第27話 数百年の想い
「でもさ、聞いたところによると川村くんと雨野さんは、ケイトとも幼馴染なんでしょ? それなのに利用されたって思うほど酷いことをされてたの?」
タカトが信じられないという顔をして、陽太にそう尋ねると、陽太は唇を噛み締めた。そして、やや思いつめた顔をして、二人に尋ねた。
「それを話す前に、ケイトがどういう人なのかを聞いてもらってもいいですか?」
「その方が話しやすいなら、いいよ」
と綾人が答えると、タカトも隣でうんと頷いた。陽太はそれを見て胸を撫で下ろすと、息を整えて目を閉じた。
「ケイトは……小さい頃から頭が良くて、運動も出来て、ずっとカッコ良くて。家族も官僚とか法曹系のエリートばっかりっていう環境で育ちました。僕はたまたま小学校から高校までずっと同じクラスだったんですけど、そのことで幼馴染だと言ってくれています。そして、僕といつも一緒にいた桃花も合わせて、三人で幼馴染だという認識でいました」
タカトは長い髪を片手でくるくると巻きながら、納得いかなさそうな顔をしていた。それは綾人も同じだった。そんなに順風満帆な生活をしていて、なぜあんなにスレていったのだろうか。そこがとても引っかかっていた。
店の入り口で壁にもたれかかってタバコを吸っていたケイトが、お堅い家の子供だといわれて信じられる人は少ないように思う。あの姿でいられるということは、よほど寛容な親なのか、それとも……。
「そんな家にいて、あの見た目でいられることは少ないですよね? それはその通りで、ケイトは大学に入った頃に家を追い出されてるんです。でも、原因は見た目のことじゃありません。それよりも根深い問題があるんです」
「えっ!? 違うの?」
二人は驚いて大声を上げた。そんな堅苦しい家にいて、あの見た目が問題じゃないなんて、優しいとしか言えないのではないかと思ったからだ。ただ、陽太の顔を見る限り、その予想は間違っているらしい。
「うん、違うんです。追い出された原因は、受験に失敗したからなんです」
陽太が言うには、ケイトは小さな頃から検事になることを夢見ていた。それを親に話したところ、私立小学校を受験するところから全てのレールが引かれたのだと言う。それだけ聞くと、いい親なのかもしれないと思うのだけれど、話はそれだけでは終わらなかった。
不幸なことに、ケイトはその受験の日に体調を壊し、受験に失敗した。そこから家での扱いがガラリと変わったのだと言う。
「受験失敗組の子の中には、中学受験の合格を期待して早くから塾に通い詰めにされてた子もいたけど、それすら幸せだと思える状況にケイトはいました。彼は、一度失敗しただけで、もう全ての価値がなくなったような扱いを受けたんです。それでもケイトは頑張って中学受験をしようとしてました。でも……希望する学校の受験日に事故に遭って……。ケガは大したことは無かったけれど、数日入院しました。それで結局公立に通うことになって。それから、わかりやすく悪くなっていきました」
子供時代に求めた愛を受け取れなかったケイトは、それを外に求めるようになった。同時期に音楽に出会い、楽器の練習をしている間はとても穏やかにしていたのだと、陽太は言った。
「ギターを弾きながら歌っているケイトはすごくカッコよくて、とても楽しそうでした。あんなにイキイキした笑顔のケイトは、それまで見たことがなかったんです。僕も桃花も、歌っているケイトを見ているのが好きでした。でも、ライブハウスに出入りするようになって、素行の悪い人たちと付き合うことが増えていってから、急に僕たちと距離を置き始めたんです。多分、僕らを守ろうとしてくれたんだと思います」
学校に碌に通わなくても高等部に主席進学し、特待生にもなっていた。進学してからも成績は全く下がらず、優等生だった。それでも両親は、ケイトをいないものとして扱い続けた。
