4-5

 記憶時間の五分が始まると、美波は身体の力を抜くように大きく息を吐いてからトランプに意識を注いだ。

 物音ひとつない静かな空間の中、美波の脳内に涼介と歩き回ったルートが出現して、自己が没入した。

 美波の意識が変わった、と涼介でもわかるほどに美波の顔つきが真剣以外に言いようのないものに変わっていく。


 公園の入り口に、♡1と♢5

 灰皿の上に串団子が音を立てて落ちるイメージ

 

 滑り台に♤3と♡5

 炭を箱に梱包するイメージ


 ベンチに♤6と♧10

 スロット台を前で祈祷するイメージ


 次は砂場、♡7と♤12

 花弁からスキーヤーが出てくるイメージ

 

 次はブランコ、♢9と♤9

 タクシーのドアを開けたらスクーターが飛び出てくるイメージ。


 ここまで五か所、計十枚をイメージ化すると美波は頭の中のルートに我を忘れたように没入感が増し、一層集中力を強くして無意識化でのトランプを捲る手が止まらない。

 その後、序盤十枚よりも速いペースで半分の二十六枚をイメージ化し終え、気が抜けそうになるのを必死に堪える。

 涼介や有紗に従うままにトレーニングを積んでいるうちに、美波は自身でも驚くほどに堪え性が身についていた。

 以前は集中力に乏しく、頭を使う作業はすぐに投げ出していたのが、他に気を取られずに集中を保てている。

 

 交差点のミラー、♤5と♡9

 スコップで地面を掘ったら大量の白球を掘り出した。


 集中を持続させたまま反射だけに近い感覚でトランプのイメージ化を続けていくこと約二分。

 いつの間にか最後の二十六か所目まで辿り着いていた。

 最後はちょっかいを掛けてきた連中と遭遇したコンビニの駐車場だ。


 ♤4と♡13

 

 あの時の情景が邪魔して集中が乱されそうになるが、美波はなんとかイメージ化を敢行する。

 

