第1話 あかいいと


「……なんでやねん」


 死んだときのことを思い出して、俺は教室の中で独りごつ。


 黒板にチョークで書かれた「サイドレイズ様、おかえりなさい!」のポップな文字と、ダンベルと二頭筋のかわいいイラストを眺めながら。


 俺は神様になっていた。そして、名前がサイドレイズになっていた。


 もちろん俺の本名なわけがない。俺には剣崎勇斗という爺ちゃんに名付けてもらった強そうな名前がある。


 これは、ゲームのプレイヤー名だ。


 美少女育成スマホゲーム「パラダイス・ロスト・クライシス」


 プレイヤーが神様となり、楽園〈エリュシオン〉を守護する天使たちを育成する恋愛✕戦闘シュミレーションゲームだ。


 これはそのゲームでの〈神名〉であり、適当に肩トレの種目名からとった脳筋上等な名前である。俺はこの世界において、筋肉の神様〈サイドレイズ〉として崇め奉られる存在なのだ。


 うん……。


「……いや、なんでやねん」


 もう一度そう繰り返す。


 ――本当、なんでなんだよ。


 ゲームだし良いっしょ、ってノリで決めた名前で実際に呼ばれることになるなんて、誰が予想できるっていうんだ。


 ゲームの世界に転生して、まさか本物の神様になるなんて思うわけがねえよ。俺はただ週五で筋トレして、たまにボディビル大会に出場していただけの一般トレーニーなんだぞ? それがどうしてこんなことになった?


 この世界に来て四日が経つが、心の整理はまだついていなかった。ポジティブって人からよく言われる方ではあるけど、さすがにこれはなあ……。あまりにもファンタジーすぎて、単純な脳筋の頭でも処理しきれない。


「……」


 俺は溜息をつきながら、カラカラと窓を開けた。


 石鹸を思わせる爽やかな匂いが、柔らかい風とともに吹き抜けていく。楽園の風は驚くくらいに清涼で、優しくて、顔に受けるだけで癒される。


 俺はその先にある景色を見ないように、校庭に目を落とした。人気のないグラウンドには所々草が目立っていて、錆びたサッカーゴールとフェンスが侘しく佇んでいる。


 普通の寂れた、手入れの行き届いていない学校。


 

 

「……はあ」


 どうすりゃいいのか。


 困ったなぁ、先行きがまったく見えてこないよ。そもそもなんで俺はこの世界に――。


「サイドレイズ先生、どったの? でっかい溜息だねえ」


「おわっ!」


 俺は思わず飛び跳ねる。


 後ろを振り返ると、水色のショートヘアの女の子が立っていた。


 学校指定のブレザーの上に黒いパーカーを羽織った、ボーイッシュな印象のある美少女だ。人懐っこさを感じさせる翡翠色の猫目と、人形のように整った顔立ち。そしてなによりも特徴的なのは、その背中に生えている小さな天使の翼だろう。


 彼女は、天使だ。


 静馬坂しずまざかシズカ。


 パラシスのアイコンにもなっている主人公であり、俺がゲーム内で最初に出会った初期天使だ。人気投票では常に十位以内に入る、パラシスの看板ともいうべきキャラクターだ。


 シズカは俺のオーバーリアクションが面白かったのか、ケラケラと笑った。


「もー、驚きすぎでしょ! こっちもびっくりしたんだけど」


「すまん。ちょっと考えごとをしていて気づかなかったわ」


「あはは、サイドレイズ先生も悩むことがあるんだねえ。筋肉の神様なのに」


「……そりゃそうだろ。鍛えているからって悩みがなさそうだと思うのはただの偏見だぞ。むしろトレーニーはけっこうメンヘラになりやすいからな。とくに減量末期とか」


「ふぅん。ところでサイドレイズ先生って筋肉の神様なのに、あまり筋肉ないよね? ずっと気になっていたんだけどさ」


「ぐっ……。や、やめろ! 気にしてるんだぞ!」


 シズカの指摘があまりにもクリティカルすぎて、俺の目から涙がこぼれそうになる。


 そう、俺は転生をして筋肉を失っていた。正確に言うならアニメ版パラシスの主人公……通称〈アニメ神〉の姿になっていたのである。


 仕上がり体重82キロを誇っていた筋肉ダルマだった俺も、今では体重62キロと20キロ以上も筋肉が減少していた。由々しき事態だ。女子ウケのさらに向こう側へと到達していたこの俺が、筋トレ初心者の身体に逆行しているのだから。


 ……なんという無常。


 スマホゲーのデータが飛んで号泣していた友人の気持ちが、初めて理解できた気がするよ。これは辛いなんてものじゃない。プロテインに課金しまくって大切に育ててきたというのに……。


「あー、なんかよく分からんけど、触れない方が良かった? ごめんね?」


「いや、いいんだ……。たしかに今の俺はヒョロガリだからな」


「二年前から……あ、いや何でもない。うん、筋肉がないなら、これからたくさん頑張ればいいよ! ほら、筋トレならボクが付き合うからさ! プロテインも作ればいいし」


「……そうだな。失ったなら、また一からやり直すしかないよな」


「うんうん! 一緒にがんばろー!」


 シズカがガッツポーズをして、バシバシと落ち込む俺の背中を叩いてくる。


 俺は後頭部をかきながら言った。


「まあ、また最初から筋肉を育てられるのは、それはそれで楽しいかもしれんしな。……くく、筋トレ歴10年で得た経験は失われたわけではないんだ。一年目から最大効率でやってやるよ!」


