだったのに、大きく頭を振って理恵は僕の手をそっと握った。その柔らかな感触に戸惑う僕を、大きな瞳で見つめ、理恵は天使のような優しい笑顔で言った。


「雪は、私なんかが祈らなくても、きっと天国に行ける。雪は、誰よりも優しい人だもの」


 その言葉を聞くたびに、僕は本当に自分を自己破壊したくなる。

 礼拝堂で二人してひざまずき、祈る。理恵は目を閉じて一心不乱に祈っている。僕は祈りたいこと、懺悔したいことはあるのに、祈る相手がいなくて、ぼんやりとした思考を宙に浮かべていた。


「なぁ、理恵」


 しばらく時間が経ってから理恵に話しかける。何、と目を閉じたまま理恵は答える。ステンドガラスから差し込む月の光に照らされた理恵の横顔は、白く澄んでいた。ずっと見ていたいと思った。


「理恵は、あの日、神様に出会ったんだよな」

「そうよ」

「どんな神様だった?」

「きれいな、白い衣を着た女の人」

「それは……二年前に現れた神様とは……」

「違う人、だと思う。だって、彼女はこの世界を守ってほしいと言ったもの」

「そのときに、力を……」

「うん、福音の力を彼女から授かったわ」


 呪われてる。僕らは、呪われてる。

 僕も理恵も同じ日に、違う神と出会ってしまった。そうして、二人とも絶大な力と途方もない役割を与えられた。君は救世主、そして僕は……。


「でもね、時々、私、自分の力が怖くなる。だって、救った人の数だけ聖書の言葉を実現できるだなんて……。もしも、大洪水や黙示録の言葉を実現させたら……」

「あははは、世界が終わっちゃうな」

「もう、笑い事じゃあないよ」


 もしも、理恵が世界を終わらせようとすれば、僕はどうするだろう。理恵とともに生きられなくなるが、それでも理恵が望むなら。

 きっと僕は差し出すだろう。世界も、この身も。

 理恵が望まなければ、きっと僕は今の混乱した世界に価値を見いだせない。

 世界には二人の神が存在し、一人は世界の崩壊を、もう一人は世界の存続を望み、その代理戦争としてメフレグからソフィア、反メフレグからパナリオンという能力者が出現し、殺しあう。

 こんな馬鹿げた聖戦、一体いつまで続くのだろうか。

 頬に理恵の手が触れた。気がつけば、僕は震えていた。


「大丈夫だよ、雪」


 呪文のように彼女は言った。


「この世界は滅びない。私がきっと守る。世界を、あなたを」


 僕は頬に触れた手に手を重ね、微笑んだ。


「じゃあ、僕も約束する。君を守るよ。何があっても、何をしても」

 

 神との契約を逆手にとってでも。

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