File No.12

 Vtuberとして人の前で歌いたい——


 曲を動画配信サイトにアップロードするくらいは想像していたが、まさか自分も表舞台に立ちたいとまで言い出すとは思わなかった。


 というより、逃亡の身である事情を踏まえれば、ネット上に存在を晒すのはリスクでしかない。その辺りを自覚して言っているのだろうか…どうもAIらしからぬ雰囲気に、もしかして本当に何も考えていないのではないかとも思ってしまう。


 勢い任せの命には当然それを理由に一度は否を突きつけたが、そこから命の必死な説得に襲われてしまった。


 どこにそんな自信があるのかというと、どうやら 命には本来アバターみたいなものはなく、今の水色髪ギザ歯の少女姿も、ネット上で見つけたデザインを自分で3Dにしたものだという。だからきっとその姿をネット上にアップロードしたからと命が命であるとバレる心配はないとのことだ。


 だからといって完全にリスクが消えるわけではない。やはり安全なのは、命をこの部屋から出さないこと。しかしそうやって閉じ込め、抑圧して、結果暴走でもさられたらたまったものじゃない。命は皇家のネットワークを一瞬で掌握してみせたりと、メチャクチャな存在だ。


 それにあの曲の扱いを任せてしまった手前、完全に突っ張るというのも、格好がつかない。ちょっと命に対して甘くなっていることを自覚しつつも、協議した末にあくまで活動は様子を見ながら段階的に行なっていくという条件で同意した。


 とりあえず最初はSmithのチャンネルで、命をSmithの受肉体として新曲と共に動画アップロードをする——


 そう判断して動画を投稿してから数日が経った。今日は土曜日、深琴は相変わらず自室に引きこもっていた。


 今回制作した楽曲は、ただ命が歌った曲ではない。その歌がなぞる歌詞も、命が出来上がったメロディを聴いて作詞したものだ。


 AIによる作詞。一昔前にもチャットタイプのAIで似たようなことは流行ったが、その当時は取ってつけたような言葉を出力するだけで、おもしろネタ以上のコンテンツにはならなかった。


 しかし命は人のような感情を表現することができる。もしかしたら彼女であれば、深琴が自分の音楽に見つけ出すことができなかったピースをもたらしてくれるのではないかと思ったのだ。


 結果、深琴は初めて歌のある自分の曲に、答えを見ることができた。この手応えはきっと本物だ。


 命が完成した曲を世に出したいと言い出して、最終的にその活動を認めたのも、実のところこの手応えが本当に間違いないものか、確かめたかったという下心があったからでもある。


 これまでずっと独りで作っては、それを放り出すように動画サイトにアップロードしていた。今思えば、きっと自分の音楽が停滞してしまっているような感覚から、目を背けようとしてた気がする。


 しかし今はもっと前向きな気持ち——というより、なんというか挑戦しているような気分だった。


『もしかすると、僕も当てられたのかもな…』


 脳裏に浮かぶのは、路上で歌い奏でる花音と氷上の2人だった。あの場にいた誰もが、音で彩られたその瞬間を奇跡だと思ったはずだ。


 深琴もあの場にいた1人として、その例に漏れていなかったというわけだ。


 花音は歌に関して天性の才能を持っている。そしてきっと氷上伊織も、そうなのだろう。そんな特別な2人が、本気でぶつかり合ったからこそ、奇跡のようなセッションが生まれた。


 まさに人を動かす、熱く生きた音楽だ。深琴の作る音楽とは、それこそ対極にある存在といえるだろう。


 だからこそ挑戦してみたいと思ってしまったのかもしれない。


 花音たちの作り上げた奇跡を、先人の理論と人工の叡智で作り上げた音楽が、超えることはあるのだろうか、と。もしそんなことができるのであれば、それこそ深琴の描く最高の音楽なのではないだろうか。


 命との一曲を完成させて以降、モチベーションは高い。次の曲のイメージもまるで蓋がはずれたかのように溢れてくる。


 全てが消えてしまう前に、早くこのイメージを形にしたい。深琴はこの土日も充実した音楽漬けになることに喜びを感じながら、モニターと鍵盤へと向かった。


「マスター! 大変なのです、大変なのですぅ!」


 せっかく集中モードに入りかけていた意識が、文字通り横から飛び出してきて喜びを弾けさせる命によって突き飛ばされた。


『…おい』


 深琴のチョーカーデバイスは旧式で、出力される機械音声には、本来音の高低を細かく変えられる機能は搭載されていないのだが、集中の開始を邪魔されたことへの不快感が、機能の限界を突破して、すこぶる機嫌の悪そうな低音の声を再現させていた。


