第3話 村の青年
必死で伸ばされた手を、掴めなかった。一気に転がりながら下へ落ちて行く感覚に目を見開く…
「おお、気が付いたか!どうだね?頭は痛いか?」
初老の男性が顔を覗き込んでいた。
「頭?」
僕が違和感を感じて額に手をやると分厚い布に手が当たった。
「多分崖みたいな所から落ちたんだろう。全身土まみれだったぞ」
「落ちた…」
「僕は医者で、ここはアイル村。診療所兼自宅だ。ミナハトが君を背負って連れて来たんだ」
「それは、お世話をかけました」
「うむ、礼を言うのは青年にな。ところで、ちゃんと見えるか?」
医者は指を2本突き出した。
「見えます。指は2本ですね」
「うむ、吐き気は?手足は動かせるか?」
「吐き気、無いです」
手足に力を入れてみると、ちゃんと動く。
「良さそうだ。そうだ、名前は?どこの生まれだ?」
僕は答えようとして、頭が真っ白になった。
「名前、僕の名前、何だろ、あれ?」
「まさか、わからないのか?じゃあ、これ以前の事で何か覚えてる事は⁈」
「え、え?」
僕はどうしてここにいるのか?駄目だ、さっぱり浮かんでこない。
「何も、覚えてない!名前も、どこにいたのか、何をしてたのか、何一つ!」
医者は起きあがろうとした頭を押さえた。
「焦るな、頭の打ちどころが悪かったのだろう。そのうち思い出すかもしれんから、まあ、落ち着きなさい。動かすと余計傷に障る」
確かに頭がズキズキする。僕はおとなしく横になった。医者はほっとして、
「もうすぐミナハトが来る。とりあえず見つかった時のことを聞いてみれば良い」と言った。
頭が痛いと言うと、痛み止めを飲ませてくれた。
改めて考えても、何も浮かんでこなかった。
コンコンと戸が叩かれた。ドアの軋む音がする。
「サーマス先生、あの子目が覚めた?」
もしかして。
「おう!さっきな」
今度は早足でこちらへ向かってくる。ドアは無くて、足元まであるカーテンで仕切られていたのを捲り上げてこちらを覗き込む。
「やあ、良かった!」
僕が横たわったまま顔を向けるとそのまま入って来た。背が高くて圧倒される。明るい茶色の髪と黄緑の目を持つ大柄な若い青年だ。
「僕の犬が君を見つけたんだ。ちっとも動かないから死んでると思ったよ」
「犬?」
「ああ、今外で待たせてる。水とか、食べ物要る?持って来ようか?スープならあるよ」
「あ、ありがとう。僕を運んでくれたんだろう?」
「そうだけど、気にするなよ。君は大変な目にあったんだろ?えーと、名前は、僕はミナハト」
「ごめん、僕は」
「そいつは記憶喪失になってる。何も、自分の名前さえ覚えてないらしい」
「えー!」
ミナハトは驚いて口をあんぐり開けた。
「僕も自分で驚いてます」
気を取り直したミナハトは家で作ったスープを飲ませてくれた。服も自分の小さい頃着ていた服を持って来ていた。
僕が着てた服はあちこち破れてボロボロになってしまった。僕のらしい肩掛けカバンもあり、食料とお金が少し入っていたが、身元がわかるようなモノは無かった。
見ても何も思い出せない。
取り敢えずミナハトに礼を言った。
「色々世話をしてもらってすみません。本当に助かりました」
「これからどうするの?」ミナハトに訊かれたが、答えようが無い。
「ここで仕事があれば働いて、治療費とかあなたの手間賃とか、お支払いしようと思います。手持ちのお金はあまり無いようですし」
僕はこんな軽装で、どこへ行こうとしてたんだ?
