永久凍土の下には・・・。
科学部の長
プロローグ
1942年10月17日 スターリングラード郊外
夜明け前の空は、まるで黒い鉄板のように重く沈んでいた。
ドン川の湿った風が、塹壕の中にしみ込んでくる。
泥は凍っては溶け、M33半長靴の底に重く張り付いている。
私はライプツィヒから送られてきたばかりの補充将校、
少尉──クラウス・エッケルト。
眼前の廃工場群に、ソ連軍の姿は見えない。だが、誰もがわかっていた。
見えないだけで、確実にこちらを見ている。
機関銃座の上にたった一羽のカラスがとまり、低い声で鳴いた。
遠くで迫撃砲の音が響く。
まるで地面の奥底から鳴り響く地獄の太鼓のように。
「少尉殿、弾薬はあと2箱です」
年上の伍長、ヘルマンが無精髭の顔で呟いた。声は乾いている。
弾薬が足りないことなど、とうに全員が知っている。
補給線はずたずたに寸断され、
昨日も前線に届いたのはわずかな乾パンと数本の烟草、たったそれだけだった。
「次の攻撃が始まったら……撤退命令は出るのでしょうか?」
若い兵士が小声で尋ねてきた。
顔にはまだ泥が薄く、どこか私と同じ“新兵”の匂いが残っている。
私はその問いに答えなかった。
撤退命令など、出るはずがない。
ここは“あの”都市だ。
総統の命令は明白だった──「スターリングラードを死守せよ」。
空が微かに明るくなり始める。
煙と塵に曇った朝焼けが、灰色の街並みを照らした瞬間、砲声が轟いた。
ソ連軍の砲弾が、通りの向こうの廃ビルを粉砕する。
コンクリート片が、まるで雨のように降り注ぎ、私の肩をかすめた。
赤軍の奴らの下す、一斉射撃の合図だった。
今夜もまた──この地獄の都市で、名も知らぬ誰かが死ぬ。
「全員、持ち場につけ!」
私は銃を握り直し、声を張り上げた。
冷たい鉄の感触が、震える指先に食い込む。
泥と煙と血の臭いが、肺の奥を焦がす。
――この街では、生き残る者と死ぬ者の境界線は、たった一瞬の呼吸だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます