第2話夢想のヒーロー

「早く起きてよ、おかあさんっ!!」


 閑散とした交差点に悲壮感を滲ませた声が響く。

 年端も行かない少年が、横たわる母親の体を泣きながら揺する声だ。

 しかし母親は何の反応も示さない。

 頭から流れる真っ赤な血が、その理由をこれ以上ないほどに示していた。


「う、うぅ……」


 少年は、嗚咽おえつと共に顔を上げる。

 彼の視線の先には、交差点の中央に佇む巨大な黒い球体。全身から生やした八つの棘をコンビニ目掛けて狙い澄ましている。

 そう、アレこそが全ての元凶だ。

 人々は皆アレの出現に恐怖し、一目散にこの場から逃げ去ってしまった。

 そんな中、親子は取り残されて今に至る。 

 とはいえ、全ての人々が二人を見捨てた訳では無い。途中、球体の気を引くかのようにカバンを投げつけた高校生がいた。

 もっとも、その結果はあまりな悲惨なものだった。

 球体に傷の一つも与えられず、呆気なく吹き飛ばされてしまったのだから。

 そんな相手に、まだ幼い少年が敵うわけもない。

 今の彼に出来るのは、目覚めを願って母親の体を揺することだけだった。

 しかし、


「ひっ!」


 少年の喉から悲鳴が漏れる。コンビニに向いていた球体の棘が、再び親子に狙いを定めたのだ。

 どうやら球体は高校生への興味を失くしたらしい。

 或いはもう、意識する必要も無くなったのか。


「だ、だれか、助けて……」

 

 自然と口をついた、救いを求める少年のか細い声。けれど当然、応える者はいない。

 すがるように辺りを見回すものの、その瞳に写るのは無人の交差点という絶望だけ。

 であれば数秒後の自分たちは、一体どうなってしまうのか。

 まだ幼い少年でも、その末路を想像するのはあまりに容易だった。


「おかあさん……っ!」


 もうダメだと、少年は母親に覆いかぶさり瞼を閉じる。そんな親子を貫かんと球体から一本の棘が伸びた。

 次の瞬間、そこには血溜まりが広がり、人だったモノの塊が横たわることになるだろう。

 未来ある二つの生命は、ここで終わりを迎える──筈だった。

 刹那、


「──させない」


 親子と棘の間に、一陣の風が吹く。


「…………え?」


 その時、少年は確かに聞いた。

 突然吹いた荒風の中、凛と響く力強い声を。

 少年は思わず顔を上げ、そして声の主の姿を目にする。


「なんとか間に合った……怪我はない?」

 

 そこに立ってたのは、袖のない真っ赤なジャケットを羽織り白いフードを目深に被る知らない男だった。

 フードには触覚のような二つの白い装飾が逆立っており、ともすればウサギの耳のように見えなくもない。

 両手に灰色の指抜きグローブを嵌め、腰から下は紺色のロングパンツ。首には頑丈そうなシルバーのゴーグルをぶら下げている。

 状況が状況でなければ即座に通報されても不思議のない格好だ。

 けれど少年は、男の声に聞き覚えがあった。

 それは、つい先ほど吹き飛ばされた高校生のもの。


「もしかして、さっきのお兄ちゃん……?」

「…………」


 思わず尋ねる少年。男は、その問いに答えない。

 代わりに少年の前で片膝をつくと、優しく微笑みながら彼と母親の頭に手を乗せて言った。


「お母さんを守っていたんだね。偉いぞ」

「っ……!」


 少年の勇気を讃える男。その足元には、先ほど親子を貫こうとしていた棘の一本が転がっている。

 男の力が、球体に打ち勝ったことの紛れもない証明だった。

 それを見て、少年は一瞬言葉を詰まらせる。

 だが、この瞬間にも状況は進み続けており──。


「お、お兄ちゃん、前──!」


 少年は慌てて叫ぶ。

 球体の棘が、再び二人の元へ迫っていた。

 それも一本ではない。今度は千切れた分を除いた七本全てが同時に襲い来る。

 しかし、 


「大丈夫」


 男は前へ向き直ると、右手を左胸の位置まで持ち上げた。

 そして棘と接触する寸前、勢いよく真横へ払う。

 ただ、それだけだった。

 たったそれだけで、

   

「後は──俺に任せて」


 迫り来る棘の全てを、嵐に吹かれる草葉の如く薙ぎ払ったのだ。


「す、すごい……!」


 少年の瞳に光が宿る。そこに映るのは、先程の悲惨な高校生ではない。

 人々を助け、迫りくる怪物に立ち向かう、決して敗けない正義の具現。

 誰もが一度は憧れ、夢想した。

 まさしく──。


「ヒーロー!」


 万感の想いを込めた少年の声が交差点に木霊する。

 その言葉を背に、男──風守進治は球体に向かって駆け出した。



※ ※ ※ ※ ※


  

