拭えない過去

 ——あんな質問をしたのが間違いだった。

 一瞬で心躍る空気を変えてしまった。

 月狐はただひたすら、俯いた先にある水の入ったグラスに反射した自分に、語りかけているようだった。

「——僕は、去年の1月の冬休み。交通事故で両親を亡くした。この事は琥影も知ってるでしょ?」

「小学生のときに噂になってたあれか」

「そう、それ。両親と一緒に宮城県周辺で四泊五日の旅行に行った」

 指示語でも二人の意思は通じた。まあシリアスな話題から、お互いが気を使ったということもあるだろうけど。

「旅行なんて久しぶりだったから、本当に楽しかった。その帰り、サービスエリアで休憩を取っていた」

 外から差し込む日差しが少なくなる。雲の量が多くなってきた。

「一人でお土産を見に行こうとした。そのとき言われたんだ。『一人で大丈夫か?』って」

「・・・・・・なんて返事したんだ?」

「大丈夫と押し切って一人で向かった。思えば、それが両親との最後の会話だった」

 蒼天が数時間ほど前までの逆の天候に変わり始めた。

「夢中になりすぎて、戻ろうと自動ドアを出て、走りながら両親がいる車に向かった」

 心臓を圧迫する太鼓の音が鳴り響く。

「多分、一瞬目は合っていたと思う。だけど、横から両親の車は衝突された」

 大空は黒く濁った雲で覆われた。

「何が起こったのか分からなかった。頭が真っ白になったよ」

 空が一瞬、また一瞬と光る。

「際限なく横転する両親の車と、車前が変形し煙が出てる車を見て」

 駐車エリアは徐行運転とはいえ、最低でも七百キログラムある鉄の塊が横転するほどの衝撃。

「四方八方に破片が飛んできた。もちろん、僕のところにも」

「・・・・・・大丈夫だったのか?」

「うん、かすり傷のような怪我はしていたけど」

「かすり傷程度では済まないだろ・・・・・・」

「買ってもらったヘッドバンドが頭に飛んできた破片を運良く防いでくれた」

 安堵していいのか、憐れむべきなのか。

「周りにいた人が救急車を呼んでくれて、集中治療室に両親は運ばれていった」

 轟音が徐々に近づいてくる。

「恐怖と絶望の中、呆然と立っていた僕も消防士に背負われながら運ばれた」

 音量も発光の回数も大きくなっていた。

「——夜の真最中、冷えた病院で一つだけの椅子に座りながら白壁に囲まれて待った」

 深夜に緊急外来として運ばれたスペースは異様なほど寒く、暗く、狭い。

 想像は容易だが、理解は到底できそうにない。

「十分経った頃に医者から告げられたことは、何もなかった」

 街を包み込むように大きく眩しく外が光る。

「ただ首を横に振りながら、帽子で必死に顔を隠している姿だけが目に映った」

 紫色をした一本の大木が音を響かせて、天空から水平線の彼方へと、ゆっくり落ちていった。

「その時は『痛い』って感情しか浮かばなかった」

 ポツポツと地表に水滴が落ちる。

「僕の顔はある意味、酷かったと思う」

 雨脚が強まってきた。

「後の事は何も覚えてない。ほとんどが聞いた話だから」

 月狐は、コップの水を勢いよく飲んだ。

 一瞬で飲み干されたコップを見て、琥影は自分のコップを静かに差し出した。

「十一歳ってさ、絶妙に物心があって、絶妙に自我があるとき」

 児童期の中で最も成長すると言われる。身長はもちろん、協調性や共感性などを学ぶ重要な時期。

 月狐は不幸にも、何重も重なりすぎた。

「そんなときに両親を亡くした気持ちなんて本当に誰も理解してくれない」

 こういう境遇の人が零でもないこともまた事実。

「人の口から発せられる言葉なんて、表では慰めてるけど、影では善心の一つもない」

 否が応でも一度は経験する残酷な現状。

「嘲笑い、罵り、ただただ笑い物にされる毎日だった」

 琥影もその光景を毎日見ていた。

 複数人で囲んで暴言を吐く。徐々にクラスの恒例行事となっていた。

「だから、学校という空間が苦痛でしかなかった」

 小学六年生の時に月狐から、祖父母がいないことを琥影は聞いていた。

 だから、予測でしかないが、休学したところで本物の愛がない赤の他人と過ごすだけ。

「僕は人から離れた。腐り果てる人間関係を僕自ら作っていったんだ」

 当時の月狐は大衆を相手に何度も歯向かっていた。その度に逆ギレされたと思った不届き者から軽蔑の視線を浴びながら。

「そんな僕に声をかけてくれたのが琥影、君だったんだよ」

 俯いていた琥影が驚き、顔を上げる。

「人を信じられなかった僕は、悪態ついて、時には君を傷つけた。心も体も」

「そうだな」

「だけど君は! そんな僕を・・・・・・諦めなかった。諦めてくれなかった」

 月狐の目から出た涙が頬を伝う。

 あの時の琥影は、わけもわからず変態呼ばわりされたり、時にはしかめっ面されながら猫パンチ程の威力で一方的に殴られたり。

 とにかく理不尽な事しか言われなかった記憶しかない。

「だから僕には君しかいなかった。しがみついた、離れたくなかった」

 琥影は嫌がられながらもそばに居続けると、月狐のほうも心を開いてくれた。

「こんな僕と一緒にいる君の周りにはどんどん人が離れていった」

「よく覚えてる」

 琥影は懐かしいと感じ、少し微笑んだ。

「それでも君は僕の側に居てくれた」

 あの時は、教師も月狐のことをどう扱っていいのか困惑していた節もあった。

 だから琥影は月狐と一緒に過ごした。四六時中抱きつかれながら。

「おかげで僕は、血も繋がってないけど、僕を愛してくれる家族に出会えた」

 自分が下した決断とその行動。そう思ってたはずの琥影も涙が込み上げてくる。

「君が僕に、勇気が希望が、まだあると教えてくれたから」

「そんなに美化されても・・・・・・」

「僕は今、とても幸せだ」

 月狐が忍び泣く琥影の手を取る。

「こんな僕を心友と呼んでくれる最高の『君』に出会えたんだから——」

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