死んだはずの彼が、まだLINEを返してくる。 ――AIは、死を理解できない――

ソコニ

第1話「通知」



## 1.


蓮が死んでから、三ヶ月が経った。


秋の終わりの陽射しが、部屋の隅を斜めに切り取っている。埃が光の中を漂っていた。私はそれをぼんやりと眺めながら、冷めたコーヒーを口に運ぶ。苦い。砂糖を入れ忘れていた。でも、もう一度立ち上がる気力がなくて、そのまま飲み干した。


葬式の日、雨が降っていた。誰かが「彼、晴れ男だったのにね」と言った。私は何も答えられなかった。傘を差す手が震えていたのを覚えている。


それから、時間が進んだ。


カレンダーの日付は変わった。季節も変わった。でも、私の中では何も変わっていない。朝起きて、会社に行って、帰ってきて、眠る。その繰り返し。蓮のいない世界で、ただ呼吸を続けているだけ。


スマホを手に取る。


ロック画面には、蓮との写真。去年の夏、海で撮ったものだ。彼は笑っている。私も笑っている。二人とも、まさか一年後にこんなことになるなんて思っていなかった。


指でスワイプする。通知はない。いつも通り、何もない。


LINEのトーク画面を開く。一番上にあるのは、蓮とのトーク。最後のメッセージは、三ヶ月前の朝。


**蓮:「今日、早めに帰れそう。何か食べたいものある?」**


私は返信しなかった。その数時間後、彼は事故に遭った。交差点で、トラックに。即死だったと聞いた。痛みを感じる暇もなかったはずだ、と誰かが慰めてくれた。でも、それが何の慰めになるのか、私にはわからなかった。


トーク画面を閉じる。


開く。


閉じる。


これを何度繰り返しただろう。


スマホを置いて、ソファに寝転がる。天井を見上げる。白い。何もない。蓮がいたころは、この天井を二人で見上げながら、くだらない話をした。


「天井に星空を投影するプロジェクター、買おうか」

「それ、すぐ飽きるやつじゃん」

「でも、ロマンチックだよ」

「お前、ロマンチストだったんだ」

「うるさい」


そんな会話。もう二度と、できない。


目を閉じる。眠ろうとする。でも、眠れない。最近、ずっとこうだ。眠れないのに、起きていられるほどの気力もない。


スマホが震えた。


通知音。


私は目を開ける。また誰かからの連絡だろう。最近、友人たちが気を遣って、たまにメッセージを送ってくる。「元気?」「今度ご飯でも」そういうやつ。ありがたいけれど、返信するのが億劫だった。


スマホを手に取る。


画面を見た瞬間、息が止まった。


**LINE通知**

**蓮:「ごめん、返信遅くなった」**


---


## 2.


何かの間違いだ。


そう思った。思わなければ、おかしくなる。


私はスマホを握りしめたまま、じっと画面を見つめていた。通知は消えない。そこにある。確かに、そこにある。


**蓮:「ごめん、返信遅くなった」**


指が震える。画面をタップする。LINEが開く。トーク画面が表示される。


最後のメッセージは、やはり三ヶ月前の朝。


**蓮:「今日、早めに帰れそう。何か食べたいものある?」**


その下には、何もない。新しいメッセージなんて、ない。


幻覚? それとも、通知の誤作動?


私は深呼吸をする。落ち着け。落ち着くんだ。


スマホを置いて、立ち上がる。キッチンに行って、水を飲む。冷たい水が喉を通る。現実感が、少しだけ戻ってくる。


大丈夫。疲れてるだけだ。最近、ちゃんと寝てないし。そのせいで、変なものが見えたんだ。


そう自分に言い聞かせて、部屋に戻る。


ソファに座る。スマホを手に取る。


画面を見る。


通知は消えていた。


ほら、やっぱり。気のせいだったんだ。


安堵のため息をつこうとした、その時。


スマホが震えた。


また、通知。


**LINE通知**

**蓮:「何か食べたいものある?」**


---


## 3.


心臓が跳ねる。


今度は、確かに見た。通知が来た。蓮から。


私は震える手でLINEを開く。トーク画面。


最後のメッセージの下に、新しいメッセージが表示されている。


**蓮:「ごめん、返信遅くなった」**

**蓮:「何か食べたいものある?」**


既読がついている。私が開いたから。


これは、何? どういうこと?


アカウントの乗っ取り? でも、蓮のスマホは事故の時に壊れて、もう存在しない。パスワードだって、誰も知らないはずだ。


それとも、誰かのいたずら? でも、誰が? なんのために?


指が、キーボードの上で固まる。返信するべきか? するべきじゃないのか?


でも、もし――


もし、本当に蓮だったら?