 ──頭が冴える、身体が軽い。


 強く地面に踏み込むたびに、進治はそんなことを思う。

 一秒にも満たない刹那が、まるでスローモーションのように引き伸ばされる感覚。

 けれど不自由さは無く、それどころか思考は冴え渡り身体の奥底からは溢れんばかりに力がみなぎる。

 今ならどんな無茶も笑顔で通せると、そんな万能感に満たされていた。


「これが、ヒーローの力……!」


 快哉かいさいを叫ぶ進治。

 脳裏に思い浮かべるのは、コンビニで出合ったウサギのような生き物の姿。

 朦朧もうろうとする意識の中、差し出されたウサギの手を握り返した時、次の瞬間には痛みも消えて力が湧き上がっていた。

 今の格好コスチュームも、その際に気付けば|

 まとっていたものだ。

 あのウサギは何者なのか、自身の身に何が起きているのか。ウサギ本人に聞けば分かるかもしれないが、親子の危機を思うとそんな余裕は無かった。

 一も二もなくコンビニを飛び出した進治が、そんな中で至った結論は──。


「最ッ高だ! 最期に、こんな夢を見られるなんて!」


 これは死に際に見ている白昼夢ゆめに違いない、というものだった。

 本来の自分は、きっと今頃コンビニで力尽きる寸前なのだろう。生命の危機という状況下により、現実と夢想の境界がグチャグチャになっているのだ、と。

 けれど進治からすれば、そんなことはどうでもよかった。

 なぜなら──。


「はぁああああああああ!!」


 非常識なまでに湧き上がる力、危機的状況による脳内物質アドレナリンの異常分泌、これが夢だという思い込み。

 それらが噛み合うことで生じた相乗効果シナジーにより、進治は今、かつてないほどの興奮状態、所謂いわゆる”ハイ”になっていたのだから。

 棘が自身へと迫る度、進治は雄叫びを上げてそのことごとくをなし、かわし、払い除ける。そこに恐怖や躊躇いは微塵もない。

 それどころかより瞼を大きく見開き、口角を吊り上げ、荒々しくも気分よく呼吸をはずませている。

 たかぶる気持ちは、もはや彼自身にも止められない。

 駆ける、駆ける、駆ける。

 そして我武者羅がむしゃらに駆け抜けたすえ、進治はついに球体を拳の間合いに捉えた。

 

「──さっきは、よくも吹っ飛ばしてくれたな」


 球体を睨みつけ、右腕を大きく引き絞る。

 力の限り固めた拳が、ギリリと小さく音を立てた。


「お返しだぁああああああああああ!!」


 腹の底から放たれた絶叫、同時に振り抜かれる渾身の一撃。

 その威力は、球体が落下した際の衝撃を遥かに凌駕りょうがしていた。周囲の建物のガラスがヒビ割れ、進治を中心に激しい風が渦を巻く。

 その一撃をまともに受けた球体は、勢いよく空中へ殴り飛ばされると、そのままショッピングモールの街頭モニタに叩き付けられた。

 それを最後に、ダラリと垂れ下がる球体の棘。再び動きだす気配はない。

 その事実が示す意味は一つ。

 進治は右の拳を空に掲げると、吼えるように宣言した。


「守り切ったぞ、ザマァ見やがれ」


 そして──。


「あ、もう無理」


 次の瞬間、進治は糸が切れた操り人形のように仰向けに地面に倒れ込んだ。

 同時に、赤いジャケットを始めとしたコスチュームは全て光の粒子となって消え、元の黒い学生服に戻る。


「ははっ、締まらないなあ……」

 

 激しく脈動する心臓、ひどく荒れた呼吸。手足は震え、まともに指を動かすことも儘ならない。

 にも関わらず、進治は満足げな笑みを湛えている。

 理由は至極単純だった。


「でも、あの親子を助けられたんだ。たとえ夢でも、俺にしては上出来だろう」


 これが都合のいい幻覚だとしても、最期に誰かを救うことができたのだ。

 未練はない。とまでは言わずとも、これなら満足して逝けるというもの。

 安らかな表情で感傷に浸り、進治はゆっくりと瞼を閉じる。

 耳を澄ませば、何かが近づく音が聞こえてきた。

 

 ──お迎え、ってヤツかな。


 進治の脳裏に、少年と犬が天使に引き上げられる古いアニメのエピソードが過る。

 自分も、似たような感じで引き上げられるのだろうか。

 果たして、そんなことを思う進治のもとへ迎えは確かに訪れた。

 しかし、それは天使などではなく──。


「お疲れ様。ナイスファイトだったよ」

「………………あれ? きみは」

 

 そこに居たのは、コンビニで出合ったウサギっぽい見た目の生き物だった。

 聞き覚えのある声に瞼を開く進治は、その存在に気づくと目を丸くする。

 一方、ウサギは進治の反応に目もくれず得意げに語り始めた。


「やっぱりボクの見込みは正しかった。あの状況であれだけのポテンシャルを引き出せるなんて、キミには間違いなく”ヒーロー”の才能がある!」

「え、いや、あの」


 困惑する進治。

 一方、ウサギの言葉は止まらない。

 

「中々いないんだよ、初めてなのにあそこまで動ける人って。普通は怖くて萎縮したり、パニックで暴走したりするパターンが大半なんだから。なのにキミは初見で使いこなすなんて……うん、これはもう運命だね、そうに違いない。キミはヒーローになるべくして生まれた逸材だ。というわけで今日からよろしく! ところで、キミの名前は?」 

「ち、ちょっと待ってくれ。あれぇ……おっかしいな、そろそろ成仏する頃だと思ってたんだけど……」

「成仏? なんの話だい」

「いや、だって──」


 矢継ぎ早に捲し立てられ、進治は堪らず待ったをかける。そして首を傾げるウサギに素直な心情を打ち明けた。

 即ち、これは自身の無力故の無念、そしてヒーローになりたかったという願望が生み出した都合のいい夢、走馬灯の類ではないのか。

 ならば未練である親子の救済を果たした今、こうして意識が続いているのはおかしい筈だ、と。

 するとウサギは、やれやれと肩を竦めて言った。


「キミ、不運や不幸はそのまま受け入れるのに、いいことがあると逆に不安に感じちゃうタイプ?」

「え?」

「キミは球体に吹き飛ばされて以降の出来事を夢だと思っているようだけど、なら逆に、どうしてそれ以前は現実だと思うんだい? ありえないと言うのなら、球体が出現した時点から疑うべきだろうに」

「それは……まぁ、確かに……」


 ウサギに指摘され、「言われてみれば」と言葉を詰まらせる進治。

 しかし、


「……なら尚更なおさらきみは何なの!?」

「ふぅ、ようやく自己紹介ができるよ」


 幻でなければ天使でもない、ならば目の前のウサギは何者なのか。

 進治は一瞬納得しかけて、すぐに次の疑問を投げかける。

 そんな彼に、ウサギは一步詰め寄って言った。


「ボクは、あの球体──”魔獣”と戦うためにやってきた異界の使者。キミたち人間に分かりやすく例えるなら……」


 一拍、間を置くウサギ。説明に適した単語を探しているのだろう。

 そして、すぐにそれを見つけたらしい。

 緊張の面持ちで身構える進治に、ウサギはウィンクを混じえて得意げに言った。

 

「”妖精”ってところかな」

「よう、せい……? えっと、それってどういう……」


 予想打にしていなかったファンシーな単語に、進治の思考が一瞬止まる。

 無意味に繰り返された言葉からも、その困惑具合が窺えた。

 とはいえ当然、それだけで理解できる筈もない。進治は改めて問い直す。

 しかし、


「もちろん、ちゃんと説明するよ。ただし後で、ね」

「え?」


 突然もったい振るウサギ。進治は虚を突かれ思わず首を傾げる。

 その時、遠くからサイレンの音が響いてきた。


「あれ、この音……」

「おそらく治安を維持する組織のものだろう。まぁ、あれだけの騒ぎがあれば当然駆け付けるだろうね」

「そうか、助けが来たんだ……って、あれ? なんだろう、急に眠く……」


 遠くから徐々に迫るサイレンの音、確かにそれは治安維持する組織──警察車両ことパトカーが発する音で間違いない。よく耳を澄ませば救急車の音も混じっている。

 途端、聞き馴染みのある音に安心したのか進治の肩の力が抜けた。

 すると忽ち凄まじい眠気に襲われる。 


「緊張が解けて一気に疲れが押し寄せて来たんだろう、そんな状態のキミに説明したところで内容を理解できるとは思えない。色々と気になることはあるだろうけど、今はゆっくり身体を休めなよ」

「そうするよ……あ、でも最後に」


 会話の最中にも、加速度的に重くなっていく瞼。意識は朦朧とし、薄ボンヤリと視界が滲んでいく。

 それでも最後の力を振り絞り、進治は交差点の一点に視線を向けた。

 そして”その姿”を確認すると、満足気に微笑む。


「良かった、ちゃんと守れてた」


 泣きながら母親を抱きしめ、安堵と喜びの表情を湛える少年。

 そして、意識が戻ったのだろう。少年の腕を優しく撫で返す母親。 

 確かに守り抜いた親子の姿をしっかり目に焼き付けた進治は、その意識を闇に沈めた。





 だが、この時の進治は知らなかった。

 怪物を倒すほどの力を手にした彼自身もまた、他者からすれば人外の存在と変わらないということに。

 彼がそれを思い知るのは、意識を失ってから二九時間後のこと。


「………………へ? なに、ここ。どういう状況……?」


 目を覚ました進治が最初に見たものは、打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた薄暗い小部屋だった。

 部屋の中央には鉄格子が等間隔で並び、向かい側の壁には片開きの鉄扉が一つ。天井の四隅には監視カメラがそれぞれ赤いランプを灯している。

 そしてトドメとばかりに下着一枚で椅子に縛り付けられている自身の状況。後ろ手に手錠を掛けられており、身動きもほとんど取れない。

 例えるなら──否、そこは紛れもなく尋問部屋だった。

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