第三十話 カレン=ヴィジャットの初恋 (1)
サトラムス渓谷から凱旋してから十日後。
カレンは、思い詰めたような顔で、騎士団の宿舎に向かって足早に歩いていた。
その時間は、ちょうど訓練が終わった後で、騎士団の本部に通いではない団員達が食堂で夕食を取っている頃だった。
中には、安く食事が出来るということで、ここですませてから帰る者もいたが、騎士団の半数は所帯持ちということもあって独身の団員が多く占めていた。
その中に、仁と耕助も混ざっている。
王城の近くにある、騎士団本部の隣に併設されている宿舎を寝泊まりに充てがわれていたからだ。
アリステルは、当初、二人に王城で暮らすように提案したが、二人はガラじゃないと言って断り、宿屋に泊まろうとしていた。
それを、カレンが自分も寝泊りしている騎士団の宿舎に住むことを提案して、今に至っている。
その日、カレンは一大決心をして宿舎へと向かっていた。…それは、仁を王都巡りに誘うこと。
…カレンは、元々傭兵だった。
幼い頃に流行り病で両親を亡くし、母方の祖父母に育てられたが、地方の男爵家の御者をしていた祖父のヴィジャット家は決して裕福ではなかった。
そのため、一日も早く独り立ちして世話になった祖父母を楽にさせたいと、早くからあらゆる仕事についていた。
朝から祖父が引く馬車の馬の世話をして、昼からは建築現場の雑用、夜は大衆食堂の皿洗いと働き、その合間に傭兵団の武器などを運ぶ輸送部隊の手伝いもしていた。
当然、その激務の中で身体能力は同じ年の女の子よりも遥かに上がり、十歳になる頃には一般的な男性にすら引けを取らないほどの怪力を持つようになる。
そして、十五になった時、手伝いをしていた傭兵団に入り傭兵の一人として戦場に立った。
カレンは、夢中になって戦った。
おそらく、始めから戦士としての素養があったのか、剣を振り相手を斬り裂くということにまったく抵抗がなかった。
それは、早くに両親を亡くしていた事もあり、カレンに取っての『死』は限りなく身近な存在だったことも理由の一つだった。
幼い頃から友人も作らず、ひたすら生きるために遮二無二に働き『生』を得ていた彼女に取って、戦場はすべてを洗い流し自分を高揚させてくれる格好の『遊び場』だったのだ。
その後、王国が第三の騎士団創設を布告した事を耳にする。その騎士団は、今までのように血筋の良い者から選ばれるのではなく広く門戸を開き、多くの実力ある者達を抜擢するために試合形式で選抜されるとのことだった。
その頃のカレンは、すでに十八になり、様々な戦場で武勲を上げるだけでなく二百人あまりの団員を抱え、王国政府も一目程の傭兵団の副団長になっていた。もちろん、実力だけなら団長よりも上だった。
それもあって、カレンはほとんど興味がなかったが、その騎士団の創設者が王国の第四王女だと言うことを聞き興味を持つ。
「…箱の中に守られて育った王女に、戦場のなにが分かる?!…戦を舐めるな!なにが騎士団だ!」
カレンは、怒りのままに選抜試合に出場した。
そして、勝った後にお花畑の王女様の鼻を明かしてやって堂々と辞退してやるつもりだったのだ。
トーナメント方式だった試合では、獣人や亜人、他国の元騎士や傭兵など多彩な顔触れが五百人以上が参加した。
それを見て、カレンはこの騎士団創設が遊びではないことを感じる。
そして、二回ほど獣人族と、魔剣士との戦いに苦戦したものの結果的には優勝した。
カレンは、いよいよ目的だった王女に向かって、直接辞退を告げようと試合場の中央で待っていた。
すると、そこに現れたのは兜以外の鎧を付けて息を荒くしたアリステルだったのである。
アリステルは、肩で息をしながら笑うと手にしていた優勝の盾を付いてきたメイドに渡して言った。
「…貴様とは対等に戦いたいと思ってな。決勝が終わるまで剣を振るっていた。」
そして、口元に笑みを残したままギラリとカレンを睨みつけると剣を構えて言った。
「…では、まいろうか。」
そして、カレンに構えるように顎を杓って促す。
カレンは、ここまで来たことに半ば後悔もしていたが、そのアリステルの様子に一気に心の底から高揚し叫んでいた。
「おう!!」
アリステルより身長の高いカレンは、全力で一刀目を上段から振り下ろした。
アリステルは、受け流したり捌いたりするのではなく、横薙ぎに弾き飛ばす。
「カレン=ヴィジャット!!そんなものか?!」
「ここからに決まっているだろ?!」
そこから、二人は三十分の間、一進一退の剣撃を続けた。カレンが横薙ぎに払えば受けた刀でアリステルが下から斬り上げ、それを躱しながらカレンが袈裟斬りに振り下ろし…。
