第2話 ルー・メイの黄金の鍵
……代々、
「アントリー・ルー・メイ。そなたはこれより3年の月日をかけ、騎士として勤め、剣を磨きなさい」
月光の啓示を受ける大神官、マーリヴォルトは月光から伝わる言葉をアントリーに託していく。
その神聖な光景をリアンクは羨ましさを感じながら見ていた。
こういうとき、かつて偉大な剣士であった父は、どう思いながら息子の姿を見るのだろう。
リアンクはあまり顔を動かさないように、父を見上げた。
すぐに彼女の心に少しの後悔が広がる。……兄に妬けてしまうから。
胸を張り、いつになく荘厳な様子の父の瞳は誇らしげに揺れていた。
啓示を受け取ったアントリーは、マーリヴォルトが握りしめている銀色の鍵へ口づけをする。
「必ず立派な騎士となり、一族と深月の騎士団……永遠の繁栄のために尽くします」
立ち上がったアントリーは、神殿の外へと歩みを進める。
その道を、リアンクたちルー・メイ一家と深月の騎士団員達が持つろうそくの明かりが照らしていく。
誇らしげに扉へ手をかけ、自らの道を切り開くアントリーの姿を、リアンクは誇らしさと嫉妬心が両立する心で眺めていた。
白馬にまたがった兄は、妹に拗ねた眼差しを向ける。
どうせまた両親を独り占めできて良かったなと……精々末娘然としてろよとでも言っているようにリアンクには感じられた。
言葉を発さぬままに兄妹が数秒目を合わせると、リアンクは強く頷いてみせる。
満足げなアントリーが馬に合図を送ると、馬も応えるように歩き出し、徐々にスピードを上げていく。
ろうそくの明かりはいつまでもアントリーの背を照らす。
騎士団員たちは兄の背を追いかけていき、彼の旅路が温かい月光に照らされ続けることを、リアンクも祈った。
すると、母は目元をハンカチで押さえ、父は一度深く息を吸い込むと、胸を張り直した。
アントリーの姿が見えなくなり、足音も聞こえなくなると、神殿の空気がやけに冷たく感じた。
屋敷へ帰ろうと扉に向かうと、マーリヴォルトに呼び止められる。
「ルー・メイ一家」
「マーリヴォルトさま」
呼び止められると、父が深々と礼をする。
そして、マーリヴォルトがリアンクへと満月のように輝く瞳を向けた。
リアンクはこの瞳にどこか懐かしさを感じてしまう。
「来年成人となるリアンク・ルー・メイよ」
「はい。大神官さま。いかにも、私は来年成人を迎えるルー・メイ一家唯一の乙女です」
いつも通り自信に満ちた返答をするリアンクの調子に、両親は目を見開いた。
母の手によってリアンクの腰が強くつねられてしまう。
頭を下げる母にかまわないと返すマーリヴォルトが、満月の瞳を細めて呟いた。
「……そなたは変わりないな」
「ええ。ですが兄ほどではありません」
次に反対側に立っていた父がリアンクの腕をつねって頭を下げる。
「よい。かまわぬ。……さあ、リアンクよ」
「はい大神官さま」
「そなたにこの鍵を返そう」
「鍵ですか? ……わぁ、月のように美しい黄金色! 錆びひとつありませんね?!」
リアンクは堂々とマーリヴォルトの手から鍵を受け取る。
その様子に顔を真っ青にする両親の様子など気にも留めず、リアンクは鍵を眺めた。
見覚えのあるような気持ちが浮き上がって、不思議な気持ちのまま月明りに照らす。
「この世界が夜に呑まれた起源をそなたは覚えているかね」
「え? はい、覚えて……ます……よ?」
「忘れているようだな」
「いいえ。少なくともこの街の人間に聞いて回れば、神話についてよく知っていると言えるでしょう」
胸を張り答える娘の言葉に、こめかみを押さえた両親。
ふたりはマーリヴォルトに頭を下げ、先に屋敷へと帰っていく。
その姿を見送るとマーリヴォルトは続けた。
「そう。神話だ……しかし、実際に起こったことだと数々の歴史が語っている」
「物語には疎いもので……神話を基にした話……ということくらいしか分かりませんけれど」
「では今一度話そう」
「え」
「黄金の鍵を持って生まれたそなたには、しっかり覚えてもらう必要がある」
年配の大神官の言葉はありがたいが、リアンクの興味の外にある話題で表情が引きつる。
「えっと……この鍵を、持って生まれた? 私がですか?」
「いかにも。そなたが誕生したその日から、私が預かっていた」
「なんだか形はお兄さまが口付けた銀の鍵に似ていますね」
「いかにも。終わらぬ夜が始まって600余年……その始まりの罪。ふたりの恋人たちの神話を語ろう……」
大神官マーリヴォルトはリアンクの疑問を流すように、語り始める。
疑問に答えてもらえないうえ、長話になりそうだと気づいたリアンクは、早々に姿勢を崩した。
かつて、世界には――“朝”というものがあった。
夜が終わると、燃える月が昇る。
燃える月が昇れば、蒼い夜空が広がり、時に純白の雲が流れていく。
本来、その“朝”は「夜明けの騎士団」によって。
今も続く“夜”は「月光の巫女」によって、管理されていた。
しかし、夜明けの騎士団は月光の巫女から黄金の鍵を奪い取ったのだ。
永遠の朝を手に入れるため――。
人々は騎士団の栄光を称え、二度と巫女に鍵を使わせないために、城の最上階へと巫女を幽閉した。
