商人ゼノ・ヴァルグレアとの出会い

「――今日も、見事に何も売れませんね。」


 


 グレイアの小さな市場の片隅で、ミリアの冷静な声が響いた。

 彼女の前には、見事に客ゼロの屋台。

 並べられた干し肉、薬草、木彫りの小物。どれも質は悪くない。

 ただ――そもそも、この村には“買う人間”が少なすぎた。


 


「……そりゃあ、人口五十人の村で市場開いてもなぁ」

「ですが、“形”を整えるのは大事です。いずれは商人も来ます。」

「それを信じて三日目だぞ……」

「信じることが、改革の第一歩です。」

「なんか宗教っぽくなってきたな。」


 


 そんなやり取りをしていると、

 外から“コツ、コツ”と靴音が響いてきた。

 振り向くと、上等なマントを羽織った男が立っていた。


 


「……おや、噂は本当だったようですね。」


 


 整った顔立ちに落ち着いた笑み。

 灰色の瞳に、どこか商人らしい観察眼。

 その男は、ゆっくりと頭を下げた。


 


「初めまして。私はアリステレス商会代表、ゼノ・ヴァルグレアと申します。」


 


「アリステレス商会……って、王都の?」

「ええ。王都の南商区を拠点とする中規模商会です。

 正確には、“再興中”の商会と申したほうが近いでしょうか。」


 


 ミリアが一歩前に出る。


「商人がこんな辺境まで何のご用件ですか?」

「興味、ですよ。最近、王都で奇妙な噂を耳にしましてね。」


「噂?」


「“王子が追放され、辺境で農民と泥を掘っている”と。」


 


 ……情報伝達早すぎない?


 


 ゼノは微笑みを崩さず、続けた。


「半信半疑でしたが、実際に来てみれば……

 ――なるほど、これは“追放”というより、“始まり”ですね。」


 


「始まり?」

「ええ。この地には、まだ価値が眠っています。

 鉱脈の痕跡、肥沃な土、そして――人の熱意。」


 


 リィナが目を丸くして口を開く。


「商人さん、わたしたちの村に、価値があるんですか?」


「もちろん。価値のない土地など、この大陸には存在しません。

 問題は、“見つけようとする目”があるかどうか、です。」


 


 その言葉に、俺は思わず唇を吊り上げた。


「なるほど。見る目があるってのは、商人にとって重要だな。」


「そして、王子にとっても、でしょう?」


「……ああ、そうかもな。」


 


 ミリアが少し警戒するように尋ねる。


「具体的に、どんな用件で?」

「取引の申し出です。

 あなた方の村に、我が商会の流通ルートを通したい。」


「この村に?」


「ええ。

 王都から遠く、交易ルートが断たれた地。

 それでも、“道を開こうとしている領主”がいるならば――

 商人として、投資する価値があると判断しました。」


 


 ゼノの目は真剣だった。

 その言葉に打算は感じられない。

 利益の匂いと同じだけ、希望の色が混じっていた。


 


「……いいだろう。契約内容を見せてくれ。」


 


 ゼノは即座に書類を広げ、条件を提示する。


 ・初期物資の提供(穀物・塩・衣類)

 ・見返りとして、村産の木材・薬草の定期納入

 ・交易路開拓時の資金は商会負担、利益は折半


 


「……悪くない。リスクも共有してる。」

「商売は信頼があってこそ。互いが損をしないように設計しました。」


 


 ミリアが目を通し、うなずいた。


「合理的です。ですが、信用できる根拠は?」


「私自身がこの地に残ります。

 冒険者数名を雇い、村の護衛兼物流補助として常駐させる予定です。」


「自ら? 商会長が?」


「信頼は、紙では築けませんから。」


 


 その言葉に、思わず笑みがこぼれた。


「気に入った。――取引成立だ。」


 


 ゼノは軽く片膝をつき、王族への敬意を込めて礼を取る。


「では、これより私は、グレイア領商務顧問として動かせていただきます。

 王子殿下――いえ、レオン殿。」


「その呼び方、悪くないな。」


 


 リィナが嬉しそうに跳ねる。


「すごい! これで村に人が増えるかも!」


「そうだな。仕事ができれば、人も戻る。」


「じゃあ、次は何をしますか?」


「まずは……屋根の修理からかな。」


「え、それ領主様の仕事ですか!?」

「この村では、できる人がやるんだ。」


 


 ゼノが微笑を浮かべながら言う。


「なるほど、王子殿下は実務派のようだ。」

「いや、ただの貧乏性だよ。」

「ふふ……良い領主になりそうだ。」


 


 その日。

 王都では“辺境の失敗”と笑われていたグレイア領が、

 初めて、外の世界と手を結んだ。


 


 静かだった村に、少しだけ風が吹く。

 人の声が混ざり、活気の種が芽吹くように。


 


 そして――

 この出会いこそが、後に「グレイアの奇跡」と呼ばれる始まりだった。


 


「平穏に暮らしたいだけなのに……。

 なんで俺、経営会議してるんだろうな。」

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