Einsatz ―Y―
怜と呼んでいた。同じ中学の一つ下の後輩だった。
当時、怜とはお互いの友人を交えてよく遊んでいた。
怜は、学年の違う男ども(主に当時俺とつるんでたやつらだ)の話題にのぼるくらいにはかわいい顔立ちをしているのに、愛想がなく、しかも口を開けば驚くほどはっきりとした物言いをする女子だった。
仲間内で怜のことを生意気だという声もちらほら耳にした。そうかもな、と同意する一方で、俺は、怜のそういうところが嫌いではなかった。
お互いの家がわりと近所なので、帰宅ついでによく怜を家まで送り届けた。その度に、怜は俺の少し後ろを歩いた。俺が煙草をくわえると、肺癌になるよ、と脅してもきた。
「そんときはいっしょに死ぬか」
「なんであたしまで死ななきゃいけないの?」
「副流煙っつって、喫煙してなくても隣で煙吸ってるだけで同じくらい肺が汚れんだって。こないだばあちゃんが言ってた。だから俺、家では吸わねえし」
「ふざけんな! 禁煙しろよ! てか中学生のくせに煙草とか、カッコつけすぎだろ!」
「いって! おまっえ……本気で脛蹴んな!」
禁煙するか、と思った。とりあえず怜の前では。自分でも気づかないうちに大事に思っていたのだ。
ある冬を境に、怜と話せなくなった。
避けているのはどちらだ、と考えれば、それはきっと俺のほうなのだろう。
誰かを殴った現実よりも、血にまみれた自分の拳よりも、あの冬の──あの瞬間、怜が一瞬俺に対して見せた怯えの目が、数年経ったいまでも鮮明だった。
まったく、嘲笑が漏れる。
たったそれだけのことで怖くなるなんて、怜の言った通り、俺はカッコつけだ。
もしまた、怜にあの目で見られることがあるとしたら、“たったそれだけのこと”が俺は心底怖い。すべて自業自得だというのに。
高校三年になり、はじめて怜と同じクラスになった。言い訳だが、お互い連絡を取らなくなっていたので、まさか怜が同じ学校を受験していたなんて知らなかったのだ。
同じ教室で、同じ授業を受けている。そんな状況が、ひたすら現実感がなくておかしかった。実際ちっとも笑えやしない。無意識に、中学の頃より伸びた長い髪の背中を、目で追ってしまっている自分にも。
「──同じクラスのさ、青井さんって、かわいいよね」
紫煙混じりにしては穏やかな声がそう言ったのは、まだ夏休みが始まる前だった。
「友だちになりたいなあ、俺」
偶然から喫煙を共にするようになった、学校で唯一の友人の目が、まるでこちらを見透かすように感じられたのはただの俺の勘繰りかもしれない。
しかし結局、それが当たっていたのだから、この男はほんとうにタチが悪い。
ケータイが鳴った。その音で目を覚ました。
真夜中の室内で刺すような光に目を眇めながら、画面を確認する。
【慶介】
思わず眉をひそめた。深いため息を吐き、喧しく着信音を鳴らし続けるケータイを耳に当てる。
「いま何時だと思ってんだ」
相手の声を聞く前に、開口一番低い声で告げる。寝起きだからきっと、尚更低いだろう。しかしこっちの不機嫌をよそに、返ってきた声は至極愉快そうな笑い声だった。
『ははっ、優の声超怖え!』
「……まったく怖そうに聞こえねえけどな。用件を簡潔に述べろ。場合によっては切るぞ」
『じゃあ、とりあえず窓開けてよ』
「…………」
嫌な予感がした。
布団から起き上がり、指示通り部屋の窓を開ける。案の定、家の前には人影があった。ケータイを片手に、こちらを見上げてへらへらと笑っている。
『来ちゃった』
「…………」
語尾にハートをつけんな、腹立つ。
慶介と会うのは、終業式の日以来だ。なんだかんだ夏休みに会うことはなかった。
九月一日──いや、日付はもう二日になっていた。時刻は深夜三時を少し回っている。
「お邪魔しま~す。いや~いいね、優くんちの和室。俺、畳の匂いってけっこうすき」
「そりゃよかったな」
慶介は一ヶ月前となんら変わらず、整った顔に笑みを浮かべながら、俺の部屋で寛いでいる。
って意味わからん。なにふつうに寛いでんだ、こいつは。
「慶介おまえ、こんな時間になに脱走してんだ。弟起きたらどうすんだよ」
慶介には年の離れた弟が一人おり、共働きの両親は互いに仕事が忙しく家を空けがちなため、自分が面倒をみていると聞いている。
「さすがに親帰ってっから、ヘーキ。お兄ちゃんもたまには遊びたくって~」
「そりゃかまわんけど、俺を巻き込むんじゃねえよ。ふつうに寝てたんだよこっちは」
「夏休み優くんと全然会えなかったから、さみしくて……」
わざとらしく片手を頬に添え、さめざめと言う慶介を布団の上からじっとりと睨みつける。どうせ明日会うくせに、白々しい。案の定、慶介はふっと笑って肩をすくめた。
「ちぇ。嘘じゃないのにつれないなあ、優くんは。どうせ夏休みバイトばっかしてたんでしょ。宿題はちゃんとやったのかな?」
「おまえは俺のばあちゃんか。……宿題ってなに?」
「ははは、始業式もすっぽかすわ、優くん来年はもっかい高校生だな」
「うっせ、やめろ」
あしらったものの、いたずらな口調とは裏腹に慶介のその言葉は妙にリアルで、俺の背を薄らと寒くさせた。
こいつ、他人事だと思って軽く言いやがって。実際そうなんだけど。
「おまえ、俺を脅しにきただけならさっさと帰れ」
「え~、やだ~。朝まで恋バナしよ~よ~」
「窓から放るぞ」
「優くんマジでやりそうでこえーな」
怖いと言うならせめてへらへらするのをやめろ。どうせこれっぽっちも思ってないのだ、こいつは。
慶介とはじめて話した日のことを思い出す。
あの日も、慶介は笑っていた。学年が違うことをひっそりと囁かれ、クラスであきらかに避けられている俺相手に、最初から馴れ馴れしかった。
「顔見たかったのもそうだけど、煙草買いに出たついでに、報告しようと思ってさ」
片膝を立てて座る慶介が、俺のことを見据えた。色素の薄いヘーゼルのような茶色の瞳には、なにやら含みが窺える。
またしても、嫌な予感がする。
「友だちになっちゃった」
怜ちゃんと。
慶介は、にこやかに言った。
頭痛がする。昔から俺は、嫌な予感だけはほんとうによく当たるのだ。
友だちになっちゃった、じゃねえよ。苦々しく思いながら、パチリと辻褄が合ったような心地だった。
「……怜から、突然電話きたんだよ」
「うん」
「『へんな友だちできた』っつって」
「うんうん」
「うんうんじゃねえぞ、おい。なに軽くちょっかい出してくれてんだよ」
「あははっ、そんなんじゃないって! 前に言ったじゃん、純粋に友だちになりたかったんだよ。……そんで、優くんと怜ちゃんが仲よくなってくれたら、俺としてはうれしいんだけど」
そしたら三人で遊べるでしょ? と付け足して、慶介は笑った。愉快とはまた違う、穏やかな微笑で。
ああくそ、腹が立つ。それなのに、ため息のひとつすら出てこない。なんだこのしてやられた気分は。
俺はもう何も答えず、布団をかぶった。
「あれ、優くんほんとに寝んの?」
「寝るわ。明日もすっぽかしたら怜さんに蹴られる」
「マジ? 怜ちゃん、蹴んの?」
「蹴るよ。あいつふつうに脛とか急所狙ってくっから、超痛えぞ」
「へえ、いいな~。俺も蹴られて~」
「慶介気持ち悪い」
「ねえねえ、俺どこで寝ればいいの? いっしょの布団?」
「押し入れで寝てろ」
「マジかよ、ドラ●もんじゃん」
やかましい友だちの声と、いつのまにか窓の外が白んでいるのを無視して、目を閉じる。安眠できる気は全然しないが。
明日は俺から「おはよう」を言うから、遅刻ぐらいは許してほしい。
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