第2話 天界のお仕事

 こうして、私はルシエルと名付けられた。


 しかし……なんだか堕天使ルシファーのもじりのような気がするが、考えすぎだろうか。新人類創造プロジェクトのサンプル第1号に付ける名前にしては挑戦的にすぎる。そして名付け親は天使長メタトロンだ。それを踏まえると、彼からはそこはかとなく意地の悪さを感じる。こちらを見下しているのがありありだ。


 まあ、意地悪な上司というのは古今東西どこにでもいるものだ。前の会社でも、私が効率化したシステムを「余計なことをするな」と言いながら、結果が出ると「私の指導の賜物たまものだ」と言い張る部長がいた。


 ただ、天使がそのレベルというのは少し残念ではある。


 まあいい、ルシエルという名前は気に入った。響きも美しいし、意味も悪くない。フランス語では「青空」を意味するのではなかったか。天にいるかのように開放的な名前なのはいいことだ。




 それはさておき、私には監視役の天使がついた。名前はケルビー。絹のような金髪を後ろで結び、青い瞳は真っ直ぐでどこか頑固そうだ。純白の天使服は彼女の小柄な体型にぴったりと合わせて仕立てられている。


「えっと、このたび監視役をおおせつかりました! ケルビーです! よろしくおねがいしますね、ルシエルさん」


 いかにも「張り切っている新人」といった風情で、手には監視マニュアルらしき分厚い本を大事そうに抱えている。おそらく初めて任された重要な任務なのだろう。




 そんなケルビーに連れられて、私は天界の事務棟へ向かった。


 なるほど、天界といえども事務作業は存在するらしい。廊下を歩いていると、翼をたたんだ天使たちが忙しそうに書類を持って行き来している。


「……いったいなんの事務仕事をしているんですか?」


 さっそく私は聞いてみた。早く天界の仕事が知りたい。


「旧人類失敗原因の徹底解析をしているんです。滅亡前から蓄積してきた100億人を超える人生データから『なぜ自滅したか』を分析し、新人類創造プロジェクトに役立てます」

「ほう……それは面白そうですね」

「うええ……? 口で言うほど簡単じゃないですよー。それはもうすっごい量の資料があるんですから」


 すると彼女は小走りで廊下を走り、「あ、ルシエルさん! こちらです!」と手を振ってくる。

 そうして案内された部屋は——



「これは……」



 思わず呟いてしまった。そこは書類の海だった。床から天井まで積み上げられた紙の山が、部屋を迷路のように仕切っている。これが100億人を超える人生データなのだろう。こんな部屋がいくつも存在するのではないだろうか。いったい何百年かかることやら。


 当然ながら、私もこの書類仕事を任せられるだろう。単調で途方もなく、繰り返しの多い作業になりそうだ。それにも関わらず、私は胸が踊っていた。こういう仕事こそさばきがいがあるというもの。



「いいですね! さっそく取りかかりましょう」



 驚くほど元気いっぱいな私の様子に、ケルビーは目をぱちくりとした。


「……ルシエルさんって変わってますねえ」


 呆れた視線を向けられながらも、私は書類の山に分け入っていく。

 まずは適当に、一人分の人生データを読み込んでみる。


 こんなふうに一人の人間を長期間にわたって追跡するのは、現実では難しい。特に心理学の研究においては何年、時に何十年もかけてデータを集めないといけないので、研究者の忍耐力も試されるし、研究対象者が脱落してしまうリスクもある。こういう長期間のデータが100億人分もあれば有益なパターンを見つけることは容易たやすいだろう。


 いやはや素晴らしい!


「ふむふむ……これは興味深い」


 どんどん目を通していきながら、私は隣で鉛筆を走らせているケルビーを見やる。資料とメモ帳を交互に見ながら、うんうんうなりながら何かを書き込んでいる。まるで図書館で論文を書こうとしている大学生みたいに。


 もしかして……と、私はずっと思っていた疑問を口にする。


「手作業なんですか? このデータの分析を、すべて?」

「……へ? そうですよ?」


 なにを当たり前のことを、と言いたげにケルビーは答える。


「……どうして? 転生装置のようなハイテク機器があるのなら、高度なデータベースがあってもよいのでは?」


 そう言うとケルビーはきょろきょろと周囲を見渡し、声を潜めて言った。


「転生装置は神様が直接設計された神聖な技術です。それ以外の業務については手作業でやるのが尊ばれています。私達は伝統を重んじるんです」


 その返答に私は目をぐるりと回してしまう。


 ああ……そう、伝統ね。


 そこで私は苦笑いを浮かべた。まったく、意味のない伝統にしがみついて進歩をはばむなんて、まるで日本の……いや、これ以上はやめておこう。本当に価値のある伝統と、ただの慣習を区別できない人たちにはうんざりする、とだけ言わせてほしい。


 できればケルビーに書類のデジタル化を提案したいところだが、今日の私は出社初日の非正規雇用者みたいなものだ。いきなり大それたことを言っても拒絶されるのは目に見えている。だから今日のところは、大人しく伝統に従うとしよう。


