上のおじちゃん、ひかれる~ 叔父、アンブレイカブルになる回~

ぶう

上のおじちゃん、ひかれる~ 叔父、アンブレイカブルになる回~



上のおじちゃんがひかれた。



えっ?いや、違う。ドン引きされたのひかれたではない。



確かに、うちの親と大叔父はある意味、ドン引きに近い反応はしてはいたがね。


何にひかれたかって?

弾かれた。違う。バイオリンの弦じゃあるまいし。

挽かれた。違う。うちのおじはコーヒー豆ではない。人間である。

曳かれた。違う。上のおじちゃんは船ではない。

退かれた。違う。母の兄は兵隊でもない。というか、何の話だ?

惹かれた。全然、違う。限りなく遠くなった。

牽かれた。おしい。立場が逆だ。

そう、車に引かれた。



9月4日の話である。



執筆しているのが10月8日の深夜と○○日だから、およそ一か月前の話になる。

上のおじちゃんが車にひかれたが、頭にたんこぶをつけるだけの軽傷だった。

自転車で歩道を赤信号でわたってしまい、車にひかれた。

本人は青を止まれ、赤信号を進む、と勘違いしてたらしい。

それでいままでどうやって自転車で横断歩道わたってたの?

それで、よくひかれなかったね、いままで。

と私は母と父とその日の夜、会話してた。


どんな事故だったかというと、

女性が運転する車に叔父が自転車の先端にぶつけて、転倒したというものだった。

おじはあたまをぶって、たんこぶができただけ。ほぼ無傷。




『アンブレイカブルかよ』



と心の中でツッコミをいれる。

ナイト・シャマラン監督の映画を思い出す。

ブルースウィリス演じるデヴィッドが不死身の男アンブレイカブル。

ヒーローなのか?それともそうじゃないのか?っていう

何物でもないものがヒーローになるまでを描いた話だった。

うちの叔父は、リアルアンブレイカブルじゃね?と。


もちろん、映画みたいに不死身の男ではなく、

ちゃんとした一般的な中年男性である。


本題に入る前に、なぜ、上のおじちゃんと呼んでいるのかという話をする。

私が保育園似通ってたとき、記憶にあるうちに上のおじちゃんっていう呼び名が定着していた。


私や妹がいる前では、よく母の兄である叔父に対して、母や父は上のおじちゃんと言ってた。おそらく、母が言い出したのだろう?もしくは、幼かった私か妹なのか?いま思い出すと、叔父と同居してる大叔父(おじちゃん)が言い始めたような記憶がある。正確には誰が言い始めたかわからない。ただ、私たちは母の兄、叔父を『上のおじちゃん』と呼ぶ。


なぜ、『上のおじちゃん』なのか?


母の実家、今は亡き祖母が住んでいた家。そこに、その弟である大叔父こと「おじちゃん」と叔父の二人で住んでいる。その家の二階に叔父が住んでいる。二階に住んでいるから「上のおじちゃん」というわけである。今更ながらに思えば、そのままじゃんとツッコミつつも、なかなかいいネーミングだなとは思った。

ややこしいのが大叔父を「おじちゃん」と呼ぶので、初めて聞く人にとってはどっちがどっちか分からないというのもありそうだが、そこらへんはご了承を。

それと、上のおじちゃんは、生まれつき、耳が聞こえない。


それもあって、言葉で話すことができず、声を発しつつ、手話でコミュニケーションをとる。だが、ぶっちゃけ、手話というよりも上のおじちゃんと母、大叔父との会話は、独自のジェスチャー会話みたいになっている。

母と大叔父が軽く手話でたまに話すときがあるが、ぶっちゃけ声と手振りで会話している。


手話というよりも、言葉と手の動きのジェスチャーでコミュニケーションをしているといったイメージだ。


「えっ!えっ!えっ!うッぱぃぅいdさpパっ!」


片手をもう片方の手にぶつけて声を出して私たちに何かを伝えてくる。


『えっ・・・ん?なに?』


私は毎回、上のおじちゃんと会うたびに頭の中で?マークがでる。

声を出して手話で会話してくれるのだが、叔父こと、上のおじちゃんには悪いが、何を言っているのかわからない。会うたびに会話なのかよく分からない謎のコミュニケーションを母と大叔父と私は、叔父ととる。


それなりに上のおじちゃんに通じているし、会話が成り立つから驚きだ。というか、私も手話というよりも表情の笑顔と手振り、声など組み合わせてコミュニケーションをとる。


それで、上のおじちゃんにも意味がなんとなく通じているようで、会話が成り立つから、別に手話とかちゃんとできなくても、なんとかなるものだな〜と思ったりもする。


上のおじちゃんは、自転車を走らせながら本屋によったり、フラフラと目的があるのかないのかわからないけど、よくでかけるらしい。


たまに、歩道で見かけたりするし、すれ違ったら、

手をあげてたまに挨拶してきたり、

言葉で会話ができなくても、声を発して、

手話で話しかけてきたりするから対応に困ったりもする。


それで、急いでいるときはあえてみつけてもすれ違わないように避けたりするときもあった。まあー話が長くなるのと、どう話をきればいいのか分かんないという問題があるからだ。これは、私のコミュニケーション能力の問題なのだろうが。そんな、上のおじちゃんの格好は、特徴的だ。スキンヘッドであるが、その上に帽子をかぶり、ジャンバーと長ズボンスタイルの厚着で身を包んでいる。それがより、ふくよかな体型を強調させている。


しかも全身、濃い緑の服をなぜか毎度着ているため、町中だと結構目立つ。ある意味で緑が上のおじちゃんのトレードマークになっている。

ひっきりなし緑色の服を毎日きているわけではなく、あくまで個人の趣味なのだろうなと私は思う。


話を戻すと、そんな上のおじちゃんが車にひかれた。

赤信号なのに歩道を自転車でわたって、女性が運転する車にひかれたとのことだ。

自転車の先っちょがぶつかり、その勢いでたおれて、

頭をぶつけて、たんこぶができた。


それだけだ。

事故は事故なのだろうが、大騒ぎするものか?というと何とも言えない。

事故直後、叔父はそのまま、かえろうとしたときいて、思わずわらってしまった。

帰ろうとするおじには、驚いたのと無神経だが面白すぎた。

それは、叔父なりのやさしさなのだろう。

べつにけがしてないから大丈夫、だからかまわなくていいという。

だが、そうはいかない。

父はキレてた。

母は叔父に対して怒ったといっていたが、この話をしているとき本人は笑っていた。

大きな事故にならずよかったと母はいっていた。確かに無事で何よりだし、たんこぶとそのまま帰ろうとする叔父の対応におかしさを感じたのもある。

それ以上に、母も私も思わず笑ったのがある。


車が自転車と衝突し、運転手の女性が警察と救急車を呼んだ。

そこに、救急車がかけつけて、そのまま担がれて搬送されたらしい。

けがの内容は、頭のたんこぶと足のすり傷である。

そして、上のおじちゃんはそういったのを拒んだらしい。


そのまま、担架にのせられ救急車で搬送されていく上のおじちゃんのシュールな絵を想像すると、おかしさがこみ上げてきた。

ふくよかな上のおじちゃんが、担架で救急車に運ばれる。それを拒もうとする上のおじちゃん。現代アートにでもできそうだ。


だが、これが、笑い話ですむかというとそうでもない。

相手の女性の車には、へこみや損傷があった。

逆に気の毒で申し訳ない、と私や母父もふくめて話した。

その女性からしたら、通報の義務があり、警察や救急車を呼ばなければならない。

それを怠れば、罰金か社会的なペナルティが入るからだ。


無傷とはいえないが、頭のこぶと足のすり傷だけの叔父。

その叔父を車でひいてしまい(正確には自転車の先端をぶつけた)、

車体はへこみ、そして、救急車と警察を呼んだそのあげくに

、警察に事情をきかれ、時間が消費される運転手の女性。


彼女の貴重な人生の時間が車のへこみ損傷の修理、

修理にかかるお金と保険関係などに消費される。

どちらが被害者なのか?加害者なのか?

私はわからなくなった。

笑えばいいのか?難しい顔をしとけばいいのか?

反応に困った。

おじの信号の勘違いのくだりはウケた。

赤信号を進め、青信号を止まれと勘違いした。

なんか、犯罪者が逮捕されるときの下手な言い訳の例を聞いているような気分だった。


それと、今回の上のおじちゃんがひかれた話。

事実は小説より奇なりということわざがある。

まさにその通りだなと思った。


父も車で道路を走ってるときに、おじが赤信号でとおってたのを4~5回どこかで見かけたという話を聞いた。普段から、赤信号と青信号の役割を勘違いして今まで40年近く生きていたとなるとある意味、すごい話だ。


それとは別に、交通ルールを守っていたのに叔父を車でひいてしまった女性のことを思うと、いたたまれない気持ちになった。

視点をかえると、全く笑えない。


むしろ、車で叔父を引いてしまった女性の気の毒な話になる。

世の中とは、恐ろしいものだ。

どんなに生真面目な人でも、そうでない人でも、どちらでもない人でも被害者にも加害者にもなってしまう。明日は我が身だなと私は思った。

ちなみに、この話には後日談がある。


車で叔父を引いた女性が、謝罪の品をもって謝りにきたとのこと。

その時に、叔父と大叔父が応対した。

大叔父は、叔父こと上のおじちゃんに、


「謝るのは、お前だろ!バカたれ」



みたいなことを言ったらしい。

法律上は、車の運転手が加害者なのだろうが、

このときだけ、運転手と叔父の立場は逆転していた。

それと、もう一つ。


母が病院に搬送された叔父を車で迎えに行った時の話だ。

大叔父に事故の連絡を聞き、頼まれて迎えに行ったとのこと。

けがの内容は、足のすり傷と頭のたんこぶと母は前もって、大叔父に聞いていた。

母は病院に到着し、叔父に会うなりおかしくて笑ってしまったらしい。

叔父は、けがといっても、足のすり傷と頭のたんこぶだけだ。無傷に近い。

それなのに、なぜだろう?

車いすで母を出迎えた。



「けがもしてないのにあんた、なんで車いすに座ってるの」



と笑いつつ、母は父と私に話してくれた。

当然、おじには、母がカンカンで怒ったらしい。

大叔父もガチギレしていたとのこと。

まあ、そうだろう。

ここまで長々と話したが、この話にオチはない。


ただ、よかったことは、母がわずかにでも仕事を休むことができたことと、親と私の間に話す話題ができたことだ。そして、この短編の話のネタになったことである。

どんな悪い出来事もいい面をくみ取れば見方も変わる。ようは、物語のジャンルも変わる。叔父を引いた運転手の女性には申し訳なさと気の毒さを感じつつもだ。

こんな風に考える私も人としてどうなのかな?


こうして、上のおじちゃんの出来事を話題にする

私、母、父、大叔父に対し、こう思った。



明日は我が身なり、と。



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