「お〜、言っていることはよく分からんけど、すごいやる気だね!」 


「というわけで明日から筋トレするか! シズカも手伝ってくれるんだよな?」


「もちろーん! サイドレイズ先生との共同作業楽しみ!」


「ああ! ……あ、そうだ。ユキやセイナにも手伝ってもらおうかな。みんなでやった方がより追い込めそうだし」


 俺が何気なくそう言った瞬間だった。


 それまで笑顔だったシズカの表情が、太陽が雲に隠れていくようにすうっと陰った。窓から冷たい風が吹き抜けて、カーテンがバタバタと揺れ動く。


「…………いま、なんて?」


「……え? いや、セイナたちにも手伝ってもらった方がいいかなって」


「ユキちゃんとセイナちゃんは運動嫌いだから止めた方がいいよ」


「……そ、そうなのか」


 あれ……なんかすごい機嫌が悪くなったような。


 いや、間違いじゃないよな。あからさまに表情が暗いし、すっげえ冷めた目をしている。キラキラと輝いていたはずの瞳には光がない。


 あ、これやらかした?


「……」


 すっげえ睨まれてる。


 俺は頬をかきながら、思考を巡らせて言葉を考える。筋トレばっかしすぎて女の子とあまり接してこなかったせいで、こういうときどうすればいいか迷うんだよな……。


 どう言葉をかけるべきか逡巡していると、シズカが腰の方に手を回した。じゃらり、と鎖が擦れ合うような音がする。なぜか知らないけど、背筋に寒気が走った。


 ああ……これはたぶん、間違えたら駄目な選択だ。


「あー、あの二人運動嫌いなんて知らなかったや。それだと誘うのはあまり良くない……よな?」


 思いつくままに言葉をつむぐ。ちらりとシズカの様子を伺うと、彼女は腰から手を下ろして、にっこりと破顔した。


「うん、嫌な顔されちゃうから駄目だよー。だからね、筋トレは二人でした方がいいと思う。ボクと二人だけで、ね」


「……う、うん。そうしようか」


「約束だよ? ボクと二人だけ。もし他の子を連れてきたら――」


 シズカは俺の額に人差し指を当てて、目を細める。


 まるで蛇のような目だと思った。


「さらに筋肉が減ることになるかもしれないよ? わかったかな」


「……」


 つばを飲み込むと、シズカがいたずらっぽく片目を閉じた。


「な〜んて、冗談だよ。ふふふ、びっくりした? びっくりしてくれたかな?」


 そう言って笑う。


「お、おう。……なんつーか、顔がマジだったからびびったよ」


「あはは、シズカちゃんは演劇の才能もあるかもしれないねえ。ぷぷ、冗談なのにびくびくしていてサイドレイズ先生も可愛いなあ」


「……はは」


「からかいがいがあるよ、ホント」


 俺が曖昧に笑っていると、シズカは「あ、カナタちゃんに呼ばれてるんだった!」と思い出したかのように言葉を吐いた。


 引き戸に手を触れて、


「んじゃ、ちょっとだけだけど戻るねー。サイドレイズ先生も久しぶりに〈エリュシオン〉に帰ってきたから戸惑うこともあると思うけど、悩み過ぎたら駄目だよ?」


「……ああ」


「もしどうしようもなくなったら、ボクに相談してね? それじゃー」


 ピシャリと引き戸が閉まって、シズカがいなくなった。パタパタと廊下を走る音が遠くなっていく。


 俺は窓辺に寄りかかり、溜息をついた。


 目の前に表示された赤い画面。


 そこには俺が選んだ選択肢と、『セーブ中』の文字が躍っていた。


「……荷が重いって」


 ただでさえ筋肉が減っているのに、負荷が重すぎるよ……。




 




「……ほんと、しょうがない人だなあ」


 ボクは廊下を歩きながら、サイドレイズ先生の困り顔を思い出して愉快になっていた。


 上履きが、廊下をよく滑る。足取りが軽いのは浮かれてしまっているからだ。だって、二年も待っていたんだもん。サイドレイズ先生が居なくなってから帰ってきてくれるまでの時間が地獄だった分、今は天国よりも天国だし楽園よりも楽園にいるんだ。


 ボクらの楽園エリュシオンはとっくに滅んでいるけどね。


 でも、サイドレイズ先生がいるなら世界が滅んでいたって構わない。水に沈もうが砂漠になろうが、彼がいるならどんな世界も楽園になる。そう、ボクにとっては神様こそが天国なのだから。


「……ふふ」


 ボクは、腰のポーチからあるものを取り出した。


 これはボクの願望の象徴。鈍色に輝く、鎖のついた、宝石よりもキラキラと輝く愛情の神器。もう離さない、離したくないから、ボクはいつか、これを彼とともに共有したいと思っている。


 口元に持ってきて、唇を添える。


 ボクと彼をつなぐ手錠あかいいとに。


「……あなたが悪いんだからね」


 ボクを置いて、二年も居なくなったんだから。


 その責任をとってもらわなければならない。あなたがボクを寂しくさせるから、おかしくなってしまったんだ。


 ねえ、サイドレイズ先生。


 あなたは、ボクだけの神様じゃないと駄目なんだよ。


 この糸に、いつか誓ってもらうから。 


 

 






―――

はじめまして

浜風ざくろと申します。

ここまでお読みいただいてありがとうございます!


今作はクセの強いヤンデレ少女たちに、主人公が振り回されまくるハーレム作品です。ヤバい子ばかり出てくるのでどうかお楽しみに……笑


励みになりますので、面白そうだと思っていただけましたら感想や☆、ブックマークなどいただけると嬉しいです! よろしくお願いします!

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