Einsatz ―R―
優は、中学を卒業してその後一年間浪人しているので、高校からは同級生になった。
高校三年になって、はじめて同じクラスになったときは胸のうちで笑ったけど、実際ちっとも笑えなかった。
中学の頃の優とあたしは、お互いの友人たちを交えてしょっちゅう遅くまでいっしょに遊んでいた。家がわりと近所だったこともあって、優はよくあたしを家まで送ってくれた。
でかい図体で強面のくせに律儀な性格をしている。加えて子ども好きで、夏祭りに行ったときには泣いてる迷子を見つけて、わざわざ綿飴を買ってやっていた。
あたしは、優という呼び名は彼に似合っていると思った。けれど優本人は、自分の名前はあまりすきじゃないと苦笑していた。
「怜だけだよ、んなこと言ってくれんのは。つうか『
いまの優は、どうなのだろう。
あの夏祭りのときのように迷子の子どもが泣いていたなら、仲間から笑われることも気にしないで、脇目も振らず駆け寄っていくのだろうか。
あたしにはわかりようがない。今年クラスメイトになった優は、不登校ではないにしろ、教室にいないことが多い。もうずいぶん話していなかった。
夏休み明けの始業式だった今日も、優は教室に姿を見せなかった。
「今日来なかったね? 優くん」
視線を上げる。
あたしの向かい側の席に、アイスコーヒーをストローでゆらゆらと掻き回す来栖がいて、現実に返ったような気がした。
始業式の後、来栖とアイスクリーム店へ行き、今はファミレスにいる。
夕飯はラーメンが食べたいと言ったあたしに、暑いから冷やし中華にしよう、いややっぱパフェ食いたいとか意味不明な反論を口にした来栖と、妥協案──というか、もう面倒だからファミレスに入ったのだった。
学校帰りにファミレスなんて久しぶりだ。こんなのまるで友だちじゃん……と諦めたように思いながら、案内された席に座って注文した料理を待っていた。
来栖は、何がおかしいのか、片手で頬杖をついてにこにこしながらあたしを見ている。
「いいね、こういうの。友だちっぽくて」
またしても思考を読まれたようで、理不尽ながら腹が立つ。
今日この男と話してみてわかった。
来栖は、他人の内側を読むのがとても上手い。人の良さげな笑顔で、相手が何を考えているのか、どうしたいのかを理解して、その上で受け応えている。なるほど、こいつがクラスで人気がある理由の末端が知れた気がする。
来栖はわかっているのだろう。
あたしが、クラスメイトの
すると途端に、こちらを見つめてくる瞳に薄ら寒いものを感じてしまう。
が、視線を外すわけにはいかない。こんな展開予想外だったけれど、ここまできたら後戻りなんてしたくない。
「来栖、優と──松下とつるんでるでしょ。あいつから……その、中学の頃の話って何か聞いた?」
五月、いや六月頃からだろうか。
優が、来栖と二人で教室をいっしょに出ていく姿を目にするようになったのは。
顔と名前が一致しないクラスメイトが大半なのに、あたしは来栖のことだけは存在をはっきりと認識していた。ずっと気になっていたのだ。クラスで、あたし同様いままで一匹狼だった優が、前触れもなくつるむようになった男のことが(あまりのウザさにこいつとクラスメイト以上の関係を持つなど、ほんとうはしたくなかったが!)。
「さあ? 何も聞いてないよ。怜ちゃん、優くんと同中で付き合いあったなら知ってると思うけど、優くんって自分のことあんまり話さないし。あ、俺らよりいっこ上だってことは話してくれたよ。あとは、おばあちゃんと暮らしてるとか、ギター弾けるとか。そのぐらいかな」
「……なんで、あたしと優が同中だって知ってるの」
ふっと息をつくように、来栖が微笑む。
「そんなの、二人のこと見たらすぐわかるよ」
わかるわけないじゃん、と開いた口は、そのまま噤むこととなった。
黙るあたしを見て、少し困ったように来栖の目が細くなる。それでも心を見透かされているような心地は消えない。
「……怜ちゃんってさ」
カラン、と氷が音を立てる。
悠長にアイスコーヒーを一口飲んだ後、来栖が言う。
「かわいいよね」
まるで動物でも愛でるようにいとおしげに笑いかけるものだから、衝動的にコップの中の水をぶっかけてやりたくなった。
「ふざけてんの?」
「あはは、ごめんごめん。ふざけてないよ、すげえ真面目」
「顔と発言が一致してねーんだよ」
「優くんのことがすきなんだよね、怜ちゃんは」
「…………」
言い当てられ、じわじわと頬に熱が帯びる。
さっき、こいつは人の心を読んで相手がどうしたいのか理解した上で云々考えたけれど、訂正する。
誰にも言ったことのない秘密を、いきなりファミレスで暴露される人間の気持ちを微塵も理解してねえ!
