第51話 噂は酒場から

 串焼きをローア銀貨で支払い、いくらかの銅貨を釣り銭として受け取ることに成功した。もちろん正当な額とは言えず、明らかに損をしていた。しかし使えるということが最も知りたかったことなので蔵人は気にも留めなかった。

 むしろそれこそが彼の狙いの一つだったのだ。「ローアの銀貨を惜しみなく使う馬鹿」、そんな話は酒場や市場で瞬く間に広がる。目立つことこそ、彼の計画の第一歩だった。

 安宿に腰を落ち着けると、蔵人は仲間を集め、低い声で計画を打ち明けた。

蔵人「とにかく酒場で、これから言うことを言いふらすんだ」

 仲間たちは息を呑み、耳を傾ける。蔵人の言葉は次第に熱を帯びていった。

 その内容はこうだ。スヴェトミールではオルマリンクの森、アルテンローア王国ではシュヴァンデンベルクの森と呼ばれている、愛染学園がある森に、城塞が建設されたと吹聴するのだ。

蔵人「俺達は周辺の村々から集められた人夫だったが、労役があまりに苛烈で、ついに脱走した……そういう設定でな」

 狼牙は腕を組み、眉をひそめる。

狼牙「それに何の意味があるんだ?」

蔵人「未開の地に城塞が建設された、その情報は軍事的に非常に重大だ。特にこんな開戦間近なんて時には、な。噂は広がって、大公の耳にも届く、はずだ」

ユーリ「はず、って……」

 ユーリは不安げに口を挟む。

 蔵人は咳払いをして話を続けた。

蔵人「そうすれば、もしかしたら大公に呼び出される可能性が出る。そうじゃなくても、この噂の真相を突き止めようとはするはずだ。そこでどうにかして大公に引き合わせるように交渉する、それしかない」

 政宗は不安げに口を開いた。

政宗「うまく行きますか……?」

蔵人「他になにかいい方法あるのかよ!! 宮殿の前で、会わせろって騒ぎ立てるのか!? 多分下手したら殺されるぞ!!」

 政宗は言葉を失い、唇を噛んだ。狼牙も黙り込む。重苦しい沈黙が宿に落ちた。

 やがて蔵人は深く息を吐き、低く呟いた。

蔵人「……うまくいかなきゃ俺達は死ぬ。だから死ぬ気でやるぞ」

 その言葉に、仲間たちは互いに視線を交わした。誰も反論はできなかった。蔵人の策は危険で、成功する確証などない。しかし他に道はなかった。彼らの未来は、この噂に賭けるしかないのだ。


 荘厳なケルレウム宮殿の玉座の間には、その高い天井を黄金の装飾で着飾り、壁面には古のローア帝国を模した壮麗なモザイク画が並んでいた。玉座に座すはスヴェトミール大公国の君主、アレクセイ一世・ヴォルコフ大公である。

 薄いブロンドの長髪と同色の長く蓄えられた髭は、年齢を重ねた威厳を隠すどころか、むしろその美しい顔立ちを一層際立たせていた。美丈夫と呼ぶには歳を取りすぎていたが、彼の眼差しには若き日の鋭さと覇気が未だ宿っていた。

 彼は、若き頃からその才気をいかんなく発揮し、一代でスヴェトミールを大国へと押し上げた傑物だった。

 パンタニア平原の諸国は、かつては部族ごとに王を戴く分裂した部族国家群に過ぎなかった。彼の姓でもあるヴォルコフもその一部族にすぎなかったが、アレクセイは武力と懐柔を巧みに使い分け、諸部族を次々と従わせていった。彼はついに「公たちの公」として大公の地位を創設し、統一国家の名称をスヴェトミールとした。

 グロスヴァンデンスブルク、かつて世界の半分を支配した古のローア帝国の首都を模して築かれた水の都が意味するものは、彼のやまない野心の証だった。

 アレクセイの目はすでにパンタニア平原の外へと向けられていた。分不相応にもローアの末裔を称する西方諸国家を制服し、ローア帝国を凌駕する新たなる帝国を建国することが彼の終の目標であることは、誰の目にも明らかだった。

 そんなアレクセイの傍らには常に一人の男が立っていた。彼の幼馴染であり、参謀であり、最も信頼する臣下であるグリゴリー・ラジミロフ公だった。

 線の細い体つきに違わぬ長身が特徴的な男だった。灰色の瞳は鋭くそして大きく、どこまでも見通すような不気味さを持っている。皮肉屋で理屈っぽく、冷徹であり過剰なまでの合理主義から嫌うものも多いが、その豊富な見識と戦場での勇猛さはアレクセイにも引けを取らない。

アレクセイ「市井の噂をしっているか?」

グリゴリー「噂? ああ、オルマリンクの森に城が建ったってやつか。くだらない話だな」

アレクセイ「お前はどう思う?」

グリゴリー「どう思うかだと? ……城が建ったかどうかなんてどうでもいい。重要なのは、誰が、何のために、そんな噂を流してるかだ」

アレクセイ「お前は結論が早すぎて、時に置いていかれるよ」

グリゴリー「いやいや、アレク。お前も同じこと考えてるから俺に聞いたんだろ? 違うなら、わざわざそんな話を振る必要ないはずだ。……それとも、ただ俺の反応を楽しんでるのか?」

 アレクセイは肩をすくめ、わずかに笑みを浮かべた。

グリゴリー「ほら、図星だろ。お前は俺の理屈っぽさが鬱陶しいなんて顔をするが、結局その理屈に頼ってる。だから俺を傍に置いてるんだ」

アレクセイ「グレック、そんなんだから友達がいないんだぞ」

グレゴリー「友達? そんなものは必要ない。俺にはお前がいるだろ。……まあ、友達って呼ばれるより、嫌われ者の参謀って呼ばれる方が性に合ってるがな」

アレクセイ「お前は、本当に、なんというか、ひねくれてるな」

グリゴリー「ひねくれてるんじゃない、事実を言っているだけだ。人は真実を嫌う。俺はそれを言う。だから嫌われる。単純な話だ」

アレクセイ「まあ、その真実が俺を助けてきたのも事実だがな」

グリゴリー「ほらな。結局俺が必要なんだよ、アレク。鬱陶しいと思いながらも、俺の言葉を手放せない。……まあ、共依存ってやつだな」

アレクセイ「それで、千里先をも見通すラジミロフ公は、どういう意図で噂を流しているとお考えで?」

グリゴリー「意図? そんなのは単純だ。俺達の真相を突き止めさせようとしてる。そして、最終的にはお前に会いたがってる。……まあ、会えば何かが変わるとでも思ってるんだろうな」

アレクセイ「なぜだ?」

グリゴリー「なぜ? 俺は全知全能の神じゃないんだ、お前に会いたい理由なんて、わかるわけがないだろう? ……だが、なぜ城が建築されたなんて噂を流すのか。この時期に、俺達を混乱させたいのか、あるいは真実を吹聴しているだけなのか。いいや、今はそんなことどうでもいい。重要なのは、奴らがお前に接触したいという事実だけだ」

アレクセイ「……」

グリゴリー「そして奴らの思惑を確認してくるのが俺の仕事だ。お前は玉座に座っていればいい。俺が屠殺人みたいに切り裂いて、中に何が詰まっているか見せてやる。……まあ、見たところで気分が悪くなるだけかもしれんがな」

 さっそうと玉座の間から立ち去ったグリゴリーも後ろ姿を、アレクセイは見送る。

アレクセイ「回りくどいことを言いよって、とどのつまりその者たちを自分で調べたいだけではないか! まったく……やつは昔からこうだ」

 そうは言いつつも、アレクセイはグリゴリーの興味を引いた者たちに対して同じく興味を抱いていた。

アレクセイ「あのグレックが興味深々で居ても立っても居られない、か。ふっ! 一体どのような奴らなのだろうな。我に災いをもたらすのか、それとも……」

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