File No.13

 どうしてこうなったのだろう——


 翌日、深琴は休日の渋谷という360°人しかいない喧騒の中を、そう思いながら歩いていた。てっきりこの土日も自分の音楽に浸かる至高の時間を過ごせるかと思ったが、現実に深琴を満たしているのは、渋谷に集まった群衆が発する音。


 すぐそばに人がいて、その体温が自分の体に移り入ってくるような感覚と、視界が常に動くものを捉えてしまって、普段部屋から出ない深琴は、歩いているだけで酔いそうになる。


 さて、どうして深琴が自分の体調を悪くしてまで渋谷まで足を運んでいるのかというと、今日ここで七夢鳴海と顔を合わせる約束をしているからだ。


 深琴は七夢鳴海の、命のアバターデザインを作り直したいという要望を、色々なリスクを鑑みて受け入れることにして、昨日送られたメッセージについて返事をした。


 すぐにメッセージはまた返ってきて、デザインを直す上でぜひ話をしてみたいということになり、最初は通話でということになっていたのが、話が進むにつれていつの間にか直接対面するということになってしまっていた。


 もちろんAIである命は直接顔を合わせることはできないし、事情がバレるわけにもいかないので、結局相方として一緒に活動しているていの深琴が1人で会いに行くということになった。


 一応スマホに命はいるが、彼女は諸事情により来れないことにしている。最悪の場合は、通話という形で参加してもらうつもりだ。


 できれば命に会話させることは避けたい。どういう話になるかも分からないし、もし事情が露見することがあれば、面倒ごとになるのは必至だ。


 深琴はセンター街の通りに入りながら、スマホで時間を確認する。待ち合わせの時間ギリギリになってしまっていることに気がつき、足早で待ち合わせ場所の喫茶店に向かった。


「いらっしゃいませ。おひとり様でしょうか?」


 喫茶店は大正ロマン風の内装で、クラシカルなメイド服を着た店員が出迎えてくれた。さっきまでの人混みの喧騒はすっかりなくなり、急に静寂と優雅さに包まれた空間に放り込まれたみたいで、心臓がふわっと持ち上がる。


『…待ち合わせをしています。えっと、三河という名前だと思うのですが』


 チョーカーデバイスから出る機械音声に、メイド服の女性は少しびっくりした様子を見せるが、すぐに切り替えて確認に向かった。


 レジ前で確認が終わるのを待っていると、不意に横からドタドタと静謐な雰囲気をぶち壊す足音が聴こえてくる。この喫茶店は2階造りになっていて、レジの正面に階段があるのだ。そして今、誰かがそこから降りてきた。


 いわゆる地雷系ファッションとやらに身を包んだ、同じ歳くらいの少女だ。その少女は今し方深琴の待ち合わせ確認をし終えた店員に、何事かを言った後、足早に店を出て行った。


「…申し訳ございません。三河様との待ち合わせでございますね。確認が取れましたので、一階奥の席にどうぞ」


『いえ…ありがとうございます』


 視線は勢いよく出ていく少女を負いながらも、店員はすぐに切り替えて深琴の対応をした。別に店員が悪いわけじゃないのにと思いつつ、深琴は店員の案内に従って、席へと向かう。


「あなたが…Smithさん?」


『はい…そちらは、なな——』


「ちょっ、しーっ!」


 深琴が七夢鳴海の名前を出そうとしたところで、慌てた様子でその女性は立ち上がり、手を伸ばした。


 女性、というにはとても幼い印象の人だ。ブラウンのサロペットスカートに、襟レースのブラウスという出立ちのせいもあるだろうが、顔つきもまた童顔であどけなさがある。ピンクブロンドの髪は、毛先にいくにつれてふわっとウェーブしていて、幼さを最大限可愛さに変換しているような雰囲気だ。


 深琴は言葉を途中で呑み込みながらこくこくと頷き、七夢鳴海の対面に座った。対面の七夢鳴海も、合わせて座る。テーブルの向こうにすっぽりと身体が吸い込まれて、深琴の視線が下がっていく。やっぱり小さい。


「身バレしちゃうから、外で活動名を口にするのはやめてね。私のことは本名で呼んで、三河鳴っていうの」


『あ、はい…分かりました』


「あれ、君…その声…」


 名前の注意に気を持っていかれていたのか、三河は遅れて深琴の機械声に気が付く。


『生まれつき声が出ないので。お聞き苦しくてすみません』


「いや! いやいやっ 全然そんなことはないよ。ただ少しびっくりしただけ。初めて聞いたから」


『まぁ、珍しいからよく驚かれます。あっ、すみません。僕は皇深琴っていいます』


「ほえ〜本名も珍しいね。かっこいい名前じゃん。というか、学生って本当なの?」


『えぇ、まぁ…』


 三河はチョーカーデバイスを見たり、顔を見たり、服装を見たりと視線と言動が忙しい。


「あっ、ここの喫茶店メニュー表はなくて、コードをスマホで読み取って注文するから。ほら、好きなもの頼んでいいよ」


『え、いや…自分で頼みますけど』


「遠慮しない、遠慮しない。こっちが呼び出しておいて、子供に支払わせられないってば! あ、ちなみに今チーズケーキフェアやってるよ。おすすめ!」


 そう言って、三河はメニュー画面を開いた状態の自分のスマホを押し付けてくる。子供と呼ばれるのは違和感しかないが、彼女は正真正銘ネットで多くのファンを抱える活動者であり、大人なのだ。


