第34話:三勢力の対峙
俺が、かつての仲間たちの亡骸で作られたゴーレムを、静かな怒りをもって解体している頃。
王城の正門前は、静かな地獄だった。
黒い雪が音もなく降り積もり、大地を穢していく。あちこちに転がるアンデッドの残骸だけが、ここに至るまでの熾烈な戦いを物語っていた。
その中央で、二つの軍勢が、睨み合っていた。
セレスティア率いる王都騎士団と、ギデオン率いる異端審問官。
まるで、白と黒のチェスの駒が、盤の中央で対峙しているかのようだった。
「……これは、これは。聖女様、ご無事でしたか」
ギデオンは、血糊の付いた黒い剣を肩に担ぎ、まるで旧友に会ったかのように、にこやかに言った。
その声には、侮蔑と、そして、ほんの少しの好奇が混じっていた。
彼の周りでは、部下たちが、手にした聖印から放つ浄化の光で、まだ動いているゾンビの残骸を処理している。
彼らが纏う漆黒の鎧には、あらかじめ強力な防護魔術が施されているのだろう。呪いの雪は、その表面に触れると、シューという音を立てて蒸発していった。
「審問官長こそ。そのご様子、この地獄を、ずいぶんと楽しんでおられるように、お見受けしますが?」
セレスティアもまた、冷たく言い返した。
彼女の体から放たれる柔らかな聖なるオーラが、周囲にいる騎士たちを、見えないヴェールのように包み込んでいる。
「王女様……不思議です。この光の中にいると、体の芯まで凍えるような寒気が……和らぎます」
若い騎士の一人が、安堵の息を漏らした。
セレスティアの存在そのものが、彼らにとっての唯一の希望であり、盾だった。
ギデオンは、その光景を、品定めするように観察していた。
「ほう。さすがは聖女様。その身一つが、移動式の聖域というわけですな。民を救うには、さぞ、お似合いの力でしょう」
その言葉は、賞賛ではなかった。
「――ですが、聖女様。貴女様のその『救う』という慈悲が、時として、より大きな災厄を招くこともある。……そうは、お考えになりませんか?」
「何が、言いたいのです?」
ギデオンは、黒い剣の切っ先を、セレスティアへと向けた。
「貴女様は、あの『骨の王』を、救うおつもりか? あの、死の掟を破り、英雄の名を騙る、最大の異端を」
「……彼は、騙ってなどいません。彼こそが――」
「――彼こそが、アレン・ウォーカー本人である、と?」
ギデオンは、喉を鳴らして笑った。
「だとしたら、尚更、罪深い。英雄の魂が、穢れた器に囚われているのですからな。我ら審問官の務めは、その魂を、器ごと、木っ端微塵に破壊し、強制的に、神の御許へ送り返してやることです」
「……それが、貴方の正義ですか」
「いいえ」
ギデオンは、静かに首を振った。
「これが、『神の秩序』です」
二人の視線が、火花を散らす。
相容れない、二つの正義。
民を愛し、一人でも多くの魂を救おうとする、聖女の正義。
世界の理を絶対とし、それを乱す異端を、一片の情けもなく裁こうとする、審問官の正義。
その、張り詰めた空気を、破ったのは、地響きだった。
ゴゴゴゴゴ……!
目の前の、固く閉ざされていた王城の正門が、内側から、ゆっくりと開かれていく。
門の向こうは、漆黒の闇。
その闇は、まるで、生きているかのように、脈打っていた。
そして、その闇の中から、二つの、巨大な赤い光が、灯った。
それは、憎悪と、飢餓の色をしていた。
「……来るぞ!」
ジェラール卿が、叫んだ。
闇の中から、その巨体が、ずるり、と姿を現す。
体長は、荷馬車を三台は繋げたほどもあるだろうか。
獅子のような体に、ドラゴンのように、爛れた翼。蠍のごとき、骨張った尾。
伝説の魔獣、マンティコア。
だが、その体は半分腐り落ち、肋骨が剥き出しになっている。その隙間から、何人もの、人間の顔のようなものが、苦悶の表情を浮かべて、こちらを睨んでいた。
「……ただの、アンデッドではないな」
ギデオンが、初めて、その表情から笑みを消した。
「あれは、複数の魂を、無理やり一つの器に詰め込んだ、冒涜の極み……『ソウル・ゴーレム』の一種か」
「オルティスめ……。騎士たちの魂まで、弄んでいたというのか……!」
ジェラールが、怒りに震える。
アンデッド・マンティコアは、天に向かって、おぞましい咆哮を上げた。
それは、獣の唸り声と、何十人もの人間の絶叫が、一つに混ざり合ったかのような、聞く者の正気を削る、不協和音だった。
その声だけで、気の弱い騎士が、剣を取り落とし、その場にへたり込んだ。
絶望的な、威圧感。
それは、もはや、一介の騎士が、あるいは、一人の聖女が、どうにかできるレベルの存在ではなかった。
あれは、災厄そのものだった。
オルティスが、自らの狂った理想郷を守るために用意した、最悪の、番犬。
マンティコアは、その赤い瞳で、ぎろり、と、広場にいる者たちを見渡した。
そして、標的を、定めた。
より生命力に満ち溢れ、より聖なる力を放つ、セレスティアへと。
その腐った顎から、涎のように、負の魔力が滴り落ちる。
戦いの火蓋が、切られようとしていた。
この、絶望的な番犬を前に、二つの相容れない正義は、どう動くのか。
あるいは、ただ、なすすべもなく、喰われるだけか。
その答えを、今はまだ、誰も知らなかった。
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