「あの、ケルビーさん。データを分類するためのマニュアルはありますか?」

「あ、最初にお渡しするべきでしたね。これです」


 そうして渡されたマニュアルに目を通してみると、



【死因分類表】

・戦争関連

・環境問題関連

・社会問題関連

・個人的問題

・その他



 その時、私が思い出したのは人生で最も酷いプログラムのコードだった。意味不明な変数名(コメントなし)、悪夢のような条件分岐、同じ処理を何十回もコピペしてるコード……そんなものに出会った日にはまるで地獄だ。


 そしてこのマニュアルについては、カテゴリの分類が曖昧あいまいすぎる。いくら天界に来たばかりの新人だからといって、これに黙っているわけにはいかない。曖昧あいまいなマニュアルで困るのは、結局みんなだ。早急に是正ぜせいしなければならない。


 とはいえ、言い方には気を配らねば。私は新人だ。そして新人には、新人にしかできないことがある。


「すみません、『社会問題関連』って、経済格差が原因の自殺はどこに入るんですか?」

「うーん……経済だから個人的問題? でも社会の仕組みが原因だから社会問題?」

「『戦争関連』も、戦争で家族を失った心的外傷が原因の場合はどちらに?」

「それは戦争関連でいいんじゃないかな」

「この『その他』の山は何ですか?」

「えっと……分類に迷ったものは全部『その他』に入れてるんです。全体の60%くらいが『その他』になってしまって」


 このようにして私は質問を重ねていく。


「『環境問題関連』と『社会問題関連』の区別がよくわからないんです。気候変動による食糧難は環境? 社会?」


 そこでついに、彼女はため息を吐いた。



「マニュアルが曖昧あいまいすぎます……!」



 よしよし。ようやくケルビーの本音を引き出せた。私は満足げに微笑む。


「ええ、私もそう思っていました。いかがでしょう――」


 拳を固めながら、私は満を持して提案した。


「まず、『直接要因』と『間接要因』に大別するんです。階層構造による分類ですね」

「かいそう……?」

「ええ、例えばこんなふうに」



【直接要因】(実際の死因)

├ 物理的破壊(戦争、環境災害、事故)

├ 社会崩壊(インフラ停止、治安悪化、医療崩壊)

└ 個人的行動(自殺、病気、過労死)


【間接要因】(背景・根本原因)

├ 構造的問題(政治システム、経済格差、法制度)

├ 情報・心理(偽情報、PTSD、絶望、孤立感)

└ 社会関係(教育格差、コミュニティ崩壊、家族問題)



「あ……すごいわかりやすいですね」


 まるで魔法を見ているかのようなケルビーの表情に、私は内心でほくそ笑む。やはり、適切な分類法というのは美しいものだ。


「さらに複数タグ付けシステムをおすすめします。例えば一人の人間が複数の要因で亡くなる場合がほとんどです。『戦争で家族を失い→うつ病→自殺』なら」



タグ:[戦争][うつ病][社会支援不足][自殺]

重み:戦争70%, うつ病20%, 社会支援不足10%



「こ、こんな方法があるなんて……!」


 ますますケルビーは目を輝かせる。


「確かにこの方がより正確な分析ができるかも……」


 でも、とケルビーは困ったように頬に手を当てる。


「せっかくタグを付けても、検索できなければほとんど有効に活用できませんね」

「そこに気付くとはさすがです。ええ、本当に残念です。間違いなく天界全体の作業品質向上に繋がるはずなんですが……」



 しばらく、沈黙があった。



 言うなれば、私は新人という立場を逆に活かして、「わからない部分があるので勉強させてください」という姿勢で相談したわけだ。単に「このマニュアル、わかりにくいです」とネガティブな指摘をするより相手も受け入れやすくなる。


 さて、ケルビーはどう出るか……



「あの……もしよければ、この新しい分類方法、まず私たちだけでこっそり試してみませんか? いきなりメタトロン様に相談しても一蹴いっしゅうされる気がして」

「私たち、というのは?」

「えっ?」

「他の天使たちにも教えてあげたほうが良いかと思いまして。無駄に判断に迷うことも少なくなりますし」

「はい……はい、そうですね! 教えてあげれば喜ぶと思います!」


 それから彼女は妙案を思いついたとばかりに付け加えた。


「評判になればメタトロン様も動くかもしれません」



 その言葉を聞いて、私は心からこう思った――監視役がケルビーで良かったと。


 よくあることだが現実には、新しいやり方を提案しても「十分検証できてない」「複数の部署をまたぐから面倒くさい」「ミス対策でできたルールだから変えられない」などと言われることの方が多い。特に組織が大きくなればなるほど、変化を嫌う人は増える。


 そう考えると、ケルビーは本当に仕事をよくしたいと思っているのだろう。私はそういう人間と働くのが好きだ。


「もう少し分類サンプルを作ったら、他の天使たちにも教えに回りましょう」


 そう言ってケルビーは鼻歌交じりに作業へ戻る。単調な書類仕事にほんの少し工夫できる点を見つけたので、楽しくなってきたのだろうか。




 そして数時間後——


「あ、もうこんな時間! ルシエルさん、お疲れ様でした! お昼ご飯、一緒にいかがですか?」

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