『えっと、それじゃスペシャルブレンドのコーヒー、ブラックで…』


「…それだけ?」


 机に置いたスマホのメニューから顔をあげると、三河が寂しそうな顔を浮かべる。


『じゃ、その…チーズケーキセットで』


「うむ、よろしい」


 追加でチーズケーキも注文すると、三河は満足そうに頷いて、自分のスマホを回収した。


『あの、まず…動画の件について、すみませんでした。知らなかったとはいえ勝手に…』


 全くもって自分の責任ではないものの、面倒ごとを避けるためだと自分に言い聞かせながら、深琴は頭を下げる。


「ううん、そのことは全然いいから! まぁ、よりにもよってどうして一番最初のあの属性もりもりのデザインって思ったけど、私としてはむしろ嬉しかったから」


『嬉しかった…?』


 確かにメッセージでのやり取りの中でも問題ではないと言っていたが、盗用されたことが嬉しいというのはどういうことなのだろう。


「だって自分が一番最初に産んだ子が蘇って、しかもあんなにも素敵な音楽と一緒に。歌声を聴いた時、まるで当時の理想が現実になったかと思ったよ」


『それは…ありがとうございます』


「本当、すごく良い音楽と歌だった。私なんてもう100回以上リピートしちゃってるよ」


 そういえばいつもより動画の再生数の回転が良いなとは思っていたが、多分ほとんど彼女の再生によるものだろう。


『そう言ってもらえると、嬉しいです』


「でもね…それだけに惜しいんだよ!」


 ひとまず盗用については本当に問題にならなさそうで安堵していると、三河の顔が瞬間移動したかのように目前まで迫っていた。


 深琴が座っているのは足つきの椅子のため、思わず身を引いた勢いで後ろに倒れそうになる。


「確かにあの動画の歌はとても良かった。自分のデザインのキャラが歌ってるからっていう私のフィルター抜きにしても、あの歌はすごいと思う。でも動画としてはダメダメだよ」


『いや、まぁ…動画制作はあまり得意ではなくて…』


「うんうん、Smithの他の動画も見たけど、そんな感じだったよねぇ。でもせっかく投稿するなら、ちゃんとした動画にした方がいいよ!」


 どうやら三河はかなりあの動画を買ってくれているらしい。とはいえ、あくまで音楽作りに重きを置いているため、三河提案に魅力はまるで感じない。


『そう言われても…』


「あのキャラクターの中の子はどうなの? あ、ていうかあの子に名前ってあるのかな? Smithはあくまで君の方の名前なんでしょ」


『特に名前は決まってません。動画の方は…どうでしょうか、多分やろうと思えばできると思いますが…』


 きっと命に任せれば、それこそとんでもないクオリティの動画が生み出されそうだ。しかしそんなことをすれば、悪目立ちをするのは明らか。それにこれはちっぽけでくだらないプライドといえばそうであることは分かっているのだが、動画の演出で目立ちたくはないのだ。あくまでも自分の楽曲を主題に置きたい。


 まさかそんな考えをプロを目の前に口にする勇気はなく、深琴はしばし口篭ってします。しかし三河は気が進まない深琴の気持ちを前に、それ以上踏み込むことはせず、元の位置に座り直した。その後少しの間俯いて何事かを考えた後、覚悟を決めた表情で顔を持ち上げる。


「なら、私にその動画を作らせてもらえないかな?」


『…は?』


「わかるよ。あの音楽、とってもこだわって作られたものだって。だから私が作った動画で気に入らなかったら、そのまま没にしてもいいから。一度作らせてほしい。あ、もちろんキャラクターデザインも一新することもお忘れなく」


 小柄な体、子供っぽい見た目、それなのにすでに決定事項だと言わんばかりの威圧感に、深琴は気圧される。


『…三河さんは忙しいでしょう?』


「大丈夫だよ。私には君みたいに学校はないし、1日の全てを創作に使えるんだから」


 カラーコンタクトで栗色になっている大きな瞳に射抜かれる。プロの、妥協のないどこまでも深い創作への意欲がそこに表れていた。


 面倒ごとを避けるため——そのはずだったのに、いつの間にか三河鳴の創作欲という奔流に足を取られ、深琴は身動きが取れなくなっていた。

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