第3話 『女神』と金城と


 足早に教室へ戻ると、またも金城が不機嫌そうな顔をしていた。


 なるべく急いだのだが、どうやら金城が沸騰しきるまでには間に合わなかったらしい。


「おい、深瀬ぇ。遅せーんだよてめぇ!」


「ごめ…」


 ずかずかと俺に詰め寄ると、鬼の形相をした金城は謝罪を待たずに大振りの拳を振り下ろそうとしてくる。


 その光景に一部の女子は悲鳴を上げ、男子たちはこれからの展開を予想しするかのようにまじまじと見てきた。


 思ったより早いな…。


 それは大振りにも構わず、しっかりとスピードの乗った拳。


 このままでは完全に避ける前に当たってしまうと俺は覚悟を決めて目を瞑る。


 そして、どんな痛みなのだろうとこれから来る衝撃に身を構えた。




 ――が、しかし一向に衝撃は来ない。


 目を開けてみると、金城は紙一枚程の距離のところで踏みとどまっていた。


 ︎︎これぞ紙一重。


 右目、拳しか見えないんだが。

 しかも睫毛が手に触れてる感覚があってちょっと不思議な感覚だ…。


 ︎︎ちょっと苦手かも。


 というか、流石の金城にも人を殴ってはいけないという倫理観はあったんだな。


 ちらと金城の顔に目線を上げれば、歯を食いしばって怒りの感情に耐えているような表情をしている。


 その反応を見るに、金城も意図した寸止めではなかったらしい。


 すると、そんな表情を見せたのは一瞬で、すぐにいつもの強面にもどってしまった。


「次からは気を付けろボケ!」


「う、うん。ごめん」


 なぜか反射的に謝罪が出てしまった。

 俺悪くないのに。


 突き出した目の前の拳を引くと、乱暴に俺の手からイチゴミルクを奪い取る金城。


 そして「何見てんだコラぁ!」と観客である生徒たちにがんを飛ばしながら自分の席へと戻り、「これだからクソ陰キャは」なんて取り巻き達に愚痴を零しだした。


 ︎︎相変わらず素行が悪いなぁ。


 その取り巻き達も、殴ろうとしたことに若干顔が引きつっている様子が窺える。


 ︎︎そんなことに気付かず、金城は話し続けているが。

 ︎︎なんか今ので亀裂入ってそうだな。


 彼ら、彼女らもまさかそこまでするとは思ってなかったのだろう。


 こんな金城が、イチゴミルク好きなのはちょっと意外なところではあるが。


 ︎︎それにしてもさっきの表情なんだったんだろう?


 ︎︎イチゴミルクを飲む金城を眺めながら、ふと、先ほどの表情を思い返す。


 ︎︎「流石に殴るのは不味い」とあんな一瞬で判断して留まることが出来るのだろうか?

 まあ確かに、今まで人を殴っているような姿は見たことなかったが…。


 なんて呆然と立ち尽くしていると、水を片手に一ノ瀬さんが教室に戻ってきた。


 ︎︎そして、何事も無かったかのように席に着くと同時にスマホを取り出す。


 ︎︎すると、俺のスマホが振動した。


 俺は自分の席に戻ってから着信の内容を確認する。


『あやか:さっきの大丈夫だった?』


 どうやらさっきの一幕を見て心配してくれているらしい。


 直接話してこないのはおそらく噂になったりすることを避けるための俺への配慮であろう。

 今の状況で俺に話しかけてしまうと、金城が俺に何をしでかすか分からないからな。

「なんでお前みたいな陰キャが『女神』と話してんだよ」とか、今度はほんとに殴られるかもしれない。


 ありがたい配慮だ。


『儁:うん。別に殴られたりはしてないから大丈夫』


 返信するとすぐに既読が付く。


『あやか:そっかよかった…』


『儁:心配してくれてありがと』


『あやか:んーん。気にしないで』


 一ノ瀬さんってメッセージになると口調変わるんだな。

 ちょっと意外。

 対面だと「気にしないでください」が文面上だと「気にしないで」に変化してるように感じるし、何より「んーん」の破壊力がすごい。


 それだけ心配してくれているということなのだろうか、それともこれが素の一ノ瀬さんなのか。


 いずれにせよ可愛いからいいんだが。


 一旦の話題も終わったところで、スマホを仕舞おうとすると…


『あやか:あの、今日の放課後空いてたりしますか?』


 との唐突なお誘いが入った。


『儁:空いてるけど』


 内心慌てふためいているが、冷静を装って返信する。


 この世は余裕のある男のほうがモテるのだ。


 …まあ、ただしイケメンに限るという言葉が付くのだろうが。

 生憎と、俺はイケメンじゃないので一生縁のない話だ。


 悲しいことに。


 基礎スペックの低さに絶望しつつ、返信を待つが今回はどうも遅い。


 既読はついているのだが…。


 今どんな状況にいるのか気になって一ノ瀬さんのほうを見てみると、どうやら金城に絡まれて…、いやお話しているらしい。


 もっとも、金城は笑みが絶えないようだがそれとは対照的に一ノ瀬さんはにこりともしていない。


 ︎︎もしかして表情筋が衰えているのだろうか。


 一応しっかり応答はしているように見えるが、その表情からもわかるように楽しそうではなかった。


 モテるっていうのも大変だな。


 金城のそれは明らかに好きな人に対する態度である。

 ︎︎露骨だ。

 ︎︎好意があることが透けて見える。


 しかし、金城よ。

 今のままじゃ一ノ瀬さんは落とせないぞ。


 心の中で、本人に伝わらない助言を送りながら金城と一ノ瀬さんが会話するのを眺める。


 こう見るとあれだな、金城の身長とその見た目のせいもあって道端でナンパするヤンキーとそれを受ける美少女の図にしか見えない。


 美少女サイドが嫌な顔をしてないのが珍しいところではあるが――


「ん?」


 そう思った瞬間、一ノ瀬さんが嫌悪感を露わにした表情を見せ始めた。


 そして突然、ダンッという大きい音が教室に鳴り響く。


 どうやら金城が机を叩いたらしい。


 ︎︎その衝撃に、教室全体がビクついた。


 金城を見ていた目線を一ノ瀬さんに戻してみれば首を振ったり、軽く手を振ったりを繰り返している。


 何かを否定、それか断っているのだろうか。


 そんな一ノ瀬さんに金城の声量はどんどん大きくなっていった。


「…だから!一回だけって言ってるだろ!」


「何度も言っていますがお断りさせていただきます」


「一回くらいいいじゃねーか!」


「ですから…」


 そんなやり取りを何度も。


 明らかに一ノ瀬さんは嫌がってる顔をしているが、周りには助けようとする人たちはいない。

 金城の取り巻きでさえ見てるだけだ。


 みんな標的にされたくないんだろうな…。


「はぁ」


 仕方ない、俺が行くしかないか。


 そう決意し、俺は一ノ瀬さんの元へ向かうことにした。

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