Act.13




 闇市の方角から爆炎が立ち上るのを確認してから十分。敵が首尾良く罠にかかってくれた安堵に胸を撫でおろしながら、カレン・ニンフェアは荷物をまとめ終えた。


 あの爆発だ。運よく生き残っていたにせよ、相当の重傷を負っているのは間違いない。不確定要素の多い作戦ではあったが、こうも綺麗に事が運ぶのは、それなりに気分の良いものだった。


 FLPEから待機の通達が下されている原因がカルテルの横槍によるものだとしたら、彼女が今足止めを食っている事実は当然追手も把握しているはずだ。

 そして考えられる限りにおいて、解放区から最も近いこのシボラ難民キャンプを、潜伏先と予想することは何も難しい事ではない。組織から通達された三日間以内であれば、遠からず追手がここまで来ることは分かり切っていた。


 ならばどうするか。

 生身故に魔力探知が使えないカレンであるが、逆を言えば敵方も魔力探知を使ってこちらの位置を補足することが出来ないと解釈することもできる。

 その時追手が頼りにするのが、このキャンプ内の事情に詳しい情報屋。カレンにとってもアウェイであるこの地であれば、同じ情報屋にコンタクトを取れば早晩彼女にたどり着く。後は草の根分けての大捜索でことは片付く。


 ──と、彼らは考えるだろう。


 カレン・ニンフェアはその仮定に基づき、闇市の中で目立つ場所にいる露天商に罠を張っていた。

 もし自分を追っている人間が現れたら、抵抗せず素直にこの名刺を渡せ、と。

 そして同時に、カレンは露天商の足首に小型爆弾を嵌め込んで脅迫したのだ。

「もし少しでも指示とは違う行動をすれば即座に起爆させる」

 そんな風なことでも言ったのだろう。まったく意味の分からない状況下で唐突に命を握られた露天商に、もはや選択の余地などあるはずもなかった。


 しかもその条件が、自分のことを探している人間に名刺を渡せという、命を保証する条件にしては軽すぎる制約だ。たったそれだけで助かるのだと分かれば、彼らは喜び勇んで協力したに違いない。背中で冷や汗をかきながらも、彼らはいつも通り商売をしながらデュール達が来るのを待った。


 そして彼女との約束通り、どこの誰のものなのかもわからない名刺を手渡し──それが起爆の合図となる。


 カレンが使用したコンポジションC爆薬の雷管に繋がれていたのは、マナセーフティと呼ばれる安全装置だった。

 一定距離内に対応したマナの反応が感知できる場合にのみセーフティが作動し、逆に範囲から外れた場合、即座に起爆する仕掛けの代物だ。

 そのマナセーフティを作動させるためのカギが、彼女が露天商に手渡した特殊マナ加工の名刺だったというわけだ。

 名刺を受け取った人物が一定距離を離れると、対応した爆弾が起爆し、追跡者にダメージを与えつつ、爆炎が狼煙となって追跡者の位置をしらせる。


 後はそこから反対方向に向かって逃げるだけだ。追手が何人いるにせよ、少なくとも一人には確実に先手を打つことが出来、仕込みに使った証人の口封じも同時に完了するという寸法だ。


 後は混乱に乗じてキャンプを脱出し、解放区に向けて車を走らせるだけ。

 約束の時間まで残り十五時間、少し時間は余るが、追手が体勢を立て直して追跡を再開するまでの時間を考えれば、ほぼほぼジャストタイムといった所だろう。


 状況はかなり切迫していたが、どうにか目的は果たせそうだ。胸の内から湧き上がってくる安堵を噛み締めながら、遠くで濛々と立ち昇る黒煙を背に歩き始めたカレンの目の前に、突如として何かが飛来した。


 まるで巨石でも落ちてきたかのような轟音と砂煙、その奥で蟠るのは隠す気など毛頭ないかのような冷酷な殺意だ。

 風にまかれた砂塵が散り、果たしてカレン・ニンフェアの目の前に佇立していたのは、烈火のごとく燃え盛る赤い瞳に、永久凍土のような白髪を翻した少女であった。


「ダンテ、こいつか?」

『そうだね、反応はそこからだ。今君の目の前にいるのが、僕たちの標的、カレン・ニンフェアだよ』

「そうか」


 思考通信サイコネクト。魔術師であればそう珍しくはないマナ感応を用いた通信方法。

 アンにとっては初めての体験だったが、頭に直接情報が流し込まれてくるような感触は、言葉よりも明瞭にその意図を伝えてきており、シンプルさを好む彼女にとってはなかなか心地よいものだった。


 ようやく追いついた『敵』の正体を、焼くような赤さの目でアンが見据える。


「馬鹿な……」


 便利屋の子供──!? なぜここに?

 まったく予期していなかった事態に、安堵に緩みかけていたカレンの表情が一挙に凍り付いた。

 

「なんでアタシがここにいる? ってツラだな。アタシもそうだが、あんたも大概、ダンテの能力を分かっちゃいねえ」

「馬鹿な事言わないで。非術師の私をマナ探知で追跡することなんて不可能よ」


 狼狽するカレンをあざ笑うかのように、地中から錬成した双剣を構えたアンが脂下やにさがる。


「ダンテが追っていたのはあんたじゃねえ、あんたがアタシたちを罠にはめるために使った名刺。そこに仕込まれたマナの反応の方さ」

「名刺……?」


 あんな微弱な反応を? こんな大混雑の只中からピンポイントで?

 一体どれだけ精細な感応能力を持てば、そのような離れ業が可能になるというのか。

 目の前の少女が言っていたように、あの名刺に仕込まれたマナの反応と同様の反応を発する物体を探し当てることは、理論上は可能だ。

 可能だが、それにあたって要求されるマナ知覚精度は、例えるなら砂漠のど真ん中で拾った水晶片と、まったく同じ振動数の欠片を特定するに等しい。常人を遥かに凌ぐマナ知覚能力がなければ出来ない芸当だ


「ダンテってさ、おしゃべりなんだよ。いつもいつも聞いてもいないことをペラペラ、ペラペラとな。でもあれってあいつの性格じゃなくて、あいつの能力のせいなんだ」

「一体何が言いたいの……」

「アタシも受け売りだから分かんねえけどさ、あいつが普段目で見て耳で聞いてる情報? 普通の人間よりもずっと多いらしい。普通じゃ気にも留めないことを、あいつは物凄く細かく感じてる。入ってくる情報が多すぎて、頭だけじゃ整理できないんだとさ。だからあいつはそれを言葉に変換して、必要な情報と必要じゃない情報を分けて、重要度の低い情報をおしゃべりって形で分割処理してるんだ。そうじゃねえと目の前に絶えず現れる情報に圧倒されて、すぐ疲れちまうらしい」


 唐突に始まったアンの他己紹介の意図を、カレンは驚愕に打ち震えながら察し始める。

 感受性が人並外れて高い人間は、その感度の高さ故に脳の処理が追い付かず、収集能力と処理能力との間にボトルネックが生じる。

 ダンテはそれを口述という形で整頓し、日常生活に支障がない程度にそのボトルネックを解消しているということだ。

 ではもし、そんな常人を遥かに凌ぐ感受性を持つ人間が、たった一つの事象の分析にのみ意識の焦点を当てたらどうなるか。


 それはきっと、どんな高精度の探知機をも凌ぐ、究極のマナ追跡能力として発現するに違いなかった。


 ──『天網てんもう』のダンテ。所持する固有術式は残滓検索サイコメトリー


 アンらしからぬ冗長なダンテの能力解説が意味していたのは、カレンがこの先どれだけの手練手管てれんてくだで姿を眩まそうと、決して逃がすことはないという、掛け値なしの宣戦布告であった。


「さて、おしゃべりは以上だ。アタシはこれからあんたをなますに刻む。言い残すことがあるなら今のうちだぜ」

「舐められたものね。少し私の裏をかいたからって、調子に乗らないでよね」


 首筋に冷たいものを感じながらも、なお不退転の意思をその眼に宿す。

 この程度の難局など、今日が初めてではない。超えてきた屍の数なら彼女とて負けてはいなかった。

 こんなケツの青いガキに挫かれるほど、彼女の潜ってきた修羅場は甘くはない。

 その執念、その決意。死をもって骨身に刻んでくれる。

 握りしめた拳にありったけの殺意を込めながら、カレン・ニンフェアは必殺の刃圏へと踏み込んでいった。




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