決着が付かないと思われたその試合の最後、アリステルの胴薙ぎがカレンの脇腹を捉えて片膝をつく。
アリステルは、カレンの眉間に剣先を突きつけると笑みを浮かべて言った。
「私の勝ちだ。…カレン。私と一緒に死んでくれるか?」
その言葉に、カレンは痺れた。
他の者ならば、私の為に死ねと言う。
しかしアリステルは共に死んでくれと言ったのだ。
「…かしこまりました。この命、王女殿下と共に。」
カレンはその後、散々引き止められながらも傭兵団を辞め、アリステルの騎士団に加わり、副団長の役目を拝命したのだった。
……話は戻る。
つまり、ここまでの生い立ちから見ても、カレンに色恋の機会など全く無かった。
もちろん、男性への免疫など、全然、まったく、これっぽっちもないのである。
そのカレンが、思い詰めて仁の元へと向かっているのには理由があった。
…普段、休みの前日は、カレンが騎士団に入団した時に王都へ呼び寄せた祖父母の家に帰って一緒に夕食を囲んでいた。
そして、翌日は年老いた二人のために掃除や家屋の修繕などをしているのだが、その夕食の席で、好々爺な顔を見せる祖父が唐突に言った。
「…カレンは好きな人でも出来たのかい?」
「グフッ!!」
カレンは、思わず口の中のスープを吹き出す。
「じ、ジイさん!なんでそんなことを言い出すんだ?!」
カレンは、思わずむせながら聞き返す。
「…いや、最近のカレンの顔がそんな風に見えただけなんだが…」
すると、カレンの向かいに座る祖母が目を見張る。
「え?!そうなのかい?!もう、そうなら言っておくれよ!…女伊達らに戦、戦ってあんたはそればかりで…しまいには、嫁を連れてくるんじゃないかと心配してたんだよ?!」
のんびりとした祖父と違い、元気な祖母がカレンが吹き出したスープをクロスで拭きながらまくし立てた。
「ば、バアさんまで何を言い出すんだ?!そんなものいるわけないだろう?私は、王女殿下側付の副団長だぞ?お、男などに
「なにを言ってるんだい!あんたも、もう二十一なんだよ?遅いくらいさ。あたしがあんたの年ぐらいには二人目だったあんたの母親を抱っこしてたね!」
すると、今度は祖父がしみじみと言う。
「…たとえ副団長様でも、好きな男がいるというのは関係ないと思うがのう…。」
「クッ…。」
まさしく、その通りである。
自分が、どんな者であっても恋をしない理由にはならない。
カレンは、思わず二の句が告げなくなるが、ここで仁の事を話す訳にはいかない。
仁に対しては、こっちが勝手に想っているだけだ。
カレンは、居た堪れなくなり思わず席を立った。
「そ、そう言えば、本部でしなくてはならないことを思い出した!すぐに行かなくては!」
「なんだい?逃げるのかい?!」
祖母は、見え透いたカレンの言葉を看破する。
「ほ、本当だ!明日までにやらなくてはならないのを忘れていた!とりあえず、行ってくる!」
「…まったく、あんたって子は都合が悪くなるとすぐに…」
カレンは、後ろの祖母の呟きを耳にしながら準備を整えるとドアへと歩き始めた。
「夕飯は、とうするんだい?!」
「帰ってから食べる!置いておいてくれ!」
「…んもう、まったく…。」
祖母は、ボヤきながらカレンの残ったスープを鍋に戻している。それを気配で感じながら、カレンはそそくさと家を後にした。
……そして、宿舎へと向かう今に至る。
家を飛び出した時には、一回りでもして帰るつもりでいたが、ふと、祖父のことが頭を
祖父は今年で七十一になる。
この世界の男性の平均寿命は七十で、祖父はそれを一つ超えたことになる。
今まで 戦場ばかりを渡り歩き、ようやく騎士団に入団し以前よりも安心してもらえるようになったとはいえ、世間のような幸せを与えているかと言えばそうではない。
カレンにとって祖父母は亡くなった両親以上にかけがえのない存在だった。
そう思うと、自然と仁の事を考え始めた。
仁は、とんでもないほどにモテる。
それは、女だけでもなく男にも慕う者が多いことをカレンは知っている。
いずれ、仁は高貴な貴族の美しい娘や、有力な貴族の縁者を娶るかもしれない。
だが、自分には仁以外に考えられる者はいなかった。今まで、言い寄ってきた男がいなかったわけではないが、仁とは比較にならなかったのである。
カレンは、しばらく黙々と歩いていたが、仁を誘うことをもう一度決心をする。
「…よし!」
そして、気合を入れるように呟くと、その歩みを騎士団の宿舎へと向けていたのであった。
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