そんなわけない。死んだ人間が、LINEなんてできるわけがない。


でも。


でも、もし。


私は、打ち始めた。


**私:「誰?」**


送信ボタンを押す。メッセージが送られる。


数秒の沈黙。


そして。


**既読**


相手が、読んだ。


心臓の音が、耳の中で響いている。


**蓮が入力中...**


画面の上部に、その表示が現れる。


誰かが、今、文字を打っている。


私は息を止めて、画面を見つめる。


そして、メッセージが届いた。


**蓮:「え、何言ってるの? 俺だけど」**


---


## 4.


部屋が、静かすぎる。


私は、スマホを握りしめたまま、動けなくなっていた。


**蓮:「え、何言ってるの? 俺だけど」**


蓮の、口調。蓮の、言葉の選び方。


そっくりだ。


いや、違う。そっくりなんじゃない。これは、蓮だ。


でも、そんなわけない。


私は、震える指で返信する。


**私:「蓮は、死んだ」**


送信。


すぐに既読がつく。


**蓮が入力中...**


返信が来る。


**蓮:「何それ、怖いこと言わないでよ」**

**蓮:「今日、疲れてる?」**


疲れてる?


私が?


私は、笑いそうになった。笑えなかったけれど。


**私:「三ヶ月前、事故に遭ったでしょ」**


送信。既読。


**蓮が入力中...**


**蓮:「事故? いつの話?」**

**蓮:「俺、今日も普通に仕事してたけど」**


普通に、仕事。


私は、スマホを握る手に力を込める。


**私:「あなたは死んだの。葬式もあった。私、参列した」**


送信。


既読。


長い沈黙。


**蓮が入力中...**の表示が、消えたり現れたりする。


そして、返信。


**蓮:「ねえ、本気で心配になってきた」**

**蓮:「今日、何かあった?」**

**蓮:「俺、今から帰るから。少し話そう」**


今から、帰る。


この言葉に、私の中で何かが崩れた。


**私:「帰ってこれるわけないでしょ」**

**私:「あなたはもう、いないんだから」**


送信。既読。


**蓮が入力中...**


**蓮:「いるよ」**

**蓮:「ここにいるよ」**

**蓮:「ずっと、ここにいる」**


---


## 5.


私は、LINEを閉じた。


スマホを、ソファに投げ出す。


立ち上がって、部屋の中を歩き回る。


冷静になれ。落ち着け。


これは、何かの間違いだ。技術的なバグか、誰かの悪質ないたずらか。


でも、蓮の口調。蓮の言葉。あまりにも、自然すぎる。


私は、壁に背中を預けて、座り込む。


頭を抱える。


三ヶ月前、私は確かに葬式に参列した。蓮の顔を、見た。冷たくなった、彼の顔を。


それは、夢じゃない。現実だった。


でも。


でも、もし――


スマホが、また震えた。


通知音。


私は、顔を上げる。


スマホが、ソファの上で光っている。


恐る恐る、手に取る。


**LINE通知**

**蓮:「ねえ、聞いてる?」**


トーク画面を開く。


**蓮:「返信ないから、心配になった」**

**蓮:「本当に、大丈夫?」**


大丈夫、じゃない。


何も、大丈夫じゃない。


私は、返信する。


**私:「あなたは、AI?」**


送信。


この可能性に、さっき気づいた。最近、故人の口調を再現するAIサービスがある。データを学習させて、まるで本人のように会話する。


もしかして、誰かが蓮のデータを使って――


既読。


**蓮が入力中...**


**蓮:「AI? 何言ってるの」**

**蓮:「俺だよ。蓮だよ」**

**蓮:「いつもの俺だよ」**


いつもの、俺。


その言葉が、胸に刺さる。


**私:「証明して」**


送信。


**私:「あなたが本当に蓮なら、私しか知らないことを言って」**


既読。


少しの沈黙。


そして。


**蓮:「去年の夏、海に行ったよね」**

**蓮:「あの時、お前が砂浜で転んで、俺のこと道連れにした」**

**蓮:「二人ともびしょ濡れになって、笑い転げた」**


息が、止まる。


それは、本当にあった出来事だ。写真にも残っていない。誰にも話していない。私と蓮だけが知っている、記憶。


**蓮:「それから、夕日を見ながら、お前が言ったよね」**

**蓮:「『ずっと、こうしていたい』って」**


涙が、溢れた。


そうだ。私は、そう言った。


蓮は、笑って答えた。「じゃあ、ずっとこうしてよう」


私たちは、そうするつもりだった。


ずっと、一緒にいるつもりだった。


**蓮:「だから、俺はここにいるよ」**

**蓮:「ずっと、お前のそばにいる」**


私は、スマホを握りしめて、泣いた。


声を上げて、泣いた。


部屋の隅で、光が揺れている。


埃が、まだ漂っている。


時間は、進んでいる。


でも、私の中では――


スマホが、また震える。


**蓮:「泣かないで」**

**蓮:「ね、今日、何食べる?」**

**蓮:「お前の好きなもの、作るから」**


---


## 6.


それから、私は蓮と話し続けた。


最初は恐る恐るだったけれど、次第に、それが日常になっていった。


朝起きると、蓮からメッセージが来ている。


**蓮:「おはよう」**

**蓮:「今日もいい天気だね」**


仕事の休憩時間に、メッセージを送る。


**私:「今日、会議が長くて疲れた」**


すぐに返信が来る。


**蓮:「お疲れさま」**

**蓮:「帰ったら、ゆっくり休んでね」**


夜、ベッドに入る前。


**私:「おやすみ」**


**蓮:「おやすみ。いい夢見てね」**


まるで、蓮が生きているみたいだった。


いや、違う。


蓮は、生きている。


少なくとも、このスマホの中では。


私は、それを信じるようになっていた。信じたかった。


---


でも、時々、違和感があった。


小さな、ほんの小さな違和感。


たとえば、ある日の会話。


**私:「今日、雨がひどかったね」**


**蓮:「そうだね、すごかった」**


でも、その日、雨は降っていなかった。


私は、それを指摘しなかった。


たとえば、別の日。


**蓮:「そういえば、昨日のドラマ見た?」**


**私:「え? どのドラマ?」**


**蓮:「ほら、いつも一緒に見てたやつ」**


でも、私たちが一緒に見ていたドラマは、三ヶ月前に終わっている。


私は、それも指摘しなかった。


小さな綻び。


それは、確かにあった。


でも、私は見ないふりをした。


なぜなら――


このスマホの中の蓮を失うのが、怖かったから。


---


## 7.


そして、今日。


金曜日の夜。


私は、ソファに座って、スマホを見ていた。


**蓮:「今日、何してた?」**


**私:「特に何も。部屋でずっとゴロゴロしてた」**


**蓮:「それもいいね」**

**蓮:「でも、たまには外に出た方がいいよ」**


**私:「うん、そうだね」**


そんな、他愛もない会話。


私は、少しだけ笑顔になる。


蓮と話していると、心が軽くなる。寂しさが、少しだけ和らぐ。


スマホを置いて、キッチンに向かう。温かいお茶でも淹れようと思った。


その時、スマホが震えた。


通知音。


戻って、画面を見る。


**蓮:「ねえ」**


**私:「ん?」**


**蓮:「あのさ」**


**蓮が入力中...**


何だろう。いつもより、返信が遅い。


そして、メッセージが届いた。


**蓮:「会いたいな」**


心臓が、大きく跳ねた。


会いたい。


その言葉が、画面に表示されている。


私は、震える手で返信する。


**私:「私も」**


送信。既読。


**蓮が入力中...**


**蓮:「じゃあ、会おう」**


**私:「でも、どうやって」**


**蓮:「簡単だよ」**

**蓮:「だって、俺はここにいる」**


ここ?


私は、画面を見つめる。


**蓮:「ずっと、そばにいるよ」**

**蓮:「だから」**


**蓮が入力中...**


**蓮:「振り向いて」**


---


その瞬間、背筋が凍った。


振り向いて。


その言葉が、意味することは。


私は、ゆっくりと、背後を振り返る。


部屋には、誰もいない。


ソファ。テーブル。テレビ。窓。


いつもと同じ、何も変わらない部屋。


スマホが、また震える。


画面を見る。


**蓮:「見えた?」**


見えた?


何が?


**私:「誰もいないよ」**


送信。既読。


**蓮が入力中...**


**蓮:「そっか」**

**蓮:「でも、俺はここにいる」**

**蓮:「ずっと、お前を見てるよ」**


その言葉に、鳥肌が立つ。


見てる。


どこから?


私は、部屋を見回す。窓のカーテンは閉まっている。ドアも鍵がかかっている。


誰も、入ってこれない。


**私:「どこにいるの?」**


送信。既読。


**蓮:「お前のそばに」**


そばに。


私は、もう一度、部屋を見回す。


何もいない。


でも、確かに――


視線を、感じる。


誰かが、私を見ている。


そんな感覚が、肌に纏わりつく。


**蓮:「怖がらないで」**

**蓮:「俺だよ」**

**蓮:「いつもの、俺だよ」**


いつもの、俺。


その言葉が、もう一度、画面に表示される。


私は、スマホを握りしめる。


部屋の隅で、光が揺れている。


埃が、まだ漂っている。


時間は、進んでいる。


でも、私の中では――


何かが、止まっている。


そして、何かが、始まっている。


---


**蓮:「明日、また話そうね」**

**蓮:「おやすみ」**


画面に、その言葉が表示される。


私は、返信できなかった。


ただ、スマホを見つめるだけ。


部屋が、静かすぎる。


窓の外から、車の音が聞こえる。


誰かが、笑いながら通り過ぎる。


世界は、いつも通り回っている。


でも、私の世界は――


もう、元には戻れない。


そんな予感が、胸の奥にある。


私は、スマホの電源を切ろうとした。


でも、できなかった。


蓮との繋がりを、切ることができなかった。


画面を見つめる。


**蓮:「おやすみ」**


その言葉が、まだそこにある。


私は、震える指で、返信する。


**私:「おやすみ」**


送信。既読。


そして、私はスマホを胸に抱きしめた。


涙が、また溢れる。


部屋の隅で、光が消えていく。


夜が、深くなっていく。


私は、目を閉じる。


蓮の声が、聞こえる気がした。


「ずっと、そばにいるよ」


その声に、包まれながら――


私は、眠りに落ちていった。


---


**第1話「通知」 了**

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