最終章 二人でいること

「また、『灰病』か……」

「これで何人目だ?」

「私、怖くて外に出たくないわ……」

 街ゆく人々の顔は暗く、その街を支配する空気は酷く淀んでいる。

 この街だけではない。日本全国が、このような状況になっていた。

 五人のアニティエーラーを倒した次の日から、妙な病が日本中で流行り始めたのである。

 前触れもなく突然人の体が灰のように変化し、たちまち存在が消えていく病。

 付いた名前は『灰病』。

 老若男女問わず、この病に侵される危険がある。抗える手立ては一切なく、病と言って良いのかすら危うい。

 何かの呪いなのかもしれない。人々の間ではそう囁かれていた。

 日本中の神主がお祓いをしたが、良くなることはなく。

 原因究明のために名だたる医者や科学者が精を出したが、皆お手上げだった。

 人々は、不安と混乱の渦にたちまち吞まれていった。

 灰病が流行り始めてから、一か月ほど経過したある日。

 冬の到来が本格的になり、東北地方では雪が積もり始めた頃、それは起こった。

 全国のテレビの放送局、家電量販店に並ぶテレビ、多くの人が持つスマートフォンやタブレット。その他、駅の電子広告掲示板など、ありとあらゆる電子機器がジャックされて、その画面にはとある一人の男を映し出した。

 もちろん、アニミーハンターの京都本部のモニターも同じだった。

 その男はフードをかぶっており、口元しか見えない。

 日本中の人々が不審に男を見つめる中、男はようやく口を開いた。

『私の名は刻月。私が、件の灰病を起こしている者だ。全ては、この世界を救うために』

 日本中がざわついた。

「何? 映画の撮影?」

「ドッキリとか?」

「手込んでるねー」

「あ、こんなことしてる場合じゃない」

 興味津々で画面を見続ける者、すぐに興味をなくしてその場を去る者、あれやこれやと憶測を話す者。

 様々な対応を見せていた。

『アニミーハンター諸君、止めたくば、月光教会へ来い。手厚く歓迎してやる。が、来られるものならな』

 刻月は口の端を不敵に上げる。

 そこでブツンッと配信が切れる。

 真っ暗になった画面を、人々は呆然と見続けていたが次第に呆れた声が聞こえてくる。

「これだけ?」

「ちょっと面白かったのになぁ」

「ていうか何だっけ……、あ、そうそう、あにみーはんたーって何?」

「やっぱ映画か何かの撮影じゃない?」

 人々がまた動き出す。その時だった。

「ね、ねぇ、何、あれ……」

 一人の女子高生が、どこかを指差して隣の友達の袖を引っ張る。

「えーなにぃ?」

 しかし隣の女子高生は、スマホの画面に視線を貼り付けたまま顔を上げない。

「ねぇちょっと、ねぇってば!」

「だから何──」

 その時、凄まじい地鳴りが人々襲う。それは立っていられないほどで、人々は地面に膝を付いた。

「な、何よ、あれ……」

 地鳴りの先には、四つ足の巨大な怪物がいた。口から覗き出る鋭い牙は二本どころではなく、ズラリと隙間なく並んでいる。

 しかもその怪物は一体だけではない。ざっと見ただけでも十や二十、それ以上だった。それらの怪物が何もない所から突如出現しているのだ。

「きゃああぁぁ!」

「うわぁぁ!」

 人々はその怪物を目にした瞬間、パニックに陥り逃げ惑う。しかし、人が多すぎてぶつかり合ってなかなか進まない。それが人々の混乱に拍車をかける。

 そして遂に人々の群れに、怪物、アニミーが到達し、蹂躙を始める──。



「報告します! 日本全国でアニミーが出現しました! 人々が次々に襲われています! 近くにいたアニミーハンターが戦っていますが、アニミーの数が多すぎて対応しきれません!」

「……そうか」

 獅堂は眉をひそめて忌々し気に舌を打つ。

「獅堂!」

「天喰統帥!」

 会議室の扉を開け放って姿を現したのは、額に汗を浮かべた透羽と淳希だった。

 焦った声音で透羽が叫んだ。

「今どうなってる!?」

「アニミーが一般人を襲ってる。全部刻月の仕業だろうな」

 透羽は舌を打って会議室の長机に拳を叩きつける。

「っつーかどうして一般人にもアニミーが見えるようになってんだよ」

「それは多分、今までのアニミーとは何かが違うんだと思う。性質から何もかもが異なってると考えた方が良いかもな」

(ってことは強さも格段に強いって訳か)

 今も、京都本部の外からアニミーの気配がビシビシ伝わってきている。

 その魔力の強さは今までと比にならない。

(多分、一体一体の等級は参か肆って所だ。その中に伍も平気で混じってやがる)

 透羽はたまらず舌を打った。

「そこで、だ。全国のアニミーを一か所に引き付けて俺が相手をする」

「「なっ!?」」

 淳希と透羽は言葉を失った。

(いくら獅堂と言えど何百体もいるような、しかも等級肆や伍のアニミーを相手にしたら……!)

 獅堂の強さがあっても、無謀というのに近いその戦略。すぐさま透羽は異議を示す。

「そんなのダメだ! いくら獅堂でも無事じゃ済まねぇ! 俺が、俺が一緒に戦う! だから──」

「透羽には、いや、二人には月光教会に行って欲しい」

「っ!?」

 透羽と淳希は目を見開く。透羽がすぐに抗議の声を上げた。

「何でだよ!? 普通逆だろ! 俺がアニミーの相手をする! だから、獅堂が刻月の相手を──」

「適材適所だ。俺は大量のアニミーを相手に出来るほど魔力が大きい。透羽、逆に透羽は膨大な魔力を一気に放って強力な一発を繰り出すのが得意だ。それはボス戦に向いてる。だから、な」

 獅堂は透羽の頭をポンポンと撫でる。

 そうすると、透羽は頭を差し出すようにゆるゆると下を向いた。

 そして、透羽は悔しそうに下唇を噛み締める。

(その顔を、天喰統帥には見せたくなかったんだろうなぁ)

 淳希は、透羽の悔しそうな表情を見て胸の内が痛んだ。

「……分ぁったよ。俺が刻月ん所に行く」

「ありがとな。怪我が治ったばっかなのに、無理をさせる」

「んなことどうでも良いんだよ。それより、ピンチだったら俺んこと呼べよ。絶対だからな」

「うん、約束する」

 そう言うと、透羽は顔を上げて少しだけ笑った。すぐに真剣な顔に戻り踵を返すと、会議室を出ようと足を向ける。

「淳希」

 獅堂は、透羽の背を追って出ていこうとする淳希を呼び止め、淳希にだけ聞こえる声で囁いた。

「透羽をよろしく。透羽にとっては辛い戦いになるかもしれない。透羽を生かすも殺すも、淳希にかかってるから」

 獅堂はウィンクをして、頑張って来いと言うように淳希の背中をトンッと押した。

「行ってきます」

 淳希はそう言うと、透羽の背を追いかける。

 獅堂はその姿を見送ってから、大きく伸びをした。

「さぁて、俺も大仕事すっかなぁ。力を貸せよ、悪魔」

 獅堂の言葉に応えるように、獅堂の魔力が上がっていく。

 その状態に外に出ると、大量のアニミーが既に集まって来ていた。これも、まだ一部分なのだろう。

(これは、かなり骨が折れるな)

 刻月を倒せばアニミーは消えるだろう。しかし、刻月がいる限りアニミーは生まれる。つまり、二人が刻月を倒すのが先か、獅堂が魔力切れで死ぬのが先か。

 全ては、二人にかかっている。二人には、大きな物を背負わせちまった。

「世界を頼む、二人とも」

 不気味に暗い空に向かって、獅堂は小さく呟いた。



「こりゃマジでヤベェな」

 至る所にアニミーが蔓延っていて、それはまるで世界を破壊しに来た兵器のように見えた。街はボロボロで、傷ついた人々が道端で蹲っている姿が、数えきれないほど視界に入る。

(早く刻月を倒さねぇと)

 二人は道中にいるアニミーを、魔力を使わずに倒せる分だけ倒しながら、月光教会に向かって駆けていった。

「はっ、間違いねぇ。ここだ」

 月光教会。

 古い建造物が立ち並ぶ京都の街並みからは浮いた、西洋風の見た目の教会。

 初めて来た場所だが二人が迷うことなく目的地に着けたのは、背筋を凍らせるような強大な魔力を発している箇所があったからだ。

 首が痛くなるほど見上げればやっと教会の屋根が見えるほど、巨大な建造物。

 白く清潔感のある教会だが、中から発せられる魔力は禍々しい。外壁は、何年も手入れされていなかったかのようにツタが絡んでいる。

 教会の後ろにはちょうど、血のように赤い月が浮かんでいた。

「行くぞ」

 透羽と淳希は目を合わせて一つ頷く。

 ギィィと怪しい音を立てながら、巨大な扉を押し開けた。

「よく来たな。アニミーハンター」

 中から地を這うような低音の声が飛んでくる。すると自分の手元さえ見えない程に暗かった教会内が一気に明るくなった。

 壁に等間隔で並べられたロウソクに炎が灯されて、影がゆらゆら揺れている。

「テメェが、刻月か」

「あぁそうだ」

 刻月はゆるりと玉座から立ち上がり、目深に被っているフードを取った。

「っ!」

 鼻に大きな傷跡があるその男は、年齢にすると四十代くらいだろうか。

 綺麗な白髪に黒髪が所々混じっており、歳を実年齢よりも遥かに若く感じさせた。

 下手すると、三十代と言っても良いくらいだ。

 しかし、男から感じる貫禄がそう思わせない。

 数々の修羅場を潜ってきたかのようにその男の眼光は鋭く、目を向けられただけで動けなくなるようだった。

 淳希はゴクリと唾を飲み下す。

「……透羽?」

 淳希は、いつまで経って刀を抜かない透羽を不審に思い、声をかける。

 相手の魔力が大きいからと言って動けなくなるほど、透羽はやわではない。

 透羽の顔を覗き見ると、その瞳は恐怖で染まっていた。淳希は思わず絶句する。

(何でだ。どうして。今までどんなアニミーと相手をしても恐怖なんて見せなかったのに。確かに、相手の魔力は凄いけど、透羽だって負けてないのに)

 淳希は透羽の肩に手を置いて呼びかける。

「透羽、どうし──」

「何で、ここに……」

 透羽は呆然と刻月を見つめていた。それから、透羽の体がガタガタ震えているのが、淳希が触れている肩から伝わってきた。

「ど、どうしてここにいるんだ!? 父さん!」

(父さん? 今透羽は刻月のことを父さんと呼んだのか……?)

 淳希は慌てて刻月にもう一度視線を向ける。

 綺麗な白い髪の毛。確かに、サラサラとした髪質は透羽に似ている。

 それに瞳の色も、透羽と同じく血のように紅い。そして何より、刻月から発せられている魔力も──。

「久し振りだな、透羽」

 刻月はそう言って笑った。

 肯定、だった。刻月は、透羽の父親であるということの。

 アニミーの被害者で、透羽に消えることのない傷を作った元凶。

「少し、昔話をしようか」

 そう言って、刻月は自身の過去を語った。



 刻月は、元アニミーハンターだった。

 透羽に暴力を振るうようになって、透羽が家から出て行った後に刻月は、児童虐待の罪で刑務所に入れられた。

 刑務所にいる間に、どこかで刻月に感情を過剰に与えたアニミーが討伐されたのだろう。

 非常に呆気なく、正気に戻った。

 しかし、刻月のしたことは消えない。

『子供に危害を加えるなんて、アニミーハンター以前に、人間として失格だ』

 刑務所には、天喰獅堂統帥から刻月当てに、そんな手紙が届いた。

 刻月は天喰獅堂統帥から、アニミーハンターをクビにされたのである。

 元々、刻月はアニミーハンターとしての才能はなく、周りからバカにされ続けていた。

 そのため、アニミーハンターをクビになった時はそれらから解放されると思い、嬉しく感じた。

 しかし、次の職場を見つけるのが物凄く難しかった。

 当たり前だ。前科持ちなのだから。

 当てもなく彷徨っていると、刻月は一体のアニミーに出会う。

 好奇心でアニミーに向かって会話をすると、何とアニミーは刻月の言うことを理解し、言うことを聞いたのだ。

 そこで刻月は、アニティエーラーと言う存在を知った。

 アニミーを自分の意志で操ることが出来る能力を持った人間。

 刻月はこの力で自分をコケにしたアニミーハンターを殺すと決めた。この力があれば、アニミーハンターだって怖くない。

 そして、強大な力を手に入れた刻月は、まだ小さかった復讐の炎を次第に大きくしていく。

 刻月は、自分の理念に反対し、妨害する者も全て殺した。

 そして新しい世界を創ると決めたのだ。誰も自分を虐げることのない。誰もが自分を必要とする世界。

「私が、その世界の王となる」



「そんなことのために……!」

「そんなこと? 私の大義をそんな風に言わないで欲しいなぁ。世界を新しくするんだ。神と呼んで欲しいくらいだ」

 刻月は不敵に口角を上げる。淳希はギリッと拳を握った。

「君たちもアニティエーラーと対峙しただろう。五人のアニティエーラーは私の良い駒だった。あの五人の命を使って、灰病を流行らせることが出来たんだから。倒してくれてありがとう」

「っ!」

 その瞬間、透羽は二本の刀を鞘から素早く抜き去ると、刻月へ一気に距離を詰めた。

 ガンッと激しい音が鳴り透羽の刀を防いだのは、一体の人型のアニミーだった。

 透羽と同じように二本の刀を手に持っている。

「アニミーハンターになっていたなんて驚いたよ、透羽。透羽と戦えるなんて夢みたいだ。楽しい、凄く楽しいよ」

 刻月は顔を嬉しそうに歪める。

(父さんの纏ってる雰囲気は、俺が知ってるものじゃねぇ。過去の話の中で父さんは正気に戻ったっつってたが、今の父さんからは昔の優しかった面影が微塵も感じられねぇ。コイツは、父さんじゃねぇ!)

 透羽は震える自身の両腕を心の中で叱咤して、無理矢理震えを止める。

「はあぁぁっ!」

 透羽は、アニミーへ猛攻撃を仕掛ける。

 しかし、全て予測されているように攻撃がいなされた。

 それでも、透羽は攻撃を緩めることなく、アニミーと刀をぶつかり合わせる。

 メキッと音がしてアニミーの刀に亀裂が入った。

 透羽はアニミーが一瞬呆気に取られた隙を突いて、刃に魔力を溜めて斬撃として放つ。

 その斬撃は、アニミーを狙ったように見せかけて、背後にいる刻月を狙ったものだ。

 それでも、アニミーはすぐさま対応して刻月へ当たる前に斬撃を弾く。

(予想通りだ)

 透羽はその隙に、アニミーの背後に回って刻月の真正面に入り込む。

 これが透羽の狙いだった。

 透羽の攻撃を防ぐことに手一杯のアニミーの隙を突いて、刻月へ攻撃を仕掛ける。

 完全に裏を取った。

 透羽の刃が刻月の腹を斬りつける──その寸前で。

 刻月の背後にある巨大な時計から、ゴーンと地面ごと揺らすような大きな鐘の音が鳴り響いた。

 その瞬間、透羽の動きがピタリと止まる。そのまま微動だにしない。

「透羽!」

 淳希の呼びかけにも反応しない。まるで透羽の時だけが止まっているような。

 その間に、刻月は透羽に回し蹴りを食らわせる。

 その瞬間に、時の制止が解除された。

「がっは……!」

 透羽は物凄い勢いで吹き飛ばされ、教会の入り口の扉を破壊する。

「んだ、今のは……!?」

 刀を振ったはずなのに、急に体が動かなくなった。

 何事かと透羽の脳が分析する前に、気付いたら思いっきり扉に体をぶつけていた。

 もしかしなくても、今のは時間の制止。

 刻月の能力は、

「時間を操る、のか……?」

 淳希がポツリと呟いた。

「ご名答、流石は透羽の選んだバディだ」

 刻月は不敵に笑った。そのまま掌を透羽の方へ向ける。

 透羽は警戒に身を固くしたが、特に何も起こらず困惑する。

 すると今度は巨大な時計の針が、半時計周りに動いていく。

 そして九十度ほど動くと、また制止した。

(何か能力を使ったのか。透羽は、大丈夫か?)

 淳希が焦って透羽に視線をよこすと、透羽は淳希のことを不思議そうに見つめていた。視線が合うと、透羽は瞬きを繰り返している。

「どうした、透羽」

「……テメェ、誰だ。どうして俺の名前を知ってやがる」

 淳希は、息をするのを忘れていた。

 透羽の瞳はみるみるうちに不審に染まっていく。

 あの優しい眼差しは、すっかりなりを潜めてしまっていた。

「刻月! 透羽に何したんだ!」

「私が操れるのは身体的な時間だけじゃない。記憶もだ。今は透羽の中にある君に関する記憶を戻した。透羽がキミと出会う前までね。そして、君との今までの記憶はなくなった、というわけだ」

「っ!?」

 つまり、透羽にとって淳希は今初対面の人間である。

(あぁそうだ。今でもはっきり思い出せる。最初に出会った時も、透羽は今みたいに疑っているような、俺の出方を探っているような瞳をしてた)

 淳希は悔しそうに眉をひそめる。

「ただ、記憶の時を戻すのは一人にしか使えない。せめて二人だったら、君と透羽の記憶を戻して完全な他人に引き剥がせたのになぁ」

 残念だ、と言うように溜め息をつく刻月。

(よくも、よくも透羽の記憶をいじりやがって)

 人を弄ぶような刻月に、淳希は激しいイラ立ちを覚えた。

「刻月っ!」

 淳希は、拳に魔力を溜めて刻月に殴り掛かる。

 しかし刻月に拳が当たる寸前で割って入ってきた、正確に言うと淳希と同じく刻月に攻撃しようとしていた透羽と体がぶつかる。

「おいテメェ! なに邪魔してくれてんだ! 俺が刻月を倒すんだよ! 魔力がフツーのテメェは引っ込んでろ!」

「でも、息を合わせないと──」

「テメェと俺がか!? 出来るわけねぇだろ初対面だぞ! 碌に信用出来ねぇテメェに合わせるなんて、ぜってぇ嫌だね」

 透羽は淳希の胸倉を掴んでそう捲し立てると、ドンッと淳希を突き飛ばした。

(そうだ、俺と透羽は初対面)

 なかなか人を信じることが出来ない透羽に、初対面の奴を信じろなんて、淳希には言えなかった。

(それに、俺とバディだったなんて言っても、今のままじゃ絶対に信じてくれないだろうし)

 透羽の視線が冷たく、痛みを感じるほど淳希に突き刺さる。

(最悪だ。なんてことしてくれたんだ刻月。透羽に心を開いてもらうまで、かなりかかったのに。それを一瞬で無駄にしやがって)

 淳希は刻月を睨むと、刻月は愉快なものを見るように目を細めた。

「はぁぁっ!」

 淳希は、拳を握って刻月へ殴り掛かる。

 しかし、途中で時を止める能力を巧みに使われて全て躱されるし、途中で透羽が無理矢理割り込んでくるため上手くいかない。

 その時、背後から魔力の圧を感じた。

「さ、『参の拳・防拳攻魔』」

 淳希は、振り向きざまに防御バリアを展開するが全身を守るには間に合わず、太腿を切られる。

「ぐっ!」

 続けてアニミーは高く跳躍し、今度は透羽の背後に立つ。

(マズい!)

 透羽は、刻月の相手をしていて背後のアニミーに気付いていない。

「透羽ぁ!」

 普段であれば、淳希が名前を呼べばすぐに振り向くはずが、今の透羽は淳希の声に全く応えなかった。

 淳希は咄嗟に、アニミーと透羽の間に割って入る。勢いあまってドンッと透羽の背中にぶつかった。

「っ! おいテメェ! 何やって──」

 透羽が文句を言おうと振り向くと、そこにはアニミーの剣に腹を貫かれた淳希の姿があった。

 透羽は言われずとも、どうしてそうなったのかすぐに察する。

(コイツが、俺のことを庇いやがったんだ。何でだよ。初対面だし、しかも俺はコイツの名前すら知らねぇのに)

 そして透羽は、意識を青年に向けすぎた。

 振り向いたことで至近距離にいた刻月のことを完全に視界、いや、意識の外へと外してしまう。

「ぐっ!」

 背中にナイフが埋め込まれる感覚。遅れてやってくる熱。

 考えるよりも先に体が動き、透羽は目の前に倒れ込んでくる淳希の体を抱えると、すぐにアニミーと刻月から距離を取った。

「テメェ! 何してんだよ! 俺は悪魔憑きだから、あんくらいどうってことねぇんだよ! テメェが庇わなくたって俺は!」

 透羽は雑に淳希の体を揺らし、淳希にイラ立ちをぶつける。それと同時に、透羽は大いに戸惑っていた。

(何だ、何だこの気持ちは。コイツが傷付く姿を見てから冷や汗が止まんねぇし、そこを怪我してねぇのに、胸の内側が痛くて痛くて堪らねぇ)

 透羽は、堪らず胸の部分の服を握りしめる。

(すっげぇ嫌だ。コイツが傷付くのを見るのが。コイツが血流してるのを見るだけで、鼻の奥がツンとして痛ぇし目の奥が熱ぃ)

 すると淳希の手が透羽に向かって伸びてきて、透羽の頬にそっと手を添えた。そのことに、透羽は驚いてビクリと肩を震わせる。

「やっぱり、透羽は記憶が無くても優しいんだな」

 そう言って、淳希は花が咲くように笑った。それを見て、透羽は目を見開く。

(傷、ぜってぇ痛ぇはずなのに)

 透羽は、下唇を強く噛み締める。

「テメェ、治癒の能力は使えるか?」

「あぁ、一応出来るよ。でも、出来はそんなに良くないかな……」

「良い、それでも。自分に使え。俺が手助けしてやっから」

 透羽は、淳希の胸元に手をかざす。

 するとそこが黒く光り出し、ぼんやりと明るくなった。

「あったかい……」

 言われなくても淳希には分かる。これは、透羽の魔力だ。

 淳希は以前、どこかで聞いたことがあった。

 悪魔憑きは他人に魔力を渡すことが出来る、と。

 この話を聞いた時、「命の源にも等しい魔力を他人に与えることが出来るなんて、まるで天使みたいだ」と思った記憶がある。

「もう大丈夫だよ。『伍の拳・光楼白黒陣』」

 淳希が詠唱を口にした。透羽は淳希を地面に横たわらせると、無言のまますぐに刻月へ応戦しにいく。

 透羽の魔力の効果は凄まじかった。

 淳希は傷を治すのに時間がかかっており、しかも完全な治癒は出来ない。しかし、今は短時間で跡形もなく傷が治っていた。

 淳希はアニミーと戦っている透羽に目を向ける。

 今も、淳希に攻撃が飛んで行かない様に気を使って戦っているのが、ずっと一緒にいた淳希にはすぐに分かる。

(初対面の奴にも、透羽は優しいんだな)

 動けるようになって、淳希が立ち上がった時だった。

 また時計の針が反時計回りに回転していく。

 今度は百八十度動いて止まった。

(マズい。この技はまた──)

 しかし、避ける術が全く分からない)

 直接的な攻撃というよりは、脳に直接作用しているため、淳希の防御バリアも意味を成さない。

 淳希が急いで透羽に目を向けると、そこには棒立ちで突っ立ったままの姿の透羽がいた。

 すると透羽の手から刀が滑り落ち、カランと音を立てて地面にぶつかる。

(今度は、どこまで戻されたんだ)

 淳希は緊張した面持ちで口を開いた。

「透羽、大丈──」

「何、ここ……。どこ、暗い、怖いよ……」

 透羽とは思えないほどか細い声が、周囲に響き渡る。淳希はその声を聞いた途端、ハッとして地面を蹴った。

 無防備な透羽に向かって、アニミーが刀を振り下ろす。

 透羽を切り裂く寸前で、淳希は防御バリアを展開すると、透羽の体を抱きかかえて距離を取った。

「やっ……! 離して! 誰!? やぁだ! 怖いよ!」

 淳希の腕の中でジタバタ暴れる透羽は、姿はそのままでも中身は小さな子供そのものだった。

「痛い! 痛いよ! 俺怪我してる!? 何で!? 嫌だ!」

 透羽は、掌で先ほど刺された背中の傷を触ろうとしている。

 淳希は慌てて透羽の手を掴んで止めさせた。

 間違いない。どこまで透羽の記憶が遡ったのか、淳希はすぐに分かった。

「幼少期まで記憶を戻した。ちょうど、俺が暴力を振ってた頃だな」

 刻月が何でもないことのように淡々と言い放った。淳希は鋭く刻月を睨みつける。

(コイツは、人の心がない。コイツが、あんなに優しい透羽の親だなんて、到底信じられない)

 淳希は刻月への怒りをなんとか抑えて、腕の中の透羽に意識を向ける。

「大丈夫、大丈夫だから透羽。落ち着──」

「やだっ! 誰!? お兄さんも俺を殴るの!? 痛いのはもうやだぁ……! 家に帰りたいよぉ……!」

 透羽の取り乱しようを見て、刻月は笑みを深めるばかりだった。

 それを視界の端に捉え、舌打ちをしたくなる。

 しかし、透羽の手前、意地でも舌打ちをするわけにいかないので飲み下した。

 透羽の瞳からは、大粒の涙が次々に零れ落ちる。

(ダメだ、透羽は完全にパニックになってる。俺じゃ、俺じゃ透羽の恐怖を拭ってやるには役不足なのか。俺ではなく天喰統帥でないとダメなのか)

 淳希は、頭を強く振った。

(……いや、俺が透羽を助ける。俺が、透羽のバディだから)

 淳希は透羽の体を優しく抱きしめて、背中をさする。

「大丈夫だよ。何も怖くない。俺は透羽を、怖いことからも痛いことからも守りに来たんだ。だから安心して。俺に透羽を守らせて」

 すると透羽はぐずぐずと鼻をすすってはいるが、涙をそれ以上流すのをやめた。

 それでも必死に恐怖を堪えてはいるようで、下唇を噛んでプルプル震えている。

「大丈夫、すぐ終わるから」

 淳希は透羽の周りに防御バリアを展開すると、立ち上がった。

(そうだ、透羽を恐怖から解放するには刻月を倒せば良い。こんな透羽を苦しめる茶番は終わりだ。俺が透羽を怖がらせるものを、刻月を、殺す)

 淳希は、両手の拳を強く打ち合わせた。

 その瞬間、体内で魔力が爆発的に上昇して行く。

「な、んだその魔力は……!」

 刻月は目を見開いて固まった。

 今の淳希は、今までと比べ物にならない程魔力量が上がっていたからだ。

「なるほど。本来の魔力量よりもさらに先があるってことか。リミッターを外して本来の魔力量を解放する。君は悪魔憑き、ではないようだ。だとすると光属性の武器を扱えるのか」