 寿司を握ったら手が刷毛に変わっていたイメージ。


 トランプ五十二枚を頭の中の二十六か所に据え置いた美波は、スタックタイマーに両手を触れて計測を止めた。

 現実へ引き戻される感覚とともに身体から力が抜けるような息が漏れてしまう。


「時間いっぱいまで気を抜いちゃダメだよ」


 涼介が厳しい声で釘を刺す。

 美波は脱力しかける自分を叱咤し、脳内のイメージが薄れないように残りの時間で記憶を思い起こしていく。

 記憶時間の五分が終了すると、涼介が美波に笑い掛けた。


「次は回答時間だよ。準備はいいかな?」

「おう」


 返事を聞いてから、涼介はスマホのタイマーで再び五分を動かし始める。

 美波は記憶に不安があったが、涼介の視線に促されるように回答用のトランプを手に取り、頭の中のイメージを辿ってトランプを並べ替えていった。

 自信など無かったが覚えた順通りに並べられることに目を丸くしながら、残り二枚まで並べ終える。

 涼介のタイマーが三十秒ほどになり、美波は窺う視線を涼介に送る。


「いちおう、並べられた」


 美波の一言に涼介は確信ありげに頷き返した。

 美波が覚える過程を観察していた涼介は、ついでに美波が捲っているトランプにも意識を割き記憶しておいた。

 回答時間の五分が経過してから涼介と有紗が美波の傍まで戻る。


「それじゃ東さん。答え合わせしようか」

「おう、緊張する」

「僕と平野さんでやり方を教えるから、東さんは見ててね」

「わかった」

「それじゃ平野さん、回答用のトランプお願いできるかな?」

「はい。涼介くん」


 涼介の頼みに従い有紗が回答用のトランプを手に取る。

 強張った顔つきで眺める美波へ、涼介が回答の手順について説明を始める。


「回答を見るときは記憶用と回答用を別の人が持って、同時に捲っていくよ」


 言ってから有紗と息を合わせて一枚目を捲りテーブル上に置く。


 一枚目は♡1。記憶用と回答用は一致した。


 ほっとする美波を差し置いて涼介と有紗は二枚目を捲る。


 二枚目は♢5。こちらも一致している。


「二枚目までは合ってるね。ちょっと捲るペース上げるけどいいかな?」

「大丈夫、たぶん」


 自信なさげでも美波が応じると、涼介と有紗のトランプを捲る手際が目に見えて速くなった。

 美波はトランプのスーツを目視するのに手一杯だったが、意外にも山札の半分が終わっても不一致は出ない。

 それでもスーツの違うトランプがいつ出るか、と油断できずにいる美波の目の前で二組のトランプは捲られていく。

ついに最後の一枚が涼介と有紗の手から落ちた。


「……終わったのか?」


 美波が回答を引き受けた二人へ恐る恐る尋ねる。

 涼介は微笑み返し、有紗は観念したように目を閉じた。


「東さん、五十二枚全部一致だよ。トランプ記憶成功だね」

「悔しいですけど、よく頑張りました」

「……マジ、か……」


 呆然と涼介と有紗の顔を見つめ、次にテーブル上で山上に乗った♡13へ目を移し、次第に湧いてきた歓喜で美波は開花するような笑顔が零れた。


「マジか、あたしでも覚えられたのかよ。すげーよ、なんかすげーよ!」

「初挑戦で初成功。すごいよ東さん」


 涼介が賛辞を送ると、美波の笑顔はよりいっそう喜色が増す。 


「師匠に褒められた。めちゃくちゃ嬉しいな!」

「そんな喜んでもらえるなら指導してきた甲斐があるよ」


 涼介の方も美波のはしゃぎぶりを目にして、自分のことのように嬉しさがこみ上げてくるのを感じた。

 歓喜に溢れた空間の中、ただ一人喝采に参加していない有紗が冷静な顔つきで口を開く。


「初挑戦でいきなり成功したのは素晴らしいと思います。でも、まだゴールではありません東さん」

「……あ?」


 喜悦に水を刺された美波は呆けたように突き上げていた拳の力が弱まる。


「喜んじゃダメなのか?」

「喜ぶのは構いません。ですが、今の時点で満足しないでもらいたいですね」


 有紗の言い分に不満を抱いた美波は、ともに歓喜してくれた涼介へ目を向けた。

 しかし涼介は気を引き締めなおしたように笑顔を引っ込めると、真面目な表情を美波へ返す。


「平野さんの言う通りだね。僕まで一緒になって喜んでる場合じゃないね」

「師匠、見せかけだったのか?」


 ショックを感じた声音で残念がる美波。

 見せかけじゃないよ、と涼介は慌てて返答する。


「嬉しいのは本心だよ。でも僕は指導する側だから気を抜いちゃいけないのも確かだから。そういうことなんだよ」

「師匠だからって素直に喜んじゃダメなのか?」

「ごめんね。厳しいことを言うようだけど、僕と平野さんは美波さんに一回成功しただけで満足して欲しくないんだ。東さん次第でもっと上達できると思ってるから」


 諭すように言い始めたが最後は語気を強くする。

 期待されることが重荷なのか、美波は不安そうな顔になる。


「今日初めて成功させるだけで大変だったのに、これ以上上達できるのかあたし?」

「大丈夫。今回の成功をまぐれだなんて言わせないぐらいに東さんを上達させるつもりだから」


 美波の目を真っすぐに見返して涼介は請け合う。

 涼介の宣言に安心して美波がほどけるような笑みを浮かべる。


「サボったら叱ってくれよ師匠」

「叱るのは得意じゃないけど、東さんのやる気を挫かないように精一杯指導を続けさせてもらうよ。それにいざとなれば僕よりも平野さんが注意してくれるよ」


 涼介は自分自身、有紗に注意される人間であることを思い出しながら謙遜気味に言った。

 名前の上がった有紗が意味ありげに美波に向かって微笑む。


「涼介くんから了承をもらいましたから、今後はもっと厳しく指導していきますからね東さん。覚悟していてください」

「お、おう」


 厳しい、という言葉に怯えたように美波は自信なく返事をする。

 美波の様子を見て涼介は笑い掛ける。


「自信持っていいと思うよ東さん。覚えらなかった最初を考えれば、五分掛けずに覚えられる今がどれほど成長しているか、振り返ってみてよ」

「でも、師匠からしたら足元にも及ばないだろ?」

「師匠が簡単に弟子に追い抜かれてなるもんか。でもこのままトレーニングを積めば僕を超えるかもしれないね」


 可能性を示唆して涼介は励ます。

 師匠がそう言うなら、と美波は少しだけ表情を緩める。


「もっと頑張る」

「うん。師匠として僕も東さんの信用に応えられるように努力するよ」


 互いに信じ合った良好な師弟関係を築く涼介と美波。

 だが時おり垣間見える二人の親密さに有紗は納得しておらず、眉根に皺を寄せて不服そうに口を挟む。


「東さんは、ほんとーに涼介くんにチョロいですね」

「ああ?」


 有紗の悪意ある冷やかしに、美波は聞き捨てならないという顰め面を向ける。


「いまチョロいって言ったか、てめぇ。師匠のおかげでデカい口利けてる奴が偉そうにほざくな」


 売り言葉に買い言葉で反駁する美波。

 意欲に溢れていた空間が一瞬で剣呑さを深め、有紗と美波から殺伐とした雰囲気が醸し出される。


「ぽっと出のあなたが何を言うんですか。私と涼介くんの仲に土足で踏み込んできたのはあなたでしょう。それに涼介くんの前でだけ殊勝な顔して、そんなに涼介くんに気に入られたいんですか。そんなことしないと涼介くんに構ってもらえないんですか?」


 段々と口調を強くし、最後には憐みさえ含ませて鼻で笑う。

 美波は五月蠅そうに口をいの形にしてから言い返す。


「てめぇこそ、師匠が頼んだわけでもないのに助手とか言って勝手に師匠に張り付きやがって」

「涼介くんはあなたのやる気を挫かないようにあえて師匠と呼ばれることを選んでくれているんです。本当なら涼介くんがあなたを弟子にする義務はないんですよ」

「あたしを弟子にしてくれたのは師匠の判断だ。師匠の判断が間違ってるとでも言いたいのか、ああ?」

「その認識がおかしいんです。涼介くんは仕方なく我慢して師匠になっているんです。広い心であなたなんかを受け入れて容認してるんです」


 涼介本人は一言も発していないのに、有紗と美波は自身の思い描く涼介像を盾にして談判する。

 さすがに見兼ねた涼介は苦笑いを浮かべながら美波が並べたままのテーブル上のトランプの一組を手に取る。


「話し合いはこれぐらいにして、東さんがどんなイメージで記憶したか、今後の反省のために一度振り返ろう」


 涼介の声に有紗と美波ははっとして口を閉ざし膝ごと涼介へ向き直る。

 結局、女子二人の口喧嘩を涼介が無理やり宥める定番になりつつあるパターンで記憶会演習はお開きへと向かっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る