第2話 最低なヤツ
終業のチャイムが鳴り響いた瞬間、教室は一気に沸騰した。
待ってましたとばかりに女子が一斉に教壇へ向かう。
「先生!放課後、少しだけ質問してもいいですか?」
「天城先生、連絡先教えてくださいよ!」
「英語の勉強法、個人的に聞きたいです!」
「ハーフですか?!好みの女性は!」
天城は両手を挙げてまあまあという動作で女子達をなだめる。スラっとした長身に、長い手足。肌は陶器のように白く透き通っていて、目鼻立ちも整っている。特に印象的なのがその瞳で、グレーがかった青い瞳は、まるで宝石のようだ。
その浮世離れした美しさで、女子生徒の黄色い歓声と興奮を一身に集めていた。
「わかったわかった。順番にな。ただし、俺は忙しいから、長話はナシだ」
その言葉一つで、女子達の興奮は最高潮に達した。私が先だと言わんばかりに、教卓に一斉に身を乗り出して質問攻めにしている。
(なんだあれ…デレデレして。気色悪い。)
俺は心の中で毒づきながら、教科書を乱暴に鞄に突っ込んだ。前世では、国民すべてから敬愛され、その高潔さで知られた王子だったルシアン・グレイヴ。それがあの女たらしだと…?ただのそっくりさんではないのか。いや、そうであってくれ。
俺の隣で、祐樹が呆れたようにため息をついた。
「すげーな、天城先生。まだ初日だろ?すでにクラスの8割はあいつに持ってかれたな」
「どうでもいいだろ。あんなチャラい奴」
「ま、俺らはさっさと帰るか。今日も夢のせいで寝不足だろ?」
祐樹の気遣いに小さく頷き、俺は教室の隅からこっそりと脱出しようとした。あいつのいる空間に長くいたくなかった。今日の夢の記憶が鮮明すぎるせいで、この最低な教師の軽薄な笑顔を見るたびに、胸の奥が張り裂けそうになる。
『来世も……貴方様の、ただ一人の……』
あの悲痛な誓いを交わした相手が、今、目の前で女子生徒相手に愛想を振りまいている奴だというのか。違うと思いたくても、俺の中のエリシアがあいつは王子だと示している気がするのだ。喜び、怒り、軽蔑、いろんな感情がぐちゃぐちゃになった感覚。
教室を出て、下駄箱に向かおうと廊下を早足で歩いていると、背後から聞き慣れた声に呼び止められた。
「おや、佐伯。ちょうどよかった」
振り返ると、そこにいたのは、一年生のときの担任で、今も俺のことを気にかけてくれている学年主任の山崎先生だった。
「山崎先生」
「急で悪いんだが、職員室で少し話せないか?西川先生から、お前の進路の件で話を聞いてな」
山崎先生は、俺の家庭事情を知っている。西川先生から何かしらの話が伝わっていてもおかしくない。
「はい、わかりました」
早く帰りたい気持ちはやまやまだったが、学年主任に引き留められちゃしょうがない。祐樹に別れを告げて職員室へ向かった。
職員室は大半の教師が部活やら何やらで出払っていて、静かだった。山崎先生は自分の席に俺を座らせ、温かいお茶を出してくれた。
「佐伯、西川先生から話を聞いたんだが、改めて確認させてくれ。佐伯、就職希望というのは本当か?成績は申し分ないんだ。地元の国立大学も十分狙える。大学進学は考え直せないか?」
山崎先生は真剣な眼差しで俺に言った。
「ありがとうございます。でも……やっぱり、難しいです。俺、母さんを支えたいんです」
俺の母親は、父親と離婚してから女手一つで育ててくれた。昼も夜も働き詰めで、体を壊しかけたことだってある。高校を卒業したら、すぐに就職して、母さんを少しでも楽にさせてやりたかった。
「お前が孝行息子なのはよく分かっている。だが、大学を出てからの方が、長い目で見れば……」
山崎先生の言葉は最もだった。母さんだって、大学に行きたいと言えば反対しないのはわかっている。けれど俺は、今すぐにでも母さんの助けになりたい。それは高校生になってからずっと考えていたことだった。
「俺の気持ちは変わりません。母さんが倒れる前に、俺が稼げるようになりたいんです」
俺がそうはっきり告げた瞬間、職員室のドアが静かに開いた。
ふわりと、高級な香水の香りが俺の鼻腔をくすぐる。振り返るまでもなく、それが誰か分かった。
天城 陵だ。
今日赴任してきたばかりとは思えないような、堂々とした様子で職員室に入ってきた。俺たちの横を通り過ぎる際、彼の瞳が、俺の横顔を捉えた。
俺は咄嗟に、顔を逸らした。まるで見てはいけないものを見たかのように。
(このままだと、また心を乱される)
天城は山崎先生に軽く会釈すると、そのまま自分の席へ向かった。俺の視界の端で、彼が椅子にだるそうに腰掛けるのが見える。
「そうか……。佐伯の意思は固いんだな。でも進路を変えるのにもまだ時間がある。もう少し考えてみてくれ。いつでも相談しに来ていいからな」
「ありがとうございます、先生」
俺は立ち上がり、深く頭を下げた。これで話は終わりだ。一刻も早く、この空間から立ち去りたかった。
「失礼します」と山崎先生に告げ、ドアに向かって歩き出した。あと一歩でドアに手が届く、というその時。
「おい、佐伯」
背後から誰かに声に呼び止められた。見なくてもわかる。天城の声だ。
俺は身体を硬直させたまま、ゆっくりと振り返った。
天城は立ち上がり、俺の顔を冷たい瞳で見ていた。その眼には、先ほどのホームルームで見せた、人を値踏みするような光が宿っている。
「ホームルームで、俺に向かって何か呟いただろう。何か言いたいことでもあるのか?」
聞きなれたその声に、俺の心臓は爆発しそうだった。
(ここで『お前は俺の前世の恋人』なんて言えるわけがない。)
またしても俺の中で湧き上がるぐちゃぐちゃな感情。すべての感情が交錯し、俺の口から飛び出した言葉は、
「あ、あの……!天城先生は、彼女とかいるんですか!」
山崎先生も驚いたように咳き込んだ。
天城は一瞬、その完璧に整った顔を驚きで固まらせたが、すぐに笑みを浮かべた。
「両手じゃ数えられないくらいにな」
「は?」
「あー、まあ安心しろ。浮気だの不倫だのそんなんじゃない。俺の愛はいつでも平等、だ」
愛、だと?
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが切れた。エリシアとしての最期、その命に代えても愛を証明すると誓った男が、「女は数えきれないくらいいて、愛は平等に」だと?
「……最低、クズ野郎!」
俺は職員室の静寂を打ち破るように、精一杯の怒声を叩きつけた。山崎先生が「佐伯!」と声を上げるよりも早く、俺は職員室のドアを乱暴に開け放ち、逃げるように走り去った。
職員室に残された天城は、微動だにせず、俺が消えたドアを見つめていた。
「……面白いやつ」
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