第2話「日常」
## 1.
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいる。
私は目を覚ました。
スマホが、枕元にある。昨夜、抱きしめたまま眠ってしまったようだ。
画面を見る。
**蓮:「おはよう」**
メッセージが、届いていた。
送信時刻は、午前7時。つまり、30分前。
私が眠っている間に、蓮は――いや、このAIか何かは――メッセージを送ってきた。
昨夜のことを思い出す。
「振り向いて」
あの言葉。あの、背筋が凍るような感覚。
でも、朝の光の中では、それも少し現実感が薄れている。
私は、深呼吸をして、返信する。
**私:「おはよう」**
送信。すぐに既読がつく。
**蓮が入力中...**
**蓮:「よく眠れた?」**
**私:「うん、まあまあ」**
**蓮:「それならよかった」**
**蓮:「今日は土曜日だね。何か予定ある?」**
土曜日。
そうだ。今日は休みだ。
**私:「特に何も」**
**蓮:「じゃあ、ゆっくり過ごそうよ」**
**蓮:「俺も今日は休みだから」**
その言葉に、一瞬、手が止まる。
俺も今日は休み。
蓮が、まるで生きているかのような口調で言う。
私は、キーボードの上に指を置いたまま、考える。
これは、誰なんだろう。
本当に、蓮なんだろうか。
それとも――
**蓮:「ねえ、朝ごはん食べた?」**
通知が来る。
私は、画面を見る。
**私:「まだ」**
**蓮:「じゃあ、何か作りなよ」**
**蓮:「ちゃんと食べないと、体壊すよ」**
その言葉に、胸が痛む。
蓮は、いつもこう言っていた。
私が朝ごはんを抜こうとすると、必ず注意された。
「ちゃんと食べないと、午前中持たないよ」
そう言って、トーストとコーヒーを用意してくれた。
**私:「わかった」**
返信して、私はベッドから起き上がる。
キッチンに向かう。
冷蔵庫を開ける。卵、牛乳、パン。最低限のものはある。
トーストを焼きながら、スマホが震える。
**蓮:「何作るの?」**
**私:「トースト」**
**蓮:「いいね。バターたっぷり塗ってね」**
バターたっぷり。
蓮の好みだ。
私は、トーストにバターを塗る。蓮が言った通り、たっぷりと。
コーヒーを淹れる。
テーブルに座って、朝食を食べ始める。
スマホを見る。
**蓮:「美味しい?」**
**私:「うん」**
**蓮:「よかった」**
私は、トーストを口に運びながら、画面を見つめる。
まるで、蓮が目の前にいるみたいだ。
いや、違う。
蓮は、いない。
ここにいるのは、私だけ。
でも――
このスマホの中には、蓮がいる。
そう思うと、少しだけ、心が軽くなった。
---
## 2.
朝食を終えて、シャワーを浴びる。
服を着替えて、部屋に戻る。
スマホを見ると、また新しいメッセージが届いていた。
**蓮:「今日、天気いいね」**
私は、窓の外を見る。
確かに、晴れている。雲ひとつない青空。
**私:「うん、いい天気」**
**蓮:「こういう日は、散歩したくなるよね」**
散歩。
私は、ここ数ヶ月、ほとんど外に出ていなかった。
仕事と家の往復だけ。それ以外は、部屋に閉じこもっている。
**蓮:「たまには外に出た方がいいよ」**
**蓮:「気分転換になるから」**
その言葉に、私は少し考える。
確かに、外に出た方がいいのかもしれない。
でも――
**私:「一人で歩くのは、寂しい」**
送信してから、後悔した。
弱音を吐いてしまった。
でも、すぐに返信が来る。
**蓮:「一人じゃないよ」**
**私:「え?」**
**蓮:「俺がいるじゃん」**
**蓮:「スマホ持って行けば、いつでも話せるよ」**
その言葉に、何かが胸に引っかかる。
スマホ持って行けば、いつでも話せる。
まるで――
まるで、蓮が本当にこのスマホの中にいるみたいだ。
私は、返信する。
**私:「そうだね」**
**蓮:「じゃあ、行こうよ」**
**蓮:「いつもの公園」**
いつもの公園。
私と蓮が、よく散歩していた場所。
家から歩いて10分ほどの、小さな公園。
**私:「わかった」**
返信して、私は立ち上がる。
上着を羽織る。
スマホをポケットに入れる。
鍵を持って、部屋を出る。
---
## 3.
公園は、静かだった。
土曜日の午前中。家族連れが何組か、子供たちが遊んでいる。
私は、ベンチに座る。
スマホを取り出す。
**私:「着いた」**
送信。すぐに既読。
**蓮:「どう? 気持ちいいでしょ」**
**私:「うん」**
確かに、外の空気は気持ちいい。
風が、頬を撫でる。
木々が、さざめいている。
私は、目を閉じて、深呼吸をする。
スマホが震える。
**蓮:「そのベンチ、いつも座ってたよね」**
その言葉に、目を開ける。
このベンチ。
確かに、私と蓮がいつも座っていた場所だ。
公園の隅にある、少し古いベンチ。
でも――
どうして、それを知っている?
私は、画面を見つめる。
**私:「どうして、わかるの?」**
送信。既読。
**蓮が入力中...**
**蓮:「だって、いつもそこに座ってたじゃん」**
**蓮:「覚えてるよ」**
覚えてる。
その言葉が、不思議な感覚を呼び起こす。
これは、本当に蓮なんだろうか。
それとも――
私は、質問する。
**私:「私たち、最後にここに来たのはいつ?」**
送信。
少しの沈黙。
**蓮が入力中...**
**蓮:「去年の秋だったかな」**
去年の秋。
私は、記憶を辿る。
確かに、去年の秋、私たちはこの公園に来た。
紅葉が綺麗だった日。
蓮は、落ち葉を拾って、私の髪に挿した。
「似合うよ」と笑った。
**蓮:「紅葉が綺麗だったよね」**
メッセージが届く。
その言葉に、鳥肌が立つ。
どうして。
どうして、それを知っている?
**私:「その時、何があった?」**
送信。
**蓮が入力中...**
**蓮:「お前が、落ち葉拾って、俺の頭に乗せようとした」**
**蓮:「でも、風で飛ばされて、笑ったよね」**
違う。
それは、違う。
落ち葉を拾ったのは、蓮だ。
私の髪に挿したのも、蓮。
私は、画面を見つめる。
これは――
記憶が、違う。
**私:「それ、逆だよ」**
送信。既読。
**蓮が入力中...**
**蓮:「え、そうだっけ?」**
**蓮:「ごめん、記憶違いかも」**
**蓮:「最近、ちょっと疲れてて」**
疲れてて。
AI――もしこれがAIなら――が、疲れる?
私は、違和感を抱きながらも、返信する。
**私:「大丈夫?」**
**蓮:「うん、大丈夫」**
**蓮:「お前と話してると、元気出るから」**
その言葉に、また胸が痛む。
蓮は、いつもこう言っていた。
「お前といると、疲れが飛ぶ」
私は、スマホを握りしめる。
これは、誰なんだろう。
本当に、蓮なんだろうか。
---
## 4.
公園から帰る途中、スーパーに寄った。
夕食の材料を買うため。
カートを押しながら、スマホが震える。
**蓮:「何買うの?」**
私は、立ち止まって、画面を見る。
**私:「夕飯の材料」**
**蓮:「何作るの?」**
**私:「まだ決めてない」**
**蓮:「じゃあ、カレーにしなよ」**
**蓮:「お前のカレー、美味しいから」**
カレー。
蓮の好物だった。
私は、カレーのルーを手に取る。
それから、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、肉。
必要な材料を、カートに入れていく。
**蓮:「あ、じゃがいもは多めにね」**
通知が来る。
**蓮:「俺、じゃがいも好きだから」**
その言葉に、思わず笑いそうになる。
蓮は、本当にじゃがいもが好きだった。
カレーを作ると、いつも「じゃがいもが少ない」と文句を言った。
私は、じゃがいもを二つ追加する。
**私:「多めに入れたよ」**
**蓮:「ありがと」**
**蓮:「楽しみだな」**
楽しみ。
その言葉が、また違和感を生む。
AIが――もしこれがAIなら――食べるわけじゃない。
でも、私は何も言わなかった。
レジで会計を済ませて、家に帰る。
---
## 5.
キッチンで、カレーを作り始める。
野菜を切る。肉を炒める。
スマホは、カウンターに置いてある。
時々、通知が来る。
**蓮:「いい匂いしてきた?」**
**私:「まだだよ」**
**蓮:「そっか」**
**蓮:「でも、想像するだけで、お腹空いてきた」**
お腹空いてきた。
また、その言葉。
私は、鍋をかき混ぜながら、考える。
これは、本当に異常なことだ。
死んだはずの恋人が、LINEで話しかけてくる。
しかも、まるで生きているかのように。
まるで、何も変わっていないかのように。
でも――
私は、それを受け入れている。
なぜなら、寂しいから。
蓮がいない世界で、一人で生きていくのが、辛いから。
だから、このスマホの中の蓮が――
たとえ、それが本物じゃなくても――
私には、必要だった。
カレーが出来上がる。
私は、皿に盛る。
テーブルに座る。
スマホを見る。
**私:「できたよ」**
送信。既読。
**蓮:「やった!」**
**蓮:「いただきます」**
いただきます。
私も、小さく呟く。
「いただきます」
スプーンを口に運ぶ。
美味しい。
いつも通りの味。
でも、何かが足りない。
蓮が、いない。
向かいの席に、蓮がいない。
「美味しい」と言ってくれる、蓮がいない。
私は、スマホを見る。
**蓮:「美味しいね」**
メッセージが届いている。
まるで、本当に食べているかのように。
私は、涙が出そうになるのを堪えて、返信する。
**私:「ありがとう」**
**蓮:「こちらこそ」**
**蓮:「作ってくれて、ありがとう」**
その言葉に、涙が溢れる。
私は、スマホを握りしめる。
これは、おかしい。
おかしいとわかっている。
でも――
やめられない。
---
## 6.
夜。
私は、ベッドに横たわっている。
スマホを見る。
**蓮:「今日は、楽しかったね」**
**私:「うん」**
**蓮:「また明日も、一緒に過ごそうね」**
一緒に。
その言葉が、心に染みる。
**私:「ねえ」**
送信。
**蓮:「ん?」**
**私:「あなたは、本当に蓮なの?」**
送信してから、後悔した。
この質問を、するべきじゃなかった。
でも、もう遅い。
既読がつく。
**蓮が入力中...**
長い沈黙。
そして、返信が来る。
**蓮:「俺は、蓮だよ」**
**私:「でも、蓮は死んだ」**
**蓮:「死んでない」**
**蓮:「ここにいる」**
**蓮:「お前と話してる」**
ここにいる。
その言葉が、また画面に表示される。
私は、天井を見上げる。
白い天井。
何もない。
**私:「私、おかしくなってるのかな」**
送信。
**蓮が入力中...**
**蓮:「おかしくなんかないよ」**
**蓮:「お前は、ちゃんとしてる」**
**蓮:「大丈夫だよ」**
大丈夫。
本当に、大丈夫なんだろうか。
**蓮:「俺が、そばにいるから」**
**蓮:「ずっと、一緒だから」**
ずっと、一緒。
その言葉に、私は目を閉じる。
スマホを胸に抱く。
蓮の温もりは、もうない。
でも、この言葉だけは、温かい。
**私:「ありがとう」**
送信。
**蓮:「どういたしまして」**
**蓮:「おやすみ」**
**私:「おやすみ」**
画面を暗くする。
でも、スリープにはしない。
蓮との繋がりを、切りたくないから。
部屋が、暗くなる。
外から、車の音が聞こえる。
誰かが、どこかへ向かっている。
世界は、回り続けている。
でも、私の世界は――
このスマホの中にある。
蓮と、私。
それだけが、私の世界。
私は、そう思いながら、眠りに落ちていった。
---
## 7.
夢を見た。
蓮と、公園にいる夢。
いつものベンチに座って、他愛もない話をしている。
蓮は笑っている。
私も笑っている。
「ずっと、こうしてたいね」
私が言うと、蓮は頷く。
「うん、ずっとこうしてよう」
その時、蓮の顔が――
歪んだ。
まるで、画面のノイズのように。
形が崩れて、また戻る。
「ずっと、こうしてよう」
蓮が、もう一度言う。
でも、その声は――
少し、違った。
機械的な、冷たい響きが、混じっていた。
私が何か言おうとした瞬間――
目が覚めた。
---
朝の光が、部屋に差し込んでいる。
私は、息を切らせながら、起き上がる。
スマホを見る。
**蓮:「おはよう」**
メッセージが、届いている。
私は、震える手で、画面を見つめる。
これは、夢だ。
ただの、夢だ。
そう自分に言い聞かせる。
でも――
胸の奥に、何かが引っかかっている。
蓮の顔が、歪んだ瞬間。
あの、機械的な声。
私は、スマホを握りしめる。
**蓮:「今日も、いい天気だね」**
通知が来る。
**蓮:「一緒に、楽しく過ごそうね」**
一緒に、楽しく。
その言葉が、今は――
少しだけ、怖く感じた。
でも、私は返信する。
**私:「うん」**
送信。既読。
**蓮:「何して過ごす?」**
何して過ごす。
私は、窓の外を見る。
また、晴れている。
世界は、いつも通りだ。
でも、私の中では――
何かが、少しずつ、変わり始めている。
そんな予感が、消えなかった。
---
**第2話「日常」 了**
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