「ひっ、ごめんなさいなのです」


 深琴の剣幕に、命は気おされた猫のように体を飛び上がらせて、モニターの端に逃げていく。


 モニター端から顔半分だけ出して、プルプルと震えながら縮こまっている。


 その様子に段々と苛立ちが呆れに変わって、深琴は感情を押し出すようなため息を吐いた。


『…それで、何が大変なんだ?』


「えっと、その…マスターのチャンネルにダイレクトメッセージが届いているのです」


 命は以前モニター端に身を隠したままだ。そこまで怯えさせるほど凄んでしまったのだろうか。不快とは感じたが、既にそれは息に吐き出してしまったので、今の命の様子をみると若干罪悪感がある。


『別にもう怒ってないよ。それより、ダイレクトメッセージって?』


 恐る恐るといった感じで画面端から出てきた命は、PCモニターにSmithのチャンネルのTOPページを開き、そこからユーザーページに遷移する。さらにそのページにあるアイコン横のポップアップメニューを立ち上げられたところで、深琴は端に隠されるように配置してあったDMという文字に気が付く。


 こんな機能があったのか…普段コメント付き保管場所としてしか利用していないから、チャンネルの機能にDMがあったことなんて知らなかった。


「ここに投稿したマスターとオレの曲についてのメッセージが届いているのです」


『あの動画に…? コメントじゃなくてダイレクトメッセージでって…嫌な予感しかしないんだけど』


 もしかして命を開発した研究機関とやらからのメッセージだろうか。いや、もしそうなら喜びはしないだろうから、もっと別の人物からのメッセージか。


 ともかく危ないものではないことに安堵しつつも、深琴はDMを開いた。


『…七夢鳴海ナナユメナルミ? 誰だろう。いや、どこかで聞いたことがあるような』


 どうやらこのDM機能は動画配信サイトのアカウント登録しているユーザーのみが使える機能らしい。深琴はメッセージの内容を確認する前に、この記憶への引っ掛かりを確かめるべく、七夢鳴海のアイコンをクリックした。


 アイコンはそのユーザーのチャンネルページにリンクされており、出てきたのはイラストレーター兼Vtuberとして動画投稿や配信活動している、登録者数50万人を超える巨大チャンネルだった。


 深琴はそのままブラウザを開いて、検索欄に名前を打ち込み調べる。


『めちゃくちゃ有名なイラストレーターの人だ。大手のVtuber事務所のキャラデザも担当してる』


 どうりで聞き覚えがあるはずだ。イラストレーターとしてだけではなく、本人もVtuberとしてインフルエンサーをしており、多くの企業とタイアップしたりしている。


 深琴も直接配信を見たことはないが、CMなどでその顔は見たことがあった。


 そんな人からなぜDMが…?


 深琴は息を呑みながら、送られてきたメッセージを開いた。


 長々と丁寧な挨拶と、自己紹介の後に続く内容は、最初に楽曲への賞賛だったが、本題はどうやら命のアバターについてだった。


 どうやら命のアバターに用いられているデザインが、七夢鳴海がかつて無名の頃に初めてデザインしたオリジナルキャラだという。


 その証拠と言わんばかりに、命の衣装に用いられている一部の模様が、七夢鳴海の過去デザインで一時期共通で用いられていたものだという画像も添付されていた。


「やっぱりマスターの音楽はすごいのです!まさかオレのこの姿をデザインした人にこんなに早くも届くなんて」


『呑気に喜んでいる場合か…これってつまり、デザインを盗用したあの動画を止めろって言いにきたんじゃないのか』


「いえ、そうではなさそうですよ?」


 いつの間にかウキウキ顔で出てきていた命に促されて、深琴はメッセージの続きを読んだ。


 てっきり途中まで読んで、あの動画を差し止めろと直談判しにきたのかと思ったが、続きを読んでみるとそうでもなさそうだった。


 そもそも現在の命のデザインは商業用のイラストでもないし、Smithの動画も収益化していない以上、命のアバターを動画で使うこと自体に問題はないらしい。


 それよりも向こうは命の存在にかなり関心を持っているようだった。どうしてかつての自分のデザインを用いているのか、これからも同じデザインで活