第50話 グロスヴァンデンスブルク
兵士たちの亡骸から鎧や武具を剥ぎ取る作業は、想像以上に重苦しかった。鉄の重さ、そして肉や骨の重さ以上に、重く感じた。誰もが顔を歪めて作業をした。遺体を別の場所へ運び、土に埋めるとき、その重さからようやく解放されたような気がした。
事後処理を仲間に任せ、蔵人は黒鹿毛の巨馬ブケファロスに跨った。その高い背に身を預けると、木々の隙間から吹く冷たい風が頬を撫で、戦いで火照った頬を冷やした。
蔵人「時間が惜しい……」
シュヴァンデンベルク辺境伯領からスヴェトミール大公国へ至る正規の道は、ブランダウから続く辺境街道を進み、終着点のエーベネス砦で通行税を払い、ウラール峠を越えてパンタニア平原へと至るものだった。そこから首都グロスヴァンデンスブルクまでは馬車で四日、馬なら二日。だが蔵人たちには、そのような悠長な時間も、人目に晒される街道を進む余裕もなかった。
彼らが選んだのは、不正確な地図と頼りないコンパスを手に、森を突き抜けて直接パンタニア平原へ至るという荒業だった。危険と隣り合わせの道程だが、学園の森から大公国へ直通するルートを確立することこそ、今後の生存においても不可欠だった。
スヴェトミール行きのメンバーは、黒瀬狼牙、川治政宗、そしてユーリとレンの二人だった。このメンバーにはブランダウで乗馬の訓練をさせていたので拙いながらも馬に乗れた。
荷馬車の馬に鞍をつけると、五人は急いでスヴェトミール大公国へと足を進める。
政宗「ま、待ってください!! 早すぎる!!」
蔵人の愛馬ブケファロスの速度は並の馬では到底追いつけるものではなかった。この山岳地帯ですら落ちない速度と持久力そして頑強さによって、ブケファロスは比類ない名馬であると蔵人は実感した。
ユーリ「俺達は、必要なのか? なんだか足手まといみたいで……」
ユーリが不安げに問う。
蔵人「そんなことないさ。……俺だって不安なんだよ、一人で知らない街へ行くのはな」
無論それだけではない。一人で行動するよりも人数を揃えたほうがなにかと応用が効くという目論見もあったのだ。
蔵人「残された時間は多く見積もっても二週間、その間になんとしても大公へ目通りしなければならない、なんとしても……」
一行は学園の水源である川を下りながら森を進んだ。山地で川沿いを下ることは危険だったが、そうも言っていられない。一行は強行に川を下っていった。
幸運なことに滝と呼べるようなものもなく、なだらかな坂を下って一行は森を抜けることができた。川幅は段々と広く、そして別の川と合流して更に広くなっていった。
途中製材所など小さな集落があったので、そこで地図などを購入した。最初こそ山賊かと疑われたが、こちらに戦う意思がないことを示すと態度を軟化させた。
製材所の村人に首都までの道のりを聞くと、川を下って行くとそのうち着くと言われた。
地面の起伏も少なくなり、広大な平野が広がる土地にたどり着くと、そこがパンタニア平原であると誰もが確信した。
いくつかの村落を越え、川はやがて大河となり、さらに広大な内海へと注ぎ込む。その水辺に築かれたのが、水の都と称されるグロスヴァンデンスブルクであった。ブランダウの重厚さとは異なる、荘厳さと人工美を兼ね備えた巨大な都である。
内海には数え切れぬほどの船が停泊し、帆を畳んだ商船や軍船が水面に影を落としていた。川からも荷を積んだ船が次々と流れ込み、港は絶え間ない喧騒に包まれている。水門の開閉に合わせて船が行き交い、運河沿いには石造りの倉庫や兵舎が整然と並んでいた。
市街地のある岬を塞ぐように立てられた高く分厚い城壁は、外壁が青く塗られ、遠くからでもその鮮やかがよく目立った。青は内海の透き通るようなエメラルドグリーンの水面と呼応し、まるで都市全体が水と一体化しているかのように見えた。
城門をくぐり、街に足を踏み入れると空気は一変する。運河が縦横に走り、石造橋が幾筋も架けられ、橋の上からは整然とした街並みが見渡せた。街の中央には白い石造りの宮殿と大聖堂が並び立ち、噴水の水が陽の光を反射して煌めいている。広場では祭礼の歌声が響き、華やかな色彩で街を彩っていた。
蔵人は思わず息を呑んだ。
蔵人「言っちゃあなんだけど、この街に比べたら、ブランダウは醜いアヒルの子だな」
彼の言葉は皮肉めいていたが、目の前の光景に圧倒されているのは隠しようがなかった。
市のメインストリートには、様々な屋台が軒を連ねていた。久しく嗅いでいない肉と香辛料が焼ける匂いが、蔵人たちの鼻孔と胃袋を刺激する。たまらずその串焼き肉を買おうと財布から貴重な金銭を取り出した。
店主「あ? ローアの銅貨じゃねーか。これじゃあ売れねえよ」
店主は銅貨を指先で弾き、軽蔑するように鼻を鳴らした。
蔵人「俺達シュヴァンデンベルクから逃げて来たんだけどさ、この国のことよく知らねえーんだよ、色々と教えてくれよお!」
店主「めんどくせーな! どっかいけよ!」
蔵人「頼むよ~シュヴァンデンベルクのことを教えるからさあ」
店主「金を払わなええなら客じゃねえ!! 失せろ!!」
蔵人「銀貨なら大丈夫か?」
店主「!!」
店主の顔色が変わるのを蔵人は見逃さなかった。
蔵人「別の店行こっかなあ」
店主「まてまてまて! 買ってけよ! うちの羊肉は美味いぞ!」
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