第19話 この思いはきっと――
大型の鹿を仕留めたという報せは、学園中を沸かせた。
だが、蔵人は浮かれなかった。むしろ強く反対した。「大型獣を狩るのは危険すぎる」――共に死にかけた月絵の口添えもあり、その危険性はすぐに共有されることとなった。
大型の動物はそれだけでしぶとく、特に死に際の力は恐ろしい。
蔵人(まあ、そこは動物も人間もかわりないけど、な)
そのことを身をもって体験した二人は、必死に訴えた。生徒会もその意見に賛同し、狩猟は野ウサギに限ると決定された。
さても問題はこの鹿の皮だった。蔵人は苦労して狩り、またそれ以上に苦労して剥ぎ取った皮を有効活用したかった。ウサギを解体するのとは手間も重さも桁違いだったのだ。
植物に詳しい式藤不比等が提案した。「この森に多く自生しているオークの樹皮からタンニンを煮出して、伝統的な鞣しを試してみたい」
蔵人はその意見に大賛成した。
ただし、成果が出るのは数週間、あるいは数か月先になるだろう。それでも蔵人は誰よりも熱心に鞣し作業に加わった。川辺で何度も皮を洗い、毛を削ぎ、脂をこそぎ落とす。余った灰を擦り込んで乾燥を遅らせる。素人仕事ではあったが、タンニン液に皮を沈めた瞬間、蔵人は自分が皮職人であると自惚れた。動画配信サイトで見たサバイバル動画を思い出しながら、夢中で手を動かした。
次に取り組んだのは木炭の生成だった。乾いた枝を集め、円錐状に積み上げ、泥で覆って火をつける。火が回ったら空気孔を塞ぎ、蒸し焼きにする。
最初こそ生焼け、というか、中心部分の木が炭化していないというトラブルに見舞われたが、試行錯誤を重ねるうちに、既製品のように美しい見た目ではなかったが、実用に耐える木炭ができあがった。
手伝ったのは陰キャグループの軌条キザムと式藤不比等だった。両者ともに蔵人と森の中を彷徨った仲だ。
出来上がった木炭で火を囲んで、三人は子どものように喜び合った。
その日を境に、蔵人は陰キャグループと打ち解けていった。根が似た者同士だったので、距離が縮まるのに時間はかからなかった。
それだけではなく、不良グループに食料のタカリをやめさせたことも大きかった。
不良の一員、球磨川狂は意外にも義理堅く、「俺たちを説得したのは愛宕だ」とわざわざ言いに来た。粗暴に見えて筋は通す奴だった。しかし、チャラ男の早乙女塁はたまにタカリに来るらしかった。誰からも相手にされなかったが。
また、鹿肉を保存するべく干し肉、もっというならば燻製肉にする試みを試された。
塩が貴重になった今、塩を使った干し肉と、塩を使わず煙でいぶした燻製肉の二種類が試みられた。肉を薄く切り、風通しの良い日陰に吊るす。焚き火の煙が絶えず流れるように工夫し、虫や腐敗を防ぐ。
保存期間は長くはないだろうが、それでも「明日食べる分を今日確保する」生活から一歩進んだことは確かだった。
学園は着実に自活の道を進んでいる。
――蔵人は、その間に白藤弦音にあっていない。
楓「白藤さんに会われないの?」
その質問に、蔵人は答えられない。
弦音はもう保健室にはいなかった。
いつまでも休んでいてもらえるほど、この学園に余力などなかった。元いた部屋に戻り、割り振られた役割をこなしているらしい。
しかし、どこか浮いたような、腫れ物のような扱いを受けていると、楓は言った。
蔵人「浮いているのはもとからだろ……」
楓「それが傷心の女の子にいうセリフですの!?」
蔵人「別に本人を前には言っていないだろ……」
楓「それでもデリカシーがありませんわ!!」
楓はぷんすかと頬をふくらませる。蔵人は肩をすくめたが、心の奥では小さな棘が刺さったように痛んでいた。
蔵人「今、男となんて会いたくないだろうし、それに……会ったら、俺にあったら思い出させるかもしれないだろ」
その言葉に、楓は口をつぐんだ。
彼女自身も、一応の配慮として弦音の周囲に男子を極力近づけないようにしていたからだ。だからこそ、蔵人の言葉を否定できなかった。
だが同時に、楓は思った。
避け続けることが、本当に弦音のためになるのか、と。
楓の脳裏に蘇るのは、弦音が泣きながら自分を責め続けていた言葉だった。助けを求めたことを悔い、すべてを自分のせいだと繰り返していた、あの痛々しい光景を、もしかしたら繰り返させるだけなのかも知れない。
それでも、それでも彼女には、この男、愛宕蔵人が必要なのではないのだろうか?
楓「――っ!」
胸の奥に、鋭い痛みが一瞬、走った。
なぜ痛んだのか、楓自身にもわからない。わからないと、そう思い込もうとした。
楓「それでも、会うべきですわ」
蔵人「そうか、楓が言うのなら、そうするべきなんだろうな……」
蔵人は頭をかいて、その後ふらふらと数歩歩いた。その後立ち止まって、振り向いたあと、楓に質問した。
蔵人「……あいつ、どこにいんの?」
楓「今日は、なにも当番がないから、自由にしていると思いますわ」
蔵人「……図書室かな」
蔵人はふらふらと歩き出した。やはりその足は、どこかおぼつかない。
楓はそんな蔵人の背中をいつまでも見つめていた。
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