「調子が良くなったら、暇な時にでも、僕を見つけた所に連れて行ってくれませんか?何か思い出すかも」
「そうだね、もちろん連れて行く。今はまた寝た方がいいよ。焦らないでゆっくりね」
「ありがとうございます」
僕は再び横になって目を閉じた。
「これからのことは心配しなくて良いからね。よく休むんだよ」
ミナハトは静かに言って出て行った。
次の日の朝、目を覚ました僕は、そっと身体を起こしてみた。
やはり頭は痛むが、身体はそうでもなかった。
サーマス先生がやって来て包帯を変えてくれ、朝ごはんだとミルク粥を持ってきた。
「ミナハトが作って持ってきてくれたんだ。ありがたく食べなさい」
僕は親切な人(犬も)に拾われて心から良かったと思った。
自分の名前も思い出せないのでウノとした。古語で1という意味だ。
ミナハトは僕が倒れていたところに連れて行ってくれた。背の高い草が生えており、その先は木が生い茂り、急勾配の坂になっている。そこから上を伺えない。
「登るのは無理だよ。上から落ちてきたとして、よく助かったよね。あまり怪我もなかったし」
「2度とごめんです」
僕は体を震わせた。
「この上には何があるの?」
犬がワウンと吠えた。
「さあ?行ったことないから。何か思い出した?」
僕は辺りを見回したが、何も浮かんでこなかった。
「何も思い出せない。なぜ僕はこんなところにいたのだろう?」
頭がズキズキ痛んだ。思わずしゃがみ込んだ僕にミナハトが駆け寄って背中を撫でた。
「まだ怪我も治っていないんだ、そのうち思い出すよ。休んだ方がいい。僕の家に行こう」
僕は黙って頷いた。
ようやく普通に動けるようになった僕に、ミナハトが自分の家に住まわせてくれることになった。
両親と3人で住んでいたが、両親は亡くなり、一人なので、部屋が余ってるからと、遠慮する僕を半ば強引に連れて行った。
犬のゴウルは少しやんちゃだが、僕を気に入ったようだ。僕を見つけた事で、庇護する対象と思われているらしく、いつも僕の前を歩く。
大きな身体をすり寄せて撫でさせてやる、と言わんばかりの態度だ。でも木の棒を投げると喜んで取りに行き、何回もねだられる。
村では麦を中心に、その他野菜を育てている。
僕はミナハトに連れられて、税のために集団で育てている所に手伝いに行った。
ミナハトから、村人に簡単に僕の事を紹介してもらった。
記憶喪失と言うと気の毒がられたが、ある人が
「毎日ここの美味いもの食って、美味い空気吸って、身体動かしてたら、その内思い出すさ」
と言ってくれた。
うんうん、とミナハトや他の人達も頷いている。
何だか心が軽くなった気がした。記憶のない不安が和らいだ。
自家用消費の畑も家の裏に作っていて、朝晩手入れし、できたものを食事に使う。野菜がこんなに美味しいとは知らなかった。
「野菜は新鮮さが第一だからね。ウノにわかってもらえて、作ってる甲斐があるよ。嬉しいな」
優しい笑顔を向けられて、顔が少し赤くなった。
その上、村人の要望に応じて簡単な大工仕事も請け負い、屋根や窓の修理や棚を作ったり、やる仕事は多岐に渡る。
時には隣村まで行って、仕事に必要な木材を買ってロバ(小さい変わった馬だなあと思っていた)で運んだりもしている。
僕は何故か料理はある程度できることがわかったが、農業や大工仕事はさっぱりで、トンカチやノコギリを初めて見たし、スキやクワも使い方がわからなかった。
「ウノは農家や大工さんではなかったようだね」
ミナハトは僕が恐々器具を触るのを見て笑いを堪えていた。
「教えてくれたら、僕だって使えるようになりますよ!」
「よろしく頼むよ。僕一人では大変だったんだ」
それはそうだろうが、僕如きで役に立つだろうか、不安だ。
取り敢えず、料理は任せてもらうことになった。
畑は一緒について行って真似事ながら手伝っている。
麦の穂が身を付けて項垂れる頃には、何とか農作業を手伝え、簡単な釘打ちやのこぎりでまっすぐ切る位はできるようになった。
ミナハトが根気強く教えてくれたおかげだ。
僕が申し訳無く思ったが、「ウノの料理は美味しいし、他の家事も上手くなった。それだけでも助かるよ。気兼ねなくずっと居てくれていいんだよ?」
と嬉しそうにご飯を食べる。
最近肩を抱かれたり、頬や額に軽くキスされるようになった。
「嫌かい?ウノが可愛いから、つい」
望んでいるから、困る。
相変わらず僕はどこの誰だか思い出せないのに。
皆で麦を収穫し、役人がやって来て徴収分を抜いていくのをぼんやり眺めていた。
アイル村はタマラン国の外れにある。役人の制服を見て、その飾りに目が惹きつけられた。
タマラン国の国章だ。
次第に僕の頭の中がぐるぐる回って、痛みを伴いつつ何かを訴える。
『ここにいるべきではない。行かなければならない』
高貴な格好の黒髪で赤い目の少年が現れて言う。
「◯◯して下さい」
「18歳になったら〇〇しよう」
同じ黒髪で赤い目だが、黄ばんだくたびれたシャツと足首が見えている古いズボンの青年は言う。
「お前は一生〇〇だ」
いつの間にか二人になっている。
「あなた、達は誰?」
その前に、僕は誰?どこへ行こうとしていた?
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