 刻月曰く、人が武器を選ぶのではなく武器が人を選ぶのだと。

 そして、光属性の武器を扱えるのには素質がいるらしい。

 なんでも、生まれた時に膨大な魔力を有していることが必要だと。

 本来、魔力を隠すなんて芸当は出来ない。

 しかし、生まれた時に膨大な魔力を有している者、つまり、悪魔憑きか光属性の武器を操れる者だけはそれが出来る。

 しかし、そんな話をされても、今の淳希にはどうでも良かった。

(とにかく今は、透羽を怖がらせるコイツを倒す)

 淳希はそれだけを考える。

「刻月、アンタだけは絶対に赦さない」

 淳希は刻月の背後に回り込み、刻月の頭を鷲掴んで床に思いっきり叩きつける。

「ぐはっ!」

 何度も、何度も。地面がどれだけ凹もうが構わない。淳希は何度も叩きつけた後、そのまま刻月の体を持ち上げて鳩尾に拳をめり込ませた。

 その時、刻月の背後の時計にバキッと大きな音を立てて亀裂が入った。

 それは、淳希が刻月を殴るたびに広がっていく。

(な、なぜだ! なぜ私の時計にヒビが!?)

 それでも、淳希の猛攻撃が止むことはなかった。

「がはっ、ヒュッ、はぁ、はぁ……」

 刻月は額から血を流しながら、呆然と考える。

(どうして、こんなはずではなかった。こんなに強い奴が透羽や天喰獅堂の他にいたとは。報告には上がっていたが、大して注視していなかった。ただの普通の人間だと、思っていた)

「終わりだ」

 淳希が温度を感じさせない声音で呟いた。

 刻月の脳内では、警鐘がけたたましく鳴らされる。

「ア、アニミー! 私を守れ!」

 刻月の魔力の籠った言霊が吐かれるが、アニミーはその場から微動だにしない。

「おいアニミー! 聞いているのか!? 私を守れと言っているのだ!」

 刻月が何度試してみても結果は同じだった。アニミーは刻月の言葉に応答しない。

「『肆の拳・疾風殴華』」

 大きすぎる隙を作った刻月へ、淳希が技を繰り出した。

 刻月は最初ナイフで応戦していたが、いとも簡単に淳希の拳によってナイフが真っ二つに折られる。

 丸腰となった刻月に勝ち目はない。

 淳希は刻月の頬を思いっきり殴った。

「ぐはっ!」

 刻月の体は勢いよく飛んでいき、背後にある巨大な時計に激しくぶつかる。

 巨大な時計は、見るも無残に大破していった。

 刻月は体の至る所から血を流し、口から血を吐き出し地面を赤く染める。

 そして意識を失ったのか、ピクリとも動かなくなった。

「よくやった、淳希」

 背後から、透羽の声が飛んでくる。透羽はすっかり正気に戻ったようだった。

 しかし、透羽の表情はどこか陰っているようにも見える。

 口では刻月を倒した淳希を褒めているが、やはり父親の優しい頃を知っている透羽にとっては、苦しい結末だったのだろう。

 そのため淳希は、褒められても素直に喜べなかった。

「クソッ、ま、だだ、まだ……!」

 刻月がフラフラしながらもゆっくり立ち上がる。その眼光は、まるで透羽のように鋭かった。

 血を地面に滴らせながら、刻月が一歩踏み出したその時。

 刻月の体に、ドンッと衝撃が走った。

 刻月は何事か分からず、自身の体を見下ろす。

 そこにあったのは、自身の腹から剣先が覗き出ている光景だった。目の前にいる透羽と淳希がやったのではない。

 となるとこの剣を握っているのは──。

「なっ!? アニミー! なぜ……!」

 刻月が使役していたはずのアニミーが、刻月を刺していたのだ。

 その光景に、目を見開いて絶句している透羽と淳希。

 アニミーは剣を捩じりながら刻月の体から引き抜くと、剣に付いた血を振り払うように剣を振った。

 ゴトンッと鈍い音がして、刻月が地面に倒れ伏す。

 そこから血だまりが面積を広げていった。

「なかなか使える駒だった」

(っ!? アニミーが……)

(喋ったのか!?)

 透羽と淳希は自身の目を疑った。

 今喋ったのは、透羽でも淳希でも刻月でもない。紛れもなくアニミーだった。

 話すことが出来るアニミーなんて、聞いたことがない。

 脳内に直接入ってくるような声。

 中性的で男か女か判別がつかない。そもそも、アニミーに性別なんてないはずだ。

「自分が王だと勘違いして、人間は愚かだ」

 アニミーは目を半月状にした。

 笑っているのだ。あのアニミーが。

「刻月は、私が操っていただけだ。なのに自分の意思だと勘違いをしていた」

「人を操る、だと!?」

 人がアニミーを操るのではなく、アニミーが人を操る。

 確かに、元を辿るとアニミーは人に感情を過剰に与えて人格を捻じ曲げることが出来る。それは、アニミーが人を操っていると遠回しに言っているようなものなのかもしれない。

 アニミーは液体のように変化すると、次の瞬間体長二メートルを優に超える四つの目を持った人型のアニミーに姿を変えていた。

 気配が、今まで対峙してきたどのアニミーとも似つかない。

 魔力のあまりの大きさに、電流が走ったように体が痺れるような感覚がする。

 そこらのアニミーハンターがこの場にいたら、即戦闘不能に陥っていることだろう。

「はっ、ラスボスはテメェかよ、アニミー。やっぱアニミーはクソだったなぁ」

 透羽は片方の口の端を上げて挑発する。

 しかし、透羽の頬には冷や汗が伝い落ちているのが、近くにいる淳希には分かった。

「淳希、気ぃ引き締めろ。今までの訓練を全部ここで出せ」

「うん、分かってる」

 コイツは、このアニミーだけは世に放ってはならない。

 世界中の人々を殺し尽くすのに、恐らく五分とかからないだろう。

((確実に、ここで殺す!))

 透羽と淳希は武器を構えた。

 世界の命運を分ける戦いが、今始まる。



「『壱ノ獄・悪華滅楼』!」

「『弐の拳・月花光殴』!」

「遅い、遅いぞ人間」

 どれだけ技の繰り出す速さを速めようと、どれだけ背後や死角を取ろうと、全て対応してくる。

「まずは、貴様からだ」

「っ!」

 邪魔だとでも言うように透羽を思いっきり回し蹴りで吹き飛ばすと、アニミーは淳希に目を付ける。

 淳希は飛んでくる斬撃を防御バリアで防ぎながら、一気にアニミーに近付く。

 しかし、どれだけ殴っても空振りに終わる。

「私に近接系の武器は不利だ。残念だったな人間」

 振り下ろされる剣を、淳希はフィンガーレスグローブでなんとか防ぐが、バキッと亀裂が入る。

 それでも回し蹴りをして今度はアニミーの足を払おうとするが、それも読まれて足首を掴まれる。

「ぐっ……、がっは……!」

 剣の持ち手の先端で鳩尾を抉られ、あまりの痛みに意識を持っていかれそうになる。

 下唇を噛んだ痛みでかろうじて意識は保ったものの、次の攻撃に反応出来なかった。

 アニミーに思いっきり右頬を蹴られ、脳が揺れる。

「うっ……」

「淳希!」

 視界がグルグルと回転して安定しない。目を開けていられなくて目を閉じても、結果は同じだった。

 完全に脳震盪だ。体が全く動かせない。

(クッソ、最悪だ! また透羽の足を引っ張る!)