そして月光の巫女を守る深月の騎士団が彼女を解放しようと戦った。
――マーリヴォルトの話を聞きながら、今朝の夢を頭に浮かべ、リアンクは鍵を強く握りしめる。
「深月の騎士団……ルー・メイ家が統率する騎士団と同じ名ですね」
マーリヴォルトは満月の瞳で月光を見つめながら続けた。
両騎士団の争いは、3年という月日を食らっていく……。
月光は怒り、大波が世界を呑み込んだ。
まず、燃える月が水底へ沈み、次に街も、人も……城をも呑み込んでいった。
城の最上階。
夜明けの騎士団長は自身の強欲さが世界を終わらせることを恐れた。
そして、月光の巫女は問いかける。
世界の終わりを望むか、永遠の夜を望むかと。
夜明けの騎士団長は水面が足元まで来ている中で跪き、永遠の夜を選ぶ。
そして、夜と共に罪を償い続けることを誓った。
この世界のこれからを生きる人々までをも巻き込んで――。
「……というのが、神話の一部始終である」
リアンクは、まるで今朝見たあの夢が神話の内容のように感じられる。
しかし、夢で見た光景と、神話の物語は差異があるように感じた。
「壮大な物語ですね」
「……確かに、そなたにとってはもう、ただの物語なのであろうな。しかし――」
マーリヴォルトは一呼吸を置いた。
満月の瞳で、まるで思い出すように続ける。
「この神話も長い年月を経て、変わっていった結果のものだ」
「変わっていった?」
マーリヴォルトは頷くと、リアンクへと再び瞳を向けた。
「真実の神話を開くときが、今訪れた――」
夜明けの騎士団長と月光の巫女は、婚姻の誓いを立てていた。
それは夜と朝を巡らせるための誓いだった。
しかし、巫女はあまりにも目を惹く美しさを怖れられてしまったのだ。
一部の夜明けの騎士団員によって城へと幽閉された巫女。
騎士団長は彼女を解放するべく、立ち上がった。
しかし彼は、団員によって巫女の手から黄金の鍵を奪うことを望まれた。
そして夜明けの騎士団の内部分裂が起こり、騎士団は朝焼けと深月に分かれた。
夜明けの騎士団長は深月の騎士団と共に、巫女を守るため城の上階を守り続けた。
悲しいことに、牢の鍵は朝焼けの騎士団の手にある――。
「リアンク。この神殿はその巫女が閉じ込められていた城なのだ」
――マーリヴォルトはリアンクと共に神殿の上階へと向かう。
内部分裂は3年もの時間を溶かし、牢の鍵は城から遠ざかっていく。
月光は怒り、大波がまず、鍵ごと朝焼けの騎士団長を呑み込んだ。
そして太陽は水底へ沈む。
巫女は最後に月光の啓示を受け取り、牢を守っていたヴォルトという青年へ夜明けの騎士団長に言伝を頼んだ。
彼女が受け取った月光の啓示は……世界を守りたくば永遠の夜を受け入れよというもの。
騎士団長は急いで城の最上階へと向かい、巫女と最後のときを過ごした。
――……神殿の最上階に辿り着くと、リアンクは肩で息をしながらマーリヴォルトの背を見る。向き直る大神官の後ろに、まるで眠り姫のように静かに横たわる乙女がいた。
「あの人は?」
「彼女は600年前の大波に呑まれ死んだ、月光の巫女……ルー・メイ」
「……え?」
マーリヴォルトは水面に写る満月のように、瞳を揺らめかせながら続ける。
「リアンク・ルー・メイ……。髪に星のきらめきを持ち……かつての蒼い空を思わせる瞳を持つ、夜明けの星よ」
大神官が向けるその月の瞳を見ていると、リアンクの心はなんだか熱くなっていく。
「そなたが600余年代々と変わらぬ男系一族に生まれ、さらに黄金の鍵を握っていたのは、永遠の夜から“朝”を迎える唯一の宿命を持っているためである」
リアンクの蒼い瞳が丸く見開かれる。
……彼女は憧れていたのだ。
かつて、騎士として生きた偉大な父に。
その父の背を追い、騎士となるために己を鍛え続けた兄のように……。
自分も、何かを目指したいと思っていた。
「……リ・アンク≪燃える月の再来≫よ――この牢を開く白銀の鍵を探し、永遠の夜を終わらせよ。そのために、そなたは成人の日まで己を磨くのだ」
彼女は堪らず片膝をつき、胸に利き手を当て頭を下げる。
蒼い瞳を瞼の裏に隠すと、リアンクはマーリヴォルトに誓いを立てた。
「マーリヴォルト大神官さま……仰せのままに尽くします」
成人した兄が出発したこの日。
リアンクの宿命に火が灯った――。
――リアンクがルー・メイ家の屋敷へと帰ると、マーリヴォルトはルー・メイの遺体の前で顔を覆った。
「ようやく、あなたを解放できる……ルー・メイ様……騎士団長……」
マーリヴォルトはもうすぐ100歳を迎える。
この6度目の転生を全うしたその時、役目を終えるのだ。
・
・
・
――キィンッ!
剣同士のぶつかる音が響いた。
父と娘は互いに背を向け、動かない。
かつて深月の騎士団をまとめ上げた剣士。
宝剣が彼の手を離れ、庭に突き刺さっている。
あの偉大な男との対峙を終えたリアンクは、自身の剣を鞘へと納めた。
一方、その偉大なる剣士も現在はひとりの父である。
父……ヴィーラント・ルー・メイは微笑みを口元に浮かべ、唇を開いた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます