第二章:霜憩う闇
Act.12
◇ DAY.2-朝-
エルドラ共和国、シボラ難民キャンプ。
三十年前に勃発したエルドラ内戦から逃れた避難民が、アルカディアとの国境沿いに寄り集まったことで成立した、人口十万人を数える共和国最大の難民キャンプ。
国境山岳地帯の麓という限られた物理的スペースに、仮設テントとプレハブが混沌と犇めき合う居住区を、あふれんばかりの難民たちが所狭しと往来していた。
道幅は狭く、車二台が並んで通行することもままならないほどに切り詰められた砂利道を、デュールの駆る4WDがジリジリと走行していた。
シボラ州の移送ゲートからキャンプまでおよそ五時間。カレン・ニンフェアのFLPE合流まで、もう一日を残すのみ。
ここで彼女を捕らえられなければ後がない。満足に休息も挟めない中での長距離移動により、すでに万全とは程遠いコンディションではあるが、むしろここからが本番である。
居住区の先の商業エリアに車を停め、三人の刺客が各々降り立つと、物珍しい風体の一行を目にした難民たちが一斉に好奇の眼差しを差し向けてきた。
とりわけ白髪赤目のアンの人外じみた容貌は目立っており、旗色悪しと踏んだデュールが羽織のフードをアンの頭に被せた。
「お前はここでは目立ちすぎる。眼鏡も付けとけ」
「分かった」
いつものシニカルな口調は鳴りを潜め、短く簡潔にデュールは指示を出す。これは彼が仕事人としての役割に集中している時に見られる癖だ。
道中漂っていた気まずさに対する問題は何一つ解決はしていないのだが、そんな個人的な確執を仕事に持ち込むほど、デュールもダンテも二流ではない。
すでに二人の意識は完全に狩りに
「ダンテ、何かめぼしいものは見つかりそうか?」
「どうだろうね。カレン・ニンフェアは魔術師じゃないから、術式痕から追跡するのは無理だね。とはいえここはカレンにとってもアウェイだ。余所者がうろうろしていたら必ず誰かの目に留まってるはずだよ」
「こればっかりは地道に聞きこむしかねえな」
分かってはいたことだが、このタイミングでの聞き込み調査というのはどうにも歯がゆいものだった。現状可能性が最も高いというだけで、彼女がここに逃げ込んだという保証は何一つない。
ここで完全な無駄足を踏むことだけは何としても避けたいところなのだが、まあ、ここを外せばどの道後はないので、三名共に腹を括るしかなかった。
いざともなればこのまま海外にでも逃げてしまえばいい。シンジケートの情報網から逃げきることが出来れば、だが。
「ここは効率重視だな。二手に分かれて市場を順繰りに回る。アン、お前はダンテの方に付け。いざって時はお前がダンテを守るんだ」
「デュールは?」
「俺は問題ない。今までも一人で仕事してきたからな」
デュールの険のある言い方に、アンは一瞬表情を曇らせた。
最後の当て擦りじみた一言はどう考えても余計だと感じたアンは思わず噛みつきかけたが、努めて感情を表に出さないようにしている二人に倣い、アンもまた自分の役割に徹するべく頷いた。
彼らの間に漂う不安や不満は、仕事のために一時的に押し殺されているが、完全に解消されたわけではない。今はカレン・ニンフェアの粛清という共通の目的が、ほつれかけていた彼らの意識を束ねていた。
「分かった。それじゃ、行こうか、ダンテ」
二手に分かれた両者がそれぞれ商業エリアの両端に向けて歩き出す。
居住区から隣接した商業エリアは、軍から配給された食料や生活必需品の供給が為されている。
日中は物資を求めた難民が列をなしてごった返しており、最も人の出入りの激しい時間帯だが、出入りする顔ぶれ自体は限られているため、余所者が紛れ込むには若干不都合な場所でもある。それが昨日今日突然現れた輩ともなれば、誰かしらの目につくのは当然の話だ。
が、事はそう簡単にはいかない。資料として持ち出したカレン・ニンフェアの容貌はといえば、イェーナカラーのボブカットに黒みがかったの
それこそキャンプに出入りするNGOスタッフに紛れていてもおかしくないような、真面目さが先行する顔だちをしていた。