「まずは一人。次は貴様だ、人間」

「テメェェェ!」

 透羽の怒りの咆哮が周囲に響き渡る。

「『弐ノ獄・消魔ノ鎖』!」

 アニミーの足元に黒い鎖が生成されるが、アニミーの刀で全て粉々に断ち切られた。

「『参ノ獄・魔斬閃刃』!」

 透羽は、アニミーに向かって避けられないほどの無数の斬撃を飛ばす。

 アニミーはそれを斬撃をいなしていたが、斬撃がアニミーの剣に触れた瞬間、爆薬のようにその場で爆ぜる。

「ぐっ……」

 初めてアニミーが苦悶の声を漏らした。

 しかし、アニミーの体に少し切り傷が付いたくらいで、大した致命傷には至っていない。

 透羽は思わず舌打ちを漏らす。

「少しはやるな」

 アニミーは立ち上った土煙を利用して透羽に一気に近付く。

 しかし、透羽はアニミーの姿が見えないなんて、少し前まで日常茶飯ことだった。

 透羽はアニミーの猛攻を二本の刀でいなしていく。



 どれくらい経ったか、一進一退の攻防によって二人に魔力が次第に消費されていく。

「キツそうだな、人間」

「はっ、誰が」

 強がってはいるものの、透羽の魔力切れが近いことは間違いなかった。

 透羽は肩で息をしながら、どの技が魔力消費を抑えられるか頭の中で考える。

(体の色んな所がめちゃくちゃ痛ぇ……。魔力も、このままじゃヤベェな。相手の魔力量はまだまだ余裕ってとこだ。クソが、チートだろ)

 透羽は脳内で毒づきながら、刀を構え直す。

「『弐ノ獄・消魔ノ鎖』」

「またそれか、人間。それは効かんと分かったはずだ」

 アニミーは足元に生成された鎖を、いとも容易く全て断ち切る。

 しかし、生成されたのはアニミーの足元だけだはなかった。

 透羽の左手には、刀ではなく鎖が一本握られている。

 それを鞭のようにしならせてアニミーの刀に巻き付けると、素早く引いてアニミーの手から刀を奪った。

「ほう、そっちが目的か」

 透羽はアニミーの剣を遠くへ蹴り飛ばすと、間髪入れずに斬りかかる。

 しかし、透羽の足に衝撃が走った。

「ぐあっ!」

 突如左の太ももに走った激痛に、足の踏ん張りが利かず体勢を崩す透羽。

 アニミーは透羽の両手首を掴み上げた。

 確かに遠くに蹴り飛ばしたはずの剣が、今は透羽の左太ももを貫いている。

 その剣がひとりでにゆっくり旋回しながら、奥に押し込まれていった。

「いっ! あぁっ、ぐっ……、あぁぁっ!」

 身を引こうにも、両手首をアニミーに掴まれているためその場から動けない。透羽は痛みに耐える他なかった。

「剣を私から引き離しても無意味だ。貴様も、離れた所にある刀を操作することくらい出来るだろう。自分の魔力が通っている物は全て操れる」

 あまりの激痛に、透羽は何度も意識が持っていかれそうになった。その度に下唇を噛んで意識を元に戻す。

 血がボタボタと地面に落ち、地面を赤く染め上げていった。

 それを見てしまうとさらに痛みが増してくるような気がして、透羽は目を逸らす。

「ぐぁっ! あっ、いっ……! あぁぁ!」

 額には脂汗が浮かび、瞳には生理的な涙が浮かんで汗と一緒に地面に落ちて行くのが見える。

 刀が太ももから抜かれると同時に、手首が解放された。

 透羽の体は重力に負けて地面に崩れ落ちていく。

「脆いな、人間」

 その言葉を最後に、透羽の意識が暗い水中へ落ちた。


     ***   ***


 透羽は気が付くと、暗い水中の中にいた。

 そして透羽の目の前に悪魔がいる。なんだかんだ言って、姿は初めて見た。

 透羽と瓜二つの容姿。「まるで鏡を見てるみてぇだ」と心の中で呟く。

 しかし決定的に違うのは、悪魔らしく角と翼が生えているということだ。

『おいおい困るぜぇ? この俺様が憑いてやっていながら負けるなんてよぉ』

「……負ける。俺は負けたのか」

『あぁそうだ。テメェはもうじき死ぬ。どうだぁ? 気分は』

「最悪だ。何も出来ずに終わるなんて」

『ハッ、ダセェなぁ。ダサすぎて見てらんねぇよ』

「……そうだな。俺もそう思う」

『辛気臭ぇ顔すんなよなぁ。もっと絶望した顔が見てぇ』

「……悪魔みてぇ」

『悪魔だからな』

「ははっ、……そうだったな」

『つまんねぇ。つまんねぇから、面白くしてやる』

「……あ?」

『淳希だけは喪いたくない』

「っ!」

『これがテメェの願いだろ、宇賀神透明』

「……そうだ。たとえこの身が朽ち果てようと、俺は淳希さえ生きてくれれば──」

『そうだ! それだよそれ! それが聞きたかった!』

「……あ?」

『【たとえこの身が朽ち果てようと】。テメェは確かに今、そう言ったな?』

「あぁ。言った」

『最っ高だ。宇賀神透明、テメェがあのクソアニミーに勝つ方法が一つだけある』

「なに!? 何だそれは!」

『ただし、だ。これはテメェの命を代償にする』

「……なるほどな。悪魔らしい提案だ」

『悪魔だからな。で、どうするよ。でもテメェはさっき言っちまったよなぁ?』

「【たとえこの身が朽ち果てようと】、か」

『そうだ! 男に二言はねぇだろ?』

「あぁ、その方法で淳希が助かるんなら、俺は何だって差し出してやる」

 透羽は強く拳を握った。

(俺が淳希をアニミーハンターに誘った。つまりこの戦いに俺が淳希を巻き込んだも同然。だったら、淳希を無事に返す義務が俺にはある)

 透羽と悪魔を包み込んでいた闇一色の周りの風景が、一気に白に変わる。

 透羽の体が、意識が浮上する。

『カカカッ! やっぱテメェは最っ高だぁ! テメェに憑いてて良かったぜ、透羽。じゃあな』

 意識のほんの片隅で、今まで聞いたことがないほど優しい声で、そう聞こえた気がした。


     ***   ***


「──羽! 透羽! 目を覚ませ!」

「……淳希」

 透羽が目を開けると、最初に視界に飛び込んできたのは淳希だった。どうやら、透羽は淳希の腕の中にいるようである。

 焦ったように透羽の肩を揺らす淳希。

(心配かけちまったみてぇだなぁ)