いよいよあたしが水の入ったコップを手にすると、来栖は降参とでもいうような仕草で両手を上げた。相変わらず笑顔のまま、しかし「やっべ、ミスった」みたいな困った表情ではあった。
そうこうしていると、あたしの担々麺と、来栖のチョコレートパフェが運ばれてきた。とりあえず一時休戦、あたしはコップを置いた。
「怜ちゃん、ちょっと食べる? ここのパフェけっこう美味いよ」
「……いらん!」
言い放ち、熱い麺をすする。
ここへ来る前にチョコレートアイスクリームを食べていたのに、馬鹿なのか。まったくどういう食生活をしているのだ。
ご機嫌とりなのか知らないけれど、来栖はここでも「いいよ、俺出すから」と伝票を手にした。しかし借りなど作りたくないし、そもそもあたしが付き合ってと提案したのだし、伝票を奪い返した。
早々に会計を済ませ、二人でファミレスを出る。
「ごめんね、払わせちゃった」
「いいって言ってるじゃん。これでアイスの借りはなしだからね。……あと」
じっとりと睨むあたしを、来栖は可笑しそうにして笑った。
「ははっ、誰にも言わないよ」
「…………本人に言ったら絶交するからな」
「りょ~かい。ナイショ、ね?」
ね? じゃねえ。人差し指を口元に当ててウインクすな。
他の人間だったらときめくのかもしれないけれど、相手があたしでは白けるだけである。というか、来栖の受け応えが軽すぎて不安になる。
図らずも弱みを握られてしまった。
結局、あたしは来栖に優の何を聞きたかったのだっけ……とわからなくなった。
帰り道を並んで歩いた。あたしは途中のバス停まで。来栖は、自宅は徒歩圏内にあると言う。
「怜ちゃん」
「……怜ちゃんって呼ぶな」
「あはは。ねえ、怜ちゃんさ、優くんに電話してあげてよ」
「……え?」
「『学校来いよ』って。どうせ俺が言ったって、優くん聞いてくんないし」
だって、三人で遊びたいじゃん?
そう言って笑いかける来栖は、やっぱり人を見透かしているようで心底むかつくのに、あたしはただ小さく頷くことしかできなかった。
その夜、あたしは部屋でケータイを耳に当てた。
久しぶり過ぎて、かける直前も今も、この電話はほんとうに優へと繋がるのか不安でたまらなかった。
果たして五回目の呼び出し音の後に聞こえた声は、驚きを押し殺したように静かだった。
『……怜?』
「……うん」
久しぶり、と何気なく言ったつもりが、恥ずかしくなるほどぎこちない声になってしまった。中学の頃は、あんなにいっしょに過ごしたのに。
ややあって、久しぶり、と同じようにぎこちない声で返ってきた。それで少し緊張が解ける。
「いま、平気?」
『あー……平気だけど、怜、おまえどっからかけてんだ?』
「どこって、自分の部屋」
『ならいいけど……。怜、すげえ時間に近所の公園からかけてくることあっただろ。眠れないとか言って。危ねーつってんのに聞かねーし』
「そうだったっけ……。ていうか、外だったとしてもまだ八時なんだけど」
『八時なんだけどって、夜なんだから外暗ぇだろが』
つい笑った。そして、思い出した。
「眠れない」を理由にして、あたしはときどき優に夜電話をかけた。心配してすぐに会いに来てくれて、うれしかったことを。
思えば、あたしは優に迷惑ばかりかけてきた。突き放されてもおかしくなかったのに、彼はいつだってやさしかった。
ああなんだ、変わっていない。
そんなのほんとうは、わかっていたはずなのに。
「……優」
久しぶりに名前を呼んだ。
その呼び方に少しの違和感も感じないことに、安堵した。
「ねえ、今日なんで学校来なかったの?」
『……は?』
「いや、は? じゃないでしょ。始業式ぐらい登校しようよ」
『なんだよ、始業式って。……え? おい今日って何日だよ』
「九月一日だよ。なに、優もしかして寝ぼけてんの?」
『……うっわ、勘違いしてた。おいマジかよ、一日かよ今日!? なんで日めくりカレンダー、三十一日になってんだよこれ! ちょっ、ばあちゃーん!』
電話口の向こう側で、何かやり取りしている声が聞こえてくる。
ほんの数回遊びに行ったことがある、優の家を思い出した。こじんまりとした古い家だったけれど、陽当たりのいい縁側があって、安らぐ家だったことを憶えている。幼い頃に両親を事故で亡くしている優は、そこで祖母と二人で暮らしている。
それにしても日めくりカレンダーが一日ずれていただけで、どれだけ日にち感覚がないのだ。夏休みの間、一体どんな生活を送っていたのだろう。
あたしは、それはもう力が抜けてしまった。同時におかしくってたまらなくなる。
「明日からちゃんと学校来なよ」
『ああ、そうだな……。行くよ。助かったよ連絡くれて』
「……優、あのさ」
『うん?』
「今日、あたし、へんな友だちできたんだ」
明日もあたしは学校へ行く。
友だちが、とりあえず二人いるから。
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