実際、シンジケートと縁故も深く、呪符の取引に際しては彼女と直接顔を合わせていたデュールでさえ、カレンの容姿に対して確たる印象を持っているわけではなかった。眼鏡を外してスーツを脱いだら、すぐ側ですれ違っても果たして気が付けるかどうか。
とはいえ、手持ちのカードはこれだけ。これを基に聞き込む以外に、活路は見出せないのだから。
「なああんた、ちょいと人探しをしてるんだが、昨日今日でこんな感じの女を見かけなかったか?」
目についた露天商に向け、デュールが写真を見せながら話しかける。気の良さそうな露店のオヤジは写真をまんじりと見つめ、うなりながらかぶりを振った。
「ううん……大した美人さんだが、この辺じゃ見てねえな」
「そうか。何かこう、後ろ暗い連中が集まってる場所はないか? 例えば軍の監視が行き届いてないような」
「そうだなあ、この通りをずっと先に行くと、闇市があるけどなあ」
「そうか、感謝する。後それ一つくれ」
「まいど」
情報料の代わりとしてオヤジが商っていたタコスを受け取ったデュールは、その足で闇市の方へと向かう。
内戦が一応の終結を見せ、アルカディアの軍事干渉が止まってから三十年。現在も政府軍とゲリラの武力衝突が散発的に発生していることで、難民たちはいまだに帰還の目処を立てられずにいる。往来を駆け回る子供たちは、この地に根付いた難民たちとの間に生まれた第二、第三世代の子だろう。
彼らは生まれながらに故郷を持たない無国籍児であり、正確な統計が取れないため詳細は不明ではあるが、第二世代以降の人口は、キャンプ内の全人口の四割を超えると試算されている。
彼らにとって、世界の全てはこの砂と岩に囲まれた荒野の空と、山麓に吹き付ける極寒の風。そして絶望と諦観に染められたくたびれた大人たちの顔だけ。彼らの多くはそれすら満足に知ることさえなく、幼いうちから病や犯罪に巻き込まれて命を落としていくのである。
「ったく、気が滅入るぜ……。こんな風にジワジワ滅んでいくのは」
誰もが力を持たず、持つ術すらなく、時代という巨大な荒波に揺られる小舟のような世界が、この地には広がっている。
そんな中にあって、辛うじて生への渇望に活気づいていたのが、軍の目を盗んで商われている闇市だった。
間仕切りのつもりなのだろうか、仮設テントの布で作られた暖簾の向こう側では、配給品のほかにも軍から横流しにされたであろう酒や煙草、医療エリアから盗んできたとみられるドラッグまで、まさに絵に描いたようなブラックマーケットが広がっていた。
デュールからしてみればおざなりもいいところだが、この手の市場を運営する上で必ず必要になってくるのが「情報」だ。
多国籍軍の巡回スケジュール、配給品の内訳、市場の開催や品物のレートを決定する上で不可欠となる情報。その中にはキャンプ内に潜伏した後ろ暗い事情を持つ者が求める『商品』を扱う情報屋が出入りしている可能性が高い。
「情報屋を探してるんだが」
入ってすぐ近くの露天商に声をかけるデュールだったが、先ほどのオヤジとは打って変わり、あからさまに店主の顔が怪訝に曇る。
「あんた、この辺の人間じゃねえな。軍の関係者か?」
「人道支援に興味ありそうな顔に見えるか?」
「はっ、確かにカタギにゃ見えねえわな」
「だろ?」
「それにしても、昨日に引き続き今日も同じことを聞かれたよ。あんたと違って堅物そうなねーちゃんでな──」
露天商から聞き捨てならないワードが飛び出したところで、すかさずデュールが持っていた写真を店主に見せた。
「こんな奴じゃなかったか?」
「ん? ああ、似てるかもな。眼鏡はしちゃいなかったが、この辺の人間にしちゃ髪も肌も綺麗だったから、よく覚えているよ」
ビンゴだ。この手の余所者相手に適当な情報を流してせこく稼ごうとする人間もいるが、ここまで詳細に供述する以上、アドリブで嘘を言っているとは考えづらい。
やはりカレン・ニンフェアはこのキャンプに逗留している。ならばあとは人伝でも何でもいい、草の根分けて探し出すまでだ。
「どんな格好だった」
「見た目はNGOスタッフにしか見えんかったな。黒いウインドブレーカーに迷彩柄のズボン履いてたよ。なんかでっかい荷物も持ってたな」
デュールは懐から札束を取り出し、カウンターに叩きつけながら店主ににじり寄った。