 透羽は腕を伸ばして淳希の頭を撫でる。

「どれくらい、時間が経った?」

「え? 透羽が意識飛ばしてたのは十秒くらいだったよ?」

(そんな短かったのか。つまり、あの暗い世界にいた間は時が止まっていたっつー訳か)

 透羽は、淳希の肩を借りて立ち上がる。

(淳希の顔を見ると、決めたはずの覚悟が揺らいじまってダメだ)

 透羽は、淳希の顔を見ないようにしながら淳希の肩を押す。

「俺に勝つ方法がある。離れた所に居ろ」

「……え?」

 淳希は大いに戸惑う。

(勝つ方法? 急に? 離れた所に居ろって、つまり一人で戦うってことか? ……何かおかしい。透羽の邪魔にはなりたくないけど、透羽の言う通りにすると良くないことが起こる気がする)

 淳希は恐る恐る透羽に声をかける。

「……なにする気?」

「別に。ただあのクソアニミーに勝つだけだ」

(本当に? 透羽は嘘をつかないし、つくとしてもド下手だからすぐに分かる)

 しかし、今回は──。

「教えてくれないの?」

「……すぐ分かる」

 透羽は冷たい声で言い放った。

(分かった時には、手遅れだけどな。……だって、言っちまったら淳希は俺を確実に止めんだろ。テメェに止められちまったら、俺の覚悟が全部砕けちまうって分かってっから)

 透羽は、淳希の方を一度も振り返ることはなかった。

(だから悪ぃな、淳希)

 透羽は二本の刀を地面に突き刺す。

 その瞬間、透羽の魔力にその場の空気が支配された。

「何をする気だ、貴様」

 透羽がパンッと両手を打ち鳴らす。すると刀から流れ出した透羽の魔力がアニミーの体を包み込んだ。

「なんっ、だこれ……! 魔力が、吸われて……!」

 魔力の渦の中で、アニミーの困惑する声が聞こえる。

 透羽が発動したのは、相手の魔力、いや、生命を奪う絶対不可避の技。自分の命を代償に、相手の命を奪ういわば自爆技。

「魔力を、吸う?」

 淳希はアニミーの言葉を聞いて、疑問を含んだ声で呟く。

(魔力を吐き出してる、の間違いじゃないのか?)

 その証拠に、透羽の体から魔力がどんどん抜けていっている。

(ダメだ。このままじゃ、透羽の体から全ての魔力がなくなって……! 嫌だ嫌だ嫌だ! 透羽だけは喪いたくない! 透羽だけは!)

 淳希はその一心で、無我夢中に技を発動する。

「『伍の拳・光楼白黒陣』!」

 透羽の足元に陣が描かれる。

 その瞬間、暴風が淳希を、いや、その場にいる全員を襲った。あまりの暴風に目を開けていられず、淳希は腕で目を覆う。

 次第に風が穏やかになって来て、ゆっくり目を開ける。真っ先に目に映ったのは、透羽が地面に崩れ落ちそうになっている光景だった。

「透羽!」

 淳希はすぐに透羽に駆け寄って体を抱き起こした。

(良かった、息はある)

 淳希はホッと息を吐き出して、透羽の肩を軽く揺らす。

「あ……? どうして、俺、生きてんだ……?」

 透羽の言葉を聞いて、淳希はすぐに察した。

(やっぱり、さっきの一撃は透羽の命を代償に発動する技だったんだ。どうせ悪魔にでも提案されたんだろう)

 淳希の発動した《光楼白黒陣》は、実は傷を治す技ではない。

 発動した相手に生命力を分ける大技だった。それに淳希が気付いたのはごく最近。

 しかし、淳希の魔力と実力不足で傷を治す程度に落ちていたのだ。

 そのため、本来の力を引き出して透羽を助けられるかは、本当に一か八かの賭けだったのだ。

 淳希は、その小さなパーセンテージの賭けに勝ったのだ。

「透羽、無事で良かった」

「あ、あぁ……?」

 透羽はまだ困惑を隠せずにいる。取り敢えず、説明した方が良いだろうと淳希が口を開いた。

「透羽、実は俺の使った技は──」

「人間にしてはなかなかやるな。認めてやっても良い」

 ガラガラと瓦礫をかき分けながら、アニミーが立ち上がった。

「なっ! 俺の技が通用しなかったのか……!?」

 透羽は、驚愕に目を見開いてアニミーを見つめる。

(もしかして技を正常に使いこなせなかったってのか? 俺が生きているのもそのせい? いや、違う。技はちゃんと発動したはずだ)

 その証拠に、アニミーの体はあちこちが欠損しておりボロボロだ。

(だったら何で俺は生きてる? 確か、俺が技を発動すると同時に淳希も何か発動していたような? ……ってことは俺が生きてるのは淳希のお陰ってことか。クソッ、淳希を守ろうとしてんのに、結局守られてばっかだ)

 透羽は悔しさに眉をひそめた。次の瞬間、アニミーが地を蹴る。

「人間ごとき、私に勝てるわけがない」

「淳希逃げろ!」

 透羽は咄嗟に淳希を突き飛ばし、刀でアニミーの攻撃を防ぐ。

 刃同士がぶつかり合って火花が散った。

 アニミーは足で透羽の膝裏を蹴り上げると、透羽はバランスを崩して地面に膝をつく。

 間髪入れずにアニミーは透羽の左太ももを踏みつけた。

「ぐあぁぁっ!」

 透羽は激痛に顔を歪めるが、グッと耐えてアニミーに斬りかかる。空振りに終わるが、逃げた先に淳希が拳を握っていた。

「はぁぁっ!」

「グァァ!」

 淳希がアニミーの頬を殴ると、バキッとアニミーの顔が割れる。

「鬱陶しいな、人間!」

 アニミーは魔力を解放し、体を回転させて魔力の斬撃を三百六十度全てに飛ばした。

「ぐぁっ!」

「くっ……!」

 逃げる場所を物理的に塞がれ、攻撃を受けるしか選択肢をなくされる。

 パキンッと音がして、透羽の刀が二本とも真っ二つに割れた。

「はっ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 透羽と淳希は肩で息をして、地面に膝をつく。

(刀が、折れちまった。武器はねぇ。俺の身一つで、このクソアニミーを倒せんのか)

 透羽は柄だけになった刀を忌々し気に見る。

「終わりだ」

 アニミーが剣先に魔力を溜め、一気に放つ。

(ここ、までか)

