第2章 沈黙の魔女、黒紙片を拾う
夕刻の廊下は、誰もいないのにざわめいていた。
灯りの魔石が一つ、ふと揺らいだ気がした。
リリア・アルベルタは足を止める。
その視線の先――床の上に、黒い紙片がひらりと落ちている。
風は吹いていない。にもかかわらず、その紙は小さく震えていた。
彼女はしゃがみこみ、慎重にそれを拾う。
指先に触れた瞬間、微かな魔力の脈動が走った。
――術式。だが、単純な呪いではない。
紙の表面に、淡く赤い文字が浮かび上がる。
《沈黙の魔女に告ぐ。見ているぞ》
心臓が跳ねた。
まさか、自分の正体が――?
息を呑み、すぐに周囲を見渡す。
廊下の角、誰もいない。窓は閉ざされ、カーテンは静止している。
震える指で紙を折りたたみ、袖口の奥に隠した。
胃の奥で冷たい痛みが広がる。
(落ち着け。深呼吸。息の節を数える……)
四拍目で呼吸が戻る。
魔力の流れを感じる。
――どこか、近くに監視の視線がある。
天井の梁。壁の継ぎ目。
彼女は何気なく、落とした羽ペンを拾うふりをして、足元の魔法陣を描いた。
透明な霧のような視界が展開する。
それは〈探知結界〉。空気の歪みを可視化する術。
廊下の奥に、わずかに揺れる影がひとつ。
姿はない。けれど確かに、誰かが――見ている。
◇◇◇
その夜。
寮の窓辺で、リリアは紙片を開き、再び眺めた。
魔力の残滓を解析する。
構造は二重――外殻は警告用、内層は通信式。
誰かが、彼女の反応を“見て”いる。
(ならば、見せない)
紙を静かに折りたたみ、魔力で包み込む。
呪文は唱えない。
沈黙のまま、熱を作り出し、灰に変える。
煙も出さない完全燃焼。
――終わった、と思った瞬間。
灰が風に乗らず、空中で停止した。
それは再び文字を描き出す。
《試験は合格だ。沈黙の魔女。次は“声なき対話”を始めよう》
リリアの手が、震えた。
(これは……挑発? それとも、試験?)
“声なき対話”――その言葉の意味を探る前に、灰が消えた。
◇◇◇
翌朝。
学園はいつも通り賑やかだった。
ミレイユが手を振る。「おはよう、リリア!」
リリアは微笑んで、軽く頭を下げた。
――昨日の紙のことは、誰にも言えない。
教室に入ると、前の席にカイルがいた。
彼は昨日より少し柔らかい声で言った。
「君の無詠唱、やはり只者じゃないな。……昨日、講堂で助けたのは君だろう」
リリアは反射的に否定の仕草をした。首を横に振る。
「……」
「そうか。まあ、誰がやったにせよ、助かったのは事実だ」
カイルはそう言って笑った。
だがその目は、どこか探るように細められていた。
講義のあと、リリアは図書室へ向かう。
“声なき対話”――その言葉の記述を探すために。
◇◇◇
図書室は王城の一部を模した古い建物で、
棚の間に浮遊灯が漂っている。
“声なき対話”の項を探して、古文書を開いた。
そこに書かれていたのは、古代の魔術。
――言葉を介さず、心の波長で会話を行う術。
ただし、術式は危険を伴う。相手の心に干渉すれば、人格すら崩壊する。
禁術指定。
リリアはページを閉じた。
背筋に、冷たいものが走る。
(誰かが、私と“心”で話そうとしている……?)
その瞬間、視界の端で影が揺れた。
黒衣の人物。
棚の向こうから、低い声が聞こえた。
「沈黙の魔女――リリア・アルベルタ。ようやく見つけた」
彼女の手が杖に触れる。
呼吸を整える。四拍。
言葉はいらない。沈黙のまま、戦える。
炎の代わりに、風を。
叫びの代わりに、無音の衝撃を。
静寂の中で、彼女の魔法が解き放たれた。
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