第24話 フラッシュバック

俺の嗚咽は、天城先生の静寂の中に吸い込まれていった。どれほどの時間が流れただろう。やがて、天城の低い、感情のない声が、静寂を破った。


「なぜ、お前が泣く」


俺は顔から手を放し、涙で濡れた瞳で彼を見つめた。


「俺は、家族がいないことに悲しいという感情すら持たない。叔母が死んだ時も、心の奥で安堵したくらいだ」


彼はそう言って、コップに残った水を一気に飲み干した。


「いなければ、失う恐怖がない。愛する者がいなければ、裏切られる苦しみもない。俺はそう思うことで、悲しみから逃れることができた。だから、今の俺には誰の同情も、憐憫も必要ない」


彼の言葉は、彼自身が築いた強固な防壁だ。誰も自分の心に入れないための、完璧な武装。


「現世の俺の過去など、お前の前世の純粋な愛とは無関係だ。勝手に美談にするな」


「本心から逃げるな!」


俺は立ち上がり、天城に詰め寄った。その瞬間、俺の中のエリシアの魂が、激しくルシアンを求めるのを感じた。


「貴方は家族を大切にしていた! アルカディア王国との婚礼に、貴方の父王が最後まで反対し、心を痛めていたではないか!」


婚礼は、二国間の平和のための政略結婚でもあった。父王はルシアンの身を案じ、他国の姫である俺との婚姻に最後まで反対していた。ルシアンはその間で、愛するエリシアと、敬愛する父王の間で深く苦悩していたはずだ。


「貴方がその家族を愛し、大切にしていたからこそ、貴方は裏切りを見抜けなかったんだ。信じていた宰相、そして——」


そこで、俺の言葉が詰まった。


「……あ」


閃光のように、一つの恐ろしい真実が俺の脳裏を貫いた。


あの襲撃の日、ルシアンは城で足止めを食らっていた。


カストルム王国がアルカディア王国を襲ったという事実を、ルシアンは直前まで知らなかった。それはつまり……。


「そうか、貴方は……自分の家族に裏切られて……」


俺は震える声で呟いた。宰相だけでなく、父王や王族の一部が、この戦争の黒幕であり、ルシアンを蚊帳の外に置いていたのではないか。ルシアンを裏切り者として処刑したのも、その証拠隠滅のためではないか。


天城先生の顔から、一瞬で血の気が引いた。その瞳は大きく見開かれ、俺の放った言葉が、彼の最も深くに封印されたトラウマを抉ったことを示している。


「……黙れ。何を、勝手な想像をしている」


彼の声は低く、威圧的だったが、微かに震えていた。


俺は目の前の天城の姿に、千年の孤独を背負ったルシアンの魂を見た。愛する姫を失っただけでなく、信じていた家族、国、すべてに裏切られたまま処刑された王子の姿を。


俺は再び涙を流し、その場に膝をついた。


「ルシアン様……貴方を残して、先に死んでごめんなさい」


俺は、天城先生の足元で、ただひたすらに謝罪した。


「私が、貴方を残したせいで……貴方を、一人で裏切りの絶望の中で死なせてしまった……」


その瞬間、俺の脳裏に、エリシアの死の瞬間が、鮮明な映像となってフラッシュバックした。


馬車から飛び出し、燃え盛るアルカディア城下町へと引き返した俺たち。焦燥したルシアンが、馬を走らせて合流した。


そして、崩れくる母屋の下敷きになりそうになりながらも、間一髪で助かった俺。


『エリシア!無事か?!』


ルシアンは急いで俺に駆け寄ろうとした。その時、ルシアンの背後から、剣を振りかざしながらこちらに向かってくる兵士の姿が見えた。それは、カストルム王国の精鋭騎士団の一人だ。


兵士の顔には、狂気に満ちた憎悪が浮かんでいた。そして、彼の剣はまっすぐ、ルシアンの背後を狙っていた。


(ルシアンを、狙ってる……!)


すべては、ルシアンをも排除するための計画だったのだ。


『ルシアン様!』


俺は叫んだ。


そして、考えるよりも早く、俺はルシアンの前に飛び出した。


グッ、と、身体に鈍い衝撃が走る。視界が真っ赤に染まった。剣は俺の腹部を貫通し、深くまで突き刺さった。


「エリシア……?!」


ルシアンの悲鳴のような声が聞こえた。


俺の身体は、ルシアンの胸に倒れ込む。彼の鎧が、俺の血でみるみる赤く染まっていくのが見えた。激しい痛みが、全身を支配する。


俺は震える手で、ルシアンの頬に触れた。


『ル、ルシアン様……』


『何を言っている!エリシア!しっかりするんだ!』


ルシアンは俺を抱きしめ、激しく慟哭していた。俺の言葉は届いていなかった。


『愛して……ます……』


(そうか……)


俺はルシアンを庇って死んだのだ。ルシアンが裏切りの真相を知ったのは、その後だったのかもしれない。


俺が、ルシアンの「愛しい人を守れなかった」というトラウマという、強烈な後悔を作り出してしまったのだ。


俺の慟哭は止まらない。


天城は、俺のその記憶のフラッシュバックを見ていたかのように、その場に立ち尽くしていた。彼の瞳は、もはや天城陵のものではない。千年の悲しみと後悔を宿した、愛しいルシアン・グレイヴそのものだった。

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