そうなると、高校生とはいえ子供だから、誰かが構ってくれる場所を守ろうとする。でも、その連中は毎日遅くまで遊び歩くような子達で、遊びに出ていない日は、いつも遅くまで誰かの家のガレージに籠っていた。それがいけなかったらしい。
そこで何が行われていたのかは、いまだにわかっていない。ただ、家に帰る頃には、酒に酔ったような状態になっていることがよくあった。
「僕が塾の帰りに見かけた時には、完全に酩酊状態で、そのまま返すとどうなるかわからないと思ったので、うちに連れて帰ったこともありました。ケイトはその時のことに感謝してくれていて、そこからつかず離れずの状態での付き合いが再開しました。でも、大学に入って、それこそ僕が瀬川くんを好きだと自覚した頃……あのタバコを勧められました」
「それが呪玉だったわけか……甘くて青臭いやつだよね? 恋が叶うとか言われた?」
綾人が陽太に尋ねると、陽太は大きく被りを振った。
「『男に片想いしたって辛いだけだろう? 叶えるつもりがないのなら、ずっと辛いままじゃないかって。それなら、その辛いの忘れようぜ』って……火がついたタバコを口に突っ込まれて。それを吸い込んでしまったら、もう、どうしようもなくなりました」
陽太は、その煙の効果は凄かったのだという。信じられないくらいに気持ちが軽くなり、いつぶりか分からないほどに思考のもやが晴れた。それまで、何を悩んでいたのかわからなくなってしまったほどに、高揚感と多幸感に包まれた。
「吸い終わった後、すごくスッキリしていて、嬉しかったのもあるんですけど、すぐに思いました。……これはダメになるやつだ、って。だからケイトに会うのをやめようと思ったんですけど……」
陽太は両手の拳を握り締め、俯いて震え始めた。小さく震えると言うのとは違って、ガタガタと震えながら、嗚咽を漏らして泣き始めた。ここまで話していた淡々とした口調とは打って変わって、激しい感情が溢れてくる様子に、綾人とタカトは胸が痛んだ。
「あのさ……もしかして、だけど。瀬川のフリをしたケイトに抱かれた?」
綾人が陽太に尋ねると、陽太は首が取れそうなほどに被りを振った。涙が飛び散るほどに激しく否定する。でも、そこにはもう一つの意味が含まれていて、それを口にすることはどうしても出来ないようだった。
「じゃあ、さ……瀬川だと思って抱いてって言われた?」
ケイトはイトの生まれ変わりだ。ヤトの記憶が正しいのだとすれば、イトも抱かれる専門の男娼だったはずだ。ヤトとイトは、陰間と呼ばれていた。雇われていた茶屋は、抱かれる専門だったはずだ。
それなら、ケイト自身が慣れたことをした方が結果を出し易いと踏んで、呪玉で催淫状態にある陽太に自分を抱かせたのではないかと綾人は思った。
「あ……あの……ぼ、僕……」
陽太は、遂に秘密を知られてしまったと思い、目がこぼれ落ちそうなほどにそれを見開いて泣いていた。その時のことを思い出したくなかったのか、拳をこめかみに当てて頭を振っている。
「どうしても……あ、抗えなくて……嫌だったのに……」
綾人とタカトはたまらずに陽太を抱きしめた。陽太の性格からして、瀬川を好きなのに他の人を抱いた事実は、重い枷となっているに違いない。その取り返せない事実が良心の呵責を生み、それが歪んで生き霊となったのかもしれない。
二人で抱きしめたことで、陽太は身体中を温もりに包まれた。それで緊張の糸が切れたのか、「わあー!」と大声をあげて泣き始めた。
「怖いな……薬と快楽による支配か……でも、なんでそこまでして川村くんを支配しないといけなかったんだ?」
「そうだよな。だって川村くんはケイトには優しくしただけだろう? 恨む理由なんて無さそうだもんな」
陽太の背中を二人で摩りながら、ケイトの考えていることがわからずに困惑した。ケイトが過去に綾人を殺そうとしていたことを考えると、恨まれているのは綾人だろう。
でも、綾人と陽太は今日初めてちゃんと話したような関係だ。陽太を巻き込まず、タカトや瀬川に攻撃を仕掛けるのならまだわかる。なぜ陽太が狙われたのか、それが全く分からない。
そこで二人が言葉を詰まらせていると、窓の方からガタンと大きな物音がした。
「そりゃー、陽太を使ってウルを傷つけるためだよ。な、陽太?」
ねっとりとまとわりつくような口調と、陽太を詰るような視線が飛び込んできた。
「……ケイト」
そこには、ウルの鉤爪に捕まえられて運び込まれた、赤髪の美形男子がいた。唇の横に血が乾いた跡があり、それをペロリと舐める。
「あ、俺、今お前に抱かれたくないから。さっきしつこい男に抱かれたばっかりなんだよ。シたかったら、ウルとヤってね」
あははと乾いた笑いを投げつけるケイトを、見かねたウルが床へと投げ捨てた。
「うわっ!」
ケイトは肩を打ちつけて落ちた。ウルはその顔を忿怒の表情で見ていた。
「いったあー。ちょっと何すんだよ。雑に扱うなよな、ウル」
ケイトは肩に手を当てたまま立ち上がると、ウルの鼻先に顔を近づけて抗議した。ウルはそれにギリギリと歯軋りをして答えた。
「うるさいぞ。貴人様の命が、お前を殺して来いじゃなくて残念だ」
そして、ケイトと陽太の間に入り、すっと手を広げた。陽太を背に、ケイトへ向かってまっすぐに目を向けると、ひどく冷めた声ではっきりと言い放った。
「俺の大切な人に手を出すな」
その言葉を聞いて誰よりも驚いていたのは、何も知らない陽太だった。
「どっ……いっ……、ええっ?」
陽太は、なぜウルが自分のことを「大切な人」だと言っているのかを理解出来なかった。それは綾人とタカトも同じで、ただ、どこかしら思考とは関係ないところでは納得しているように感じていた。
「ちょっと、入れ替わって貴人様に聞いてみようか」
タカトはそう言って、鏡を取り出した。貴人様は出てくるタイミングを伺っていたようで、キラッと光った思ったと瞬間に、すぐに表に飛び出して来た。
右目が赤く色づいたと同時に、ウルが貴人様へと声をかけた。
「貴人様、イトを連れて参りました。いかがいたしましょ……」
すると、その時を狙っていたかのように、ケイトがウルの爪から逃れて、飛び出した。綾人を見ると、獲物を狩る獣のように瞳孔を狭め、猛進して来る。
「っ……!」
綾人が気づいて避けようとした時には、もう鼻先までケイトは迫っていた。
——まずい……、ここまで間合いを詰められると何も出来ない。
綾人のこめかみに一瞬で汗が光る。初見で倒すには難しすぎる状況になってしまった。ケイトが綾人を狙う理由は、綾人にはまだ分からない。
ただ、これまでの執着を考えると、綾人を確実に殺すことだけを生きる目標にしているようにさえ感じる。そんな相手に、一瞬でも油断してしまった。そのことに猛烈に腹が立った。
——他にも人がいるのに……話すことに気を取られてしまった……!
「綾人……!」
その汗が頬を伝って水玉になり、接点を失ったところへ、それを撃ち抜くように一振りの剣が飛んできた。それは、目の前に迫っていた赤髪の男の肩を突き、そのままの勢いで壁へと男を縫い付けた。
「ぐっ、ぅ……!」
「ケイト……!」
陽太は思わずケイトに声をかけた。酷い扱いを受けたはずなのに、やっぱり陽太はどうしてもケイトを嫌いになり切れなかった。その優しさに漬け込まれたのは間違いないのに、それでも陽太は陽太のままだった。
ウルはそんな陽太を後ろ手に抱き止めると、強い口調で嗜めた。
「今はケイトじゃない。あれはイトだ。迂闊に近寄っちゃダメだぞ、ヤン」
「えっ!?」
ウルは陽太をヤンと呼んだ。綾人とタカトは、それにもあまり違和感を持たなかった。ただ、当の本人はポカンとした表情で動きを止めている。
——ヤン? イト? なんの話?