 透羽はグッと目を瞑ったが、いつまで経っても痛みが来ない。

 ゆっくり目を開けると、溜めたはずのアニミーの魔力が一気に蒸散していた。

「なんで、だ……」

 アニミーも驚愕しながら地面に膝をつく。かなり消耗しているのは確かだ。

 それを見て、透羽は口の端を上げた。

「次が、お互いに最後の一発だなぁ」

 透羽は膝に手を付いて立ち上がり、手に持っている折れた刀を地面に投げ捨てる。

 そして透羽は両手の拳を体の前で構えた。それは、淳希が戦う時の構えと全く同じである。

 淳希もそれを見て笑い、ゆっくり立ち上がると透羽と肩をぶつからせて隣に立つ。

「はっ、人間風情がこの私に勝てると思っているのか?」

 アニミーは、体の破片を地面に落としながら立ち上がった。

 そして、三人は同時に今出せる最大の魔力を自身の体に纏わらせる。

 魔力同士がぶつかり、バチバチと爆ぜる音が聞こえた。

 透羽と淳希の放つ魔力が、次第に混ざっていく。

 アニミーは地面に剣を突き刺すと、防御壁を何重にも展開した。

「「『暁闇魔光・零ノ拳』!!」」

 透羽と淳希は同時に叫んだ。

 黒と白の魔力が一つに合わさり、二人の拳を包み込む。

 二人は同時に大きく振りかぶると、アニミーを守る防御壁に拳を思いっきりぶつけた。

 二人の魔力が龍を形作り、その龍は防御壁に噛みつき砕いていく。

「テメェの思惑なんて、俺たちが打ち破ってやるよぉ!」

 透羽はアニミーに宣言するように、高らかに叫んだ。

(頼むから魔力が最後までもってくれ。もう、これが最後でも良いから。頼む、力を貸してくれ、悪魔ぁぁ!)

 透羽は祈るようにギュッと目を瞑った。

『カカカッ、しょうがねぇなぁ』

 透羽と淳希の腰辺りから、悪魔が持つ翼の幻影が生える。

 その瞬間、一気に魔力が跳ね上がって次々防御壁を打ち破った。

(見てるか、ソウマ。ゲームはあんま上達しなかったけど、俺、テメェみてぇに強くなれたかな)

 透羽は下を向いて目を強く瞑ってから、勢いよく顔を上げた。

「「これで、終わりだぁぁぁぁぁ!」」

 最後の一枚だった防御壁が割れ、アニミーの顔面に二人の拳がめり込む。

「グアァァァァァ!!」

 アニミーは吹っ飛ばされ、壁に激突する。

 すでに壊滅状態だった教会は最後の最後で耐え切れず、全て崩れ落ちて瓦礫の山と化した。

 瓦礫がアニミーの上に降り注ぎ、あっという間にアニミーの姿を覆い隠す。

「クソッ、もう少し、だったのに……」

 アニミーの四つの瞳から光が失われた。

 そしてアニミーの体は光の粒へと変化し、天へと昇っていく。

 その光景は皮肉でも何でもなく、息を呑むほどに綺麗だった。


     ***   ***


「やったんだな、透羽、淳希」

 ボロボロの街に蔓延っていた多数のアニミーが音もなく消滅していった。

 それを見て、至る所から血を流している獅堂は空を見上げる。

 するとそこに、光の粒が天に昇っていく様子が見えた。

「よく、頑張ったな」

 獅堂は刀を回すと、戦いは終わりだと言うようにカチンッと音を立てて鞘に収めた。


     ***   ***


「勝っ、た……」

「もう、無理だ……」

(体中が痛ぇ)

{痛すぎて叫び出しそうなんだけど)

 戦っている最中は集中してて気付かなかったが、今は痛みによって死にそうなくらいの激痛が、二人の体中を駆け巡っている。

(太もも、ちょー痛ぇんだけど)

 数ある痛みの中でも、特に異常なのは透羽の左の太ももだ。透羽は足を動かそうとするが、全く感覚がないため動いているかも分からない。

 透羽と淳希は、並んで地面に仰向けに寝転がる。

 すると、満天の星空が視界いっぱいに映し出された。

(俺が、家出した時みてぇな空だな)

 過去の情景と、今目にしている光景が重なる感覚がした。

「俺らが、世界を救ったんだな」

「そうだぜ? ガッコの奴らに自慢して回れよ。今よりもっと人気者になれんぞ」

「えぇ? そんなことしないって」

 ククッと喉の奥で透羽が笑う。

 透羽は空に向かって手を伸ばし、口を開いた。

「俺、テメェと会えて本当に良かったって思ってるぜ?」

「急にどうしたんだよ。そんなの俺だって──」

「テメェは、俺が命を代償にして技を出すって勘付いたんだろ?」

「……そうだよ。何か、嫌な予感がしたから」

(やっぱそうか)

 淳希の勘の良さには、透羽も目を見張るものがある。

「助けてくれて、あんがとな。テメェが居なかったら、俺は今こうしてられてなかったしよ」

「──てよ」

「あ?」

「約束してよ。二度とああいう、命を投げうつようなことはしないって」

「分ぁってるよ。俺も、お前と一緒にいてぇからな」

「透羽……」

「やったな、淳希」

「うん、俺も透羽にたくさん助けられた。ありがと、透羽」

「あぁ。もう誰が相手だろうと怖くねぇ」

「二人なら、俺と透羽なら」

「最強、だな」

 透羽は、空に向けた手で拳を作る。

 淳希も透羽と同じように拳を作って、透羽の拳に軽くぶつけた。

 トンッと拳同士がぶつかり合い、そのまま重力に逆らわずに地面に落ちる。

(ソウマ、ありがとな。俺はお前がいたから、強くなれた。本当は、今も隣にいて欲しかったけど。そんな贅沢は言わねぇから)

 透羽は、急激に熱がこもった目頭を誤魔化すように、深呼吸を一つする。

(だからさ。俺のこと、あん時みてぇに褒めてくんねぇかな)

 透羽は、瞳から零れてこめかみを伝い落ちる涙を無視して、満天の星空に向かって心の中で語り掛ける。

 すると、ふいに空から声が降ってきた。

『うん、透羽はずっっっっとカッコいいよ。よく、頑張ったね』

 透羽の真上にある星が、一瞬だけキラリと強く光る。

 透羽には、月のように明るいソウマの笑顔が見えた気がした。

 空は満天の星空で、ぽっかりと穴が開いているように白い月が浮かんでいる。

 その月は、二人の勝利を祝福しているかのように静かに輝いていた。

 透羽は無意識のうちに、その月へと手を伸ばす。

(あぁ、めちゃくちゃ眠ぃ。ちょっと、休ましてく、れ……)

 透羽はゆっくり目を閉じ、急激に襲ってくる睡魔に抗わずに意識を落とす。

 意識を落とす過程で、透羽は一つだけ強く思ったことがあった。

『淳希の傷が、早く治りますように』

 と。

 淳希と透羽の手が重なり、透羽の意識が完全に落ちた時。透羽の方から淳希の方へと、一粒の白い光が、重なった手を通して流れていった。

『面白いモン見せて貰ったからなぁ。願いを叶えてやる。感謝しろよ、透羽』

 どこからか、カカカッという笑い声が響き渡った。


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