「十万ある。情報屋の居場所を言え。そしたらこいつは全部あんたのもんだ」
「あんた……あの女を追ってるのか?」
「あんたに何か関係が? 言っておくが質問はそこまでにしておいた方がいいぜ。そこから先を聞いたあんたの末路を、いちいち説明してる暇なんかねえんだ。だが俺の親切心であんたの取れる選択肢だけは教えてやる。一つ、金を受け取って知ってることを吐くか。二つ、何も言わずにケツ穴を増やすか。ちなみに言っておくが、
まるで獲物を前にした蛇のような眼差しに、店主は失禁を催さんばかりに震え上がった。デュールとてこの展開は不本意ではあるが、ここで確実に情報を得るためには、多少なりとも相手には「怖い思い」をしてもらうのが最も手っ取り早い。それで相手が素直に言うことを聞けば大団円、仮に適当を言っていたことが分かっても、嘘に踊らされて明後日の方向に向かうよりはマシという寸法だ。
まあ、仮に嘘であった場合、命までは取らないにしろ拳の一発くらいはぶち込むことにはなろうが。
店主は恐怖に戦慄きながら、懐から一枚の名刺を差し出す。こんな道端の露天商でも渡りを付けられるような手合いなら、どのみち大したことはなさそうだが、カレン・ニンフェアが同じ伝を辿っているのなら、ようやく彼女の足取りにも輪郭が浮かんでくるというものだ。
「聞き分けが良くて助かるぜ。ほれ、おまけだ」
デュールはそう言って食べかけのタコスを店主の懐に突っ込み、別行動中のダンテ達に連絡をするべく携帯を取り出した。
しかし、デュールが通りに出てから数歩余り、脈絡のない電子音が周囲に響き渡った。
見るとそこには、先ほどの店主が恐怖と困惑の入り混じった顔で、滝のような汗を流しながらこちらを凝視しているではないか。
「そんな……そんな……チクショウ。あの女、騙しやがった……騙しやがったな!」
錯乱せんばかりに譫言を並べる店主、周囲に鳴り渡る電子音。そしてデュールが受け取った名刺。一見何の繋がりもない三つの点が唐突に一つの可能性へと繋がり、デュールの頭の中にある最も冷徹で合理的な部分が、警告音と共に真っ赤に点灯した。
「おいおい嘘だろ!?」
デュールが踵を返し、全力で駆け出したと同時、先ほどまでデュールが聞き込みを行っていた露店が轟音を張り上げながら爆散した。寸前に逃げ出したデュールではあったが、爆発範囲から逃げきるには全く距離が足りていない。結果、背中から爆風をもろに食らうこととなったのである。
すさまじい加圧と衝撃により、抵抗の余地なく吹き飛ばされたデュールは、往来に雑然と積まれた古着の山に叩きつけられた。
至近距離の爆音に鼓膜をやられ、強烈な耳鳴りが思考を阻害する。自分が今どこを向いて倒れているのかも判別できないデュールの意識は、まるで明滅する幻だ。
それでも、彼の無意識は爆風にあおられながらもその光景をしかと認識しており、思考以下の領域で、たった今起きた爆発の特徴を理解していた。
露店の商品に紛れ込ませられるほどに小さく、それでいて十分な威力で周囲を爆砕する威力。青みがかったオレンジ色の閃光はコンポジションC爆薬に見られる特徴だ。
「クソ……動けねえ……意識が……」
だが、思考もそこが限界だった。
古着の山に落ちたことで辛うじて致命傷を免れたものの、激突の拍子に頭を強打したデュールは、深刻な
切れた額から滴る血が視界を赤く染め、意識と無意識の境界が曖昧になっていく。
「……そうだ……あれを」
意識が途切れる寸前、デュールは最後の力を振り絞って周囲を見渡す。そして手を伸ばして届くか届かないかのすぐ近くに「それ」が落ちているのを見つけると、力の抜けた体を砂利でこすりながらにじり寄る。
爆発が起きる寸前、デュールが露天商から手渡された一枚の名刺。現状、彼らがカレン・ニンフェアに辿り着くための唯一の手掛かり。これだけは、何があっても手放すわけにはいかない。
もはや血の赤すら認識できなくなるほどに色褪せた視界の中、振り絞った最後の力で名刺を握り掴むのを確認したデュールは、そのまま暗黒の闇の中に意識を手放した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます