第26話:地下の協力者

 リリアと名乗った侍女は、カシムが送り込んだ、彼の孫娘だった。

 スラムで生まれ育った彼女は、その身軽さと度胸を買われ、幼い頃からカシムの情報収集を手伝っていた。

 オルティスの弾圧が始まった時、カシムは先を見越し、彼女を表の世界へと送り込んだ。

 侍女として城に仕えさせ、いつか来るべき時のための、「目」と「耳」とするために。


 その「時」が、今、来たのだ。


 俺は、カシムの隠れ家で、リリアからの報告を待っていた。

 彼女が、無事にセレスティアに接触できたか。

 そして、セレスティアが、俺の誘いに乗ってくるか。


「……上手くいきましたぜ、団長」

 しばらくして、隠れ家に戻ってきたカシムが、満足げに笑った。

「リリアの報告じゃ、王女様は、手紙を読んだ後、一人、部屋で覚悟を決めておられた、と。……必ず、来ます」


『……ソウカ』

 俺は、壁に立てかけておいた錆びた剣を、手に取った。


 賭けだった。

 セレスティアが、俺の手紙を、ギデオンやオルティスに突き出す可能性も、十分にあった。

 そうなれば、大聖堂は、何百という兵士が待ち構える、俺の処刑場と化すだろう。

 だが、俺は、賭けた。

 彼女の中に残っているはずの、アレン・ウォーカーという男への、信頼に。

 そして、彼女自身の、真実を見極めようとする、その強さに。


 カシムが、心配そうに言った。

「……しかし、団長。本当に、よろしいので? 大聖堂は街の中心。宰相の犬どもが、うろついております。あまりに、危険が……」


 俺は、黙って首を横に振った。

 危険は、承知の上だ。

 だが、王都の地下には、俺たちだけの道がある。


 俺は、カシムに、一枚の古い地図を広げて見せた。

 斥候の兵士から得た、王都の地下水道の地図だ。

 それは、迷路のように複雑に入り組み、王都のあらゆる場所へと繋がっていた。

「……これは……」

 カシムが、目を見張る。


 俺は、指で、一つの地点を示した。

 この隠れ家から、大聖堂の真下まで、一本の細い水路が、通じている。

 古い、忘れられた水路だ。

 俺は、この道を使って、誰にも知られず、聖域へと侵入するつもりだった。


「……なるほど。これなら、奴らの目を眩ませることも……。ですが、団長、お一人では」

『ヒトリデイク』

 俺は、羊皮紙に、そう書き付けた。


 これは、俺と、彼女だけの、対話だ。

 バルドたちを、巻き込むわけにはいかない。


 約束の刻限まで、まだ時間があった。

 俺は、カシムの隠れ家の奥、薄暗い地下室で、静かにその時を待った。

 壁には、何枚もの羊皮紙が貼られている。

 オルティスの私兵の配置図。交代の時間。幹部の名前。

 この数日間で、カシムとリリアが集めた、血の通った情報だ。


 カシムは、その地図に、新たな情報を書き込みながら、ぽつり、と呟いた。

「……先代団長……貴方様の、お父上は、よく、ここへお見えになりました」

 俺は、顔を上げた。


「……いつも、難しい顔をしてな。酒も飲まず、ただ、街の噂を、聞いていかれました。『カシム、この国は、少しずつ、病にかかっているのかもしれん』……それが、口癖でしたな」

 老人の目は、遠い過去を見ていた。

「……病の正体が、あの狸親父だったとは……。気づいてやれなかった。それが、儂の、生涯の悔いですだ」

 その声は、深く、重かった。


 俺は、何も言えなかった。

 ただ、懐で、父親の日記が、ずしりと重く感じられた。

 この復讐は、もはや、俺一人のものではない。

 父の、そして、カシムのような、全てを奪われた者たちの、想いを背負っている。


 やがて、壁の隙間から差し込む月光が、床の一点を照らした。

 刻限だ。


 俺は、静かに立ち上がった。

 フードを目深にかぶり、錆びた剣を背負う。


「……団長」

 カシムが、俺を呼び止めた。

 そして、一枚の、黒い外套を差し出した。

「……お気をつけて。……今度こそ、死んでくれるなよ」

 それは、ぶっきらぼうな、だが、心からの言葉だった。


 俺は、無言で、その外套を受け取った。

 そして、地下水道へと続く、暗い穴の中へと、その身を滑り込ませた。

 冷たく、澱んだ水の匂いが、俺を迎える。


 地上では、聖女が、俺を待っている。

 そして、この街の闇の中では、無数の敵が、牙を研いでいる。


 どちらも、望むところだった。

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