第29話:聖女の逃亡

 大聖堂は、一瞬にして、祈りの場から、処刑場へと変わった。

 四方から、黒い刃が、二人へと殺到する。

 ギデオンは腕を組み、祭壇の前で、愉悦の表情を浮かべてその光景を眺めていた。まるで、自らが演出する、舞台劇のクライマックスを鑑賞するかのように。


「アレン!」

 セレスティアは、思わず叫んだ。


 だが、ロードは、動じなかった。

 彼は、俺は、セレスティアを背に庇ったまま、静かに、そして、異常なほど冷静に、迫りくる敵を見据えていた。


 一体目の審問官が、ロングソードを振り下ろしてくる。

 速い。王都の騎士団の、誰よりも洗練された一撃。

 だが、俺の目には、その刃の軌道が、まるでゆっくりと流れる水のように、見えていた。

 俺は最小限の動きで、体を捻ってそれをかわす。

 そして、すれ違いざま、錆びた剣が、審問官の鎧の隙間――首筋を、正確に捉えた。

 声もなく、一体目の黒い鎧が、床に崩れ落ちる。


「なっ……!?」

 後続の者たちが、一瞬、怯んだ。


 その隙を、俺は見逃さない。

 踏み込み、薙ぎ払い、突きを放つ。

 流れるような、一連の動き。

 それは、もはや、人間の剣技ではなかった。

 死の舞踏。

 骨の体が、痛みも、恐怖も、疲労も知らぬが故に、辿り着ける、効率化の極致。


 次々と、黒い鎧が、血飛沫を上げて倒れていく。

 大聖堂の、美しいモザイクの床が、瞬く間に、赤黒く染まっていった。


 セレスティアは、その背中を、ただ、呆然と見つめていた。

 強い。

 彼女の知る、生前のアレンよりも、遥かに。

 だが、その剣は、あまりにも、悲しかった。

 そこには騎士としての誇りも、守るべき者のための情熱もなかった。

 ただ、敵を排除するためだけの、冷たい、機械のような正確さがあるだけだった。

 彼は、この数年間、どれほどの、孤独な戦いを、続けてきたのだろう。


「……ちっ。使えぬ奴らめ」

 ギデオンが、初めて、舌打ちをした。

 彼は自らの剣を、ゆっくりと鞘から抜いた。

 その刀身は黒く、光を吸い込むような、不気味な輝きを放っている。

「――よかろう。ならば、この私が、直々に、神の裁きを下してやろう」


 ギデオンが、動いた。

 その動きは、他の審問官たちとは、次元が違った。

 まるで床を滑るかのように、一瞬で、俺との間合いを詰めてくる。

 黒い剣が、残像を伴って、俺の頭蓋を狙った。

 俺は、咄嗟に剣で受け止める。


 ガキィィン!


 凄まじい衝撃。俺の骨の腕が、軋んだ。

 重い。こいつ、ただ者ではない。


「ほう。今のを防ぐか、骨の化け物め」

 ギデオンは、笑みを浮かべたまま、さらに、連撃を繰り出してきた。

 俺は、その猛攻を、防ぐので、精一杯だった。

 剣と剣が、火花を散らす。

 一撃、一撃が、致命傷になりかねない、死線のやり取り。


 その時だった。

「――光よ、彼の者を、縛めたまえ!」


 セレスティアが、叫んだ。

 彼女の手から、聖なる光の鎖が、放たれる。

 だが、その鎖が向かったのは、俺ではなかった。

 ギデオンだった。


「なに!?」

 ギデオンは、咄嗟に後ろへ跳び、光の鎖をかわした。

 だが、その一瞬の隙が、俺に、好機を与えた。


 俺は、ギデオンから距離を取ると、セレスティアの腕を、掴んだ。

 骨の、冷たい感触。

 彼女は、驚いたように、俺の顔を見上げた。


『――イケ』


 俺は、思念で、短く、告げた。

 そして、彼女の体を、聖堂の、巨大なステンドグラスへと、突き飛ばした。

「きゃっ!」


 ガッシャァァン!


 ステンドグラスが、色とりどりの破片となって、砕け散る。

 セレスティアの体は、そのまま、聖堂の外、夜の闇へと、投げ出された。


「王女様!」

 外で待機していた、ジェラール卿の、声が聞こえる。

 馬の、いななき。

 どうやら、無事に、受け止められたらしい。


「……逃がしたか。だが、まあ、いい」

 ギデオンは、怒るでもなく、ただ、つまらなそうに、肩をすくめた。

「堕ちた聖女は、いずれ、捕らえればよい。まずは、目の前の、最大の異端を、処理せねばな」


 彼の殺意が、再び、俺へと集中する。

 審問官たちが、再び、包囲網を、形成し始めた。


 俺は、セレスティアが消えた、夜空の穴を、一瞥した。

 そして、剣を、構え直す。

 これで、いい。

 彼女は、もう、俺の復讐に、巻き込むわけにはいかない。

 彼女には、彼女の、信じる道があるはずだ。


 だが、俺の道は、ただ一つ。

 この、地獄の、その先へ。


 俺は、一人、向かい来る、黒い軍勢へと、歩みを進めた。

 今夜は、長い夜になりそうだった。

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