陽太は自分だけが何も分からずに、ただ狼狽えることしか出来ない事に居心地の悪さを感じた。疑問が湧いたら、解決せずにはいられない性質だからだろうか。我慢できずに、そのまま口に出してしまった。
「ヤンってなんですか? イトって誰ですか? 僕が大切な人ってどういうこと?」
それを聞いたイトは、壁に剣で磔にされた状態のまま、ガラスを引っ掻くような気味の悪い声で笑った。嘲るように笑うその姿はとても見苦しく、流れる血の色もまた目を覆うような汚れ方をしていた。
ポタポタと音を立てて、床を染めるのは黒い液体だった。およそ人の血とは思えない黒さに、皆は驚いた。
「何、お前。陽太に本当のことは伝えてないの? ふーん、意外と怖がりなんだな」
「……どういう意味だ?」
ウルの目が猛禽が狩りをする時のように、ギラリと光った。歯を食いしばったまま唇を半分開き、その牙を剥き出しにしている。その様だけを見ると、まるで獅子のようにも見える。
大切なものを守るために戦闘体制に入った肉食動物のように、陽太を守って威嚇していた。
「だって、お前。自分と陽太が過去で夫夫だったことを伝えてないんだろ? なんで言わないんだよ。一生守るとか言っといて、自分だけさっさと病気で死んじまったことを悔やんでるんだろう? そのせいで、ヤンも誑かされて陰間に落とされてたもんな。相当な数の客を……」
イトがそこまで口にした時だった。あたり一体が一瞬で色を失ってしまったかのように、閃光が走った。そのまま視界が奪われ、何も見えなくなり、音だけが聞こえる状態がしばらく続いた。
「なんだ? 何も見えない!」
イトは真っ白い闇に怯え、体を震わせた。ただ白いその空間は、罪を重ねた身には、あまりにも眩しすぎた。その白の強さに、真っ黒に染まった自分という存在が、全て否定されているように感じる。
命の危機を感じて、その場から逃げようと、必死にもがいていた。
「やだ……やめろよ。早く元に戻せ。貴人様だろ? やめてくれよ、頭がおかしくなる!」
イトは肩に刺さった剣を引き抜こうとして、その柄に触れた。すると、その部分に強烈な痛みが走り、「ひぎゃー!」と大声を上げて暴れた。その動きで、肩の傷が大きく開き、さらに出血量が増えていく。
「がああああ! っ、くそ! なんでだ……なんでだよ! 同じように生きて来たのに、ヤトばかり味方されて、俺はいつも悪者扱いだ! 俺が何したってんだよ!」
イトのその叫びは、それまでの余裕の全てを失い、小さな子供が叱られて泣いているような悲しさに溢れていた。それを聞いた貴人様は、短く息を吐き、白い闇の中からイトに向かって厳しい声をかけた。
「転生してチャンスを得てまで、なぜ命を奪い続ける。この血の色……相当な数を殺めたな、イト。お前の血は、まるで蠱毒だ」
白い闇の中に、まるで川のようにイトの血の色だけが真っ黒に浮かび上がっていた。その勢いはだんだん弱まりつつある。それはケイトの肉体が命を失いつつあることを意味していた。
「薬の成分が燃やし尽くされた時点で、お前の負けは決まっていただろう。それでもここへ来たかったのはなぜだ。なぜそこまでしてヤトに会いたかったんだ。ヤンの生まれ変わりを探してウルを挑発してまで、どうしてヤトへ復讐する必要があるんだ?」
ウルにイトをここに連れてくるように言った時、イト自身がここに来たがっていると貴人様は言っていた。ただ、それがなぜなのかは分かってはいなかったようだ。イトがヤトに会いたかった理由は、本人以外、誰も知らない。
「会いたかった……ですね。会って、この手で……殺してやりたかったので!」
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