第2話 清雲寺セイナ
『天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ』
パラシスでしばしば引用される、ナイチンゲールの名言だ。
元々は彼女の看護観を語った言葉らしいのだが、
俺は、その意味を考えさせられることになる。
滅亡した楽園に転生して、彼女たちと再会したことで。
◇ 07/07 転生初日
「……ん」
小鳥のさえずりが、微睡みに波紋を起こす。
柔らかい陽の光を感じてゆっくりと目を開くと、シミのついた白い天井が見えた。視界の端にふわりと揺れるレースのカーテン。せっけんのような香りはラベンダーかな。
ここは……?
病院の中か?
よく見ると点滴のチューブが腕に伸びている。身体を動かそうとして、まったく動かないことに気づいた。首から下の感覚が薄い。一切ないわけではないけど、しびれが走っているだけで、それ以外に何も感じられなかった。
頭を過ったのは、トラックに引かれたときのこと。道路に突っ立っていた女の子を助けて、俺はたしかに鉄の塊に身体を吹っ飛ばされた。もう駄目かと思っていたのだが、奇跡的に助かったのだろうか? いや、そうじゃねえとベッドの上で目を覚ましたりはしないわな……。
俺が状況を理解しようと頭を働かせていると、ふと、目の前に何かが表示された。
青い、半透明な、正方形。
そこにはこう書かれていた。
Welcome back! My God!
転生おめでとうございます! ようこそエリュシオンへ!
「……は?」
俺は瞬きを繰り返した。
なんかその文字の下に、SDキャラみてえな天使たちが紙吹雪を飛ばして旗を振りながら踊ってやがる。あれだ、桃鉄のゴール駅についたときみたいな演出だ。
しばし呆然とその画面を眺め、俺は天井に目を向ける。
「……」
うん。
――おやすみ、世界。
俺は再び目を閉じた。
たぶん夢を見ているか、事故の混乱で頭がおかしくなっているかのどちらかだ。まあ、トラックにはねられたわけだから、こういうこともあるかもしれんね。減量末期で意味分からん精神状態になったときとかは、寝ればなんとかなっていた。だから寝よう。そうすりゃなんとかなるさ。
そうして眠りに落ちようとしたときだった。
なにかに、ゆさゆさと揺さぶられた。
「……?」
突然のことだったので思わず目を開いてしまう。手が見えた。すごく細くて白い手だ。指先のピンク色のネイルが綺麗。
横に顔を向けると、女の子と目があった。
瞬きをし合う。
「……」
「……」
え、なんだこの女の子。
亜麻色の髪をハーフアップにしている、ブレザーを着た小さな女子高生がいた。
くりくりとした狐色の瞳はリスみてえだし、ちょこんとのった桜色の唇はマシュマロのように柔らかそうだった。顔も小さくて整っていて、愛らしい。
なんというか……小動物みたいだ。若干猫背気味なところとか、頼りなさそうな感じが漂っていて、守ってあげたくなるオーラがすごい。庇護欲がそそられる感じがする。
そして、とくに目を引くのが背中から生えている翼。
あきらかに、天使の羽だよなあれ……。
え、なんで翼。いや、ていうか、なんか見たことあるなこの子……。でも、俺に女子高生の知り合いなんて居ないはずだし、やっぱりこれも幻覚か夢なんだろうか。
俺が混乱していると、女の子はわたわたとカバンからスケッチブックを取り出した。そして、慌てたようにペンを走らせ、俺の顔をおっかなびっくり伺いながら、くるりと反転させた。
『元気ですかー!?』
「いや、猪木か!?」
思わず突っ込んでしまったよ。
すんげえ太文字で、勢いよく書かれている。ダーッ!って声が文面から聴こえてきそうな勢いだ。
女の子は俺の反応に若干びびりながら、またセコセコとペンを走らせた。
『私は清雲寺セイナです。神様、覚えていますか?』
「……はい?」
待て待て。それってパラシスの超人気キャラクターにして、俺の嫁キャラの名前じゃねえか! 仲間を守るための力を得る代償として、声を失ってしまった可哀想なバックボーンをもつ、公式曇らせで有名な……。
え、たしかになんか見たことあるなあって思っていたけど、まさか清雲寺セイナのコスプレイヤーだったのかこの子。……すっげえ似てるな。カンペで会話するところまで再現しているなんて、気合い入りすぎだろ。
「えっと……コスプレイヤーの方ですか? 俺にはコスプレイヤーの知り合いは居ないはずなんですけど……」
ペンを走らせる。
『違います。私は天使です』
「……せ、設定を忠実に守るなんてプロ意識高いっすね」
『天使にプロもアマチュアもありません』
「たしかにそうでしょうけども! いや、俺が言っているのはコスプレイヤーとしての意識というか」
『私はコスプレイヤーじゃないですよ! 神様……やはり記憶を失ってしまっているのですね』
じわり、とセイナの目から涙が浮かぶ。
「ちょ、ちょっと泣かないでくれ! 俺も起きたばかりで頭が混乱しているというか……」
『ひどい。私にあんなことをしておいて、忘れてしまうなんて! 責任を取るって言葉は嘘だったんですか?』
「なんのことだよ!?」
まじで身に覚えがないんですが……。
たしかにゲームでは、トップに固定したセイナの頭をタップしまくったり、固有ストーリーで一緒のベッドに入るイベントをこなしたりはしたけども。
でも、それはゲームの世界の話で、コスプレイヤーの人にそんなセクハラまがいなことをした覚えは断じてない。SNSですらコスプレイヤーとの絡みなんかないし、そもそも筋肉の発信しかしていないぞ俺。
セイナは、唇を噛んで泣きべそを書きながらカンペを裏返す。
『う〜、許さない。ユキちゃんに言いつけてやるんだから!』
「……そんなこと言われても。って、ユキちゃん? ユキちゃんってまさか」
『
「文字書くのはええな! つーか、なんかめっちゃ圧感じるんだけど」
『気の所為です。神様のバカ』
アヒルみたいに唇を尖らせて、プリプリと怒るセイナ。可愛い。可愛いけど、理不尽すぎる。
なんだ、俺がおかしいのか……?
そういや、麻酔の副作用でせん妄に陥ることもあるというしな……。もしかすると、それのせいか? だってどう考えてもコスプレイヤーの知り合いに覚えなんかないし、さっきから存在しない記憶の話ばかりされているから。
さらに混乱を深めていく俺に、セイナはジト目を向けながらカンペを突きつけてくる。
『みんなを呼んできます。待っていてください』
「……う、うん」
『逃げないでくださいね?』
念を押すようにズイッと詰め寄られ、そしてすぐに顔を真っ赤にして距離をとられた。
どうしよう、可愛い以外の感想が出てこねえぞ。
『とにかく! 逃げたら駄目ですから! 二年も私たちの元から居なくなったんですからね!』
「……二年」
『はい! 二年です!』
セイナはカンペを指でつつきながら、むうっと睨んでくる。
俺は、その目を見ながら思った。
……二年って、俺がゲームを放置した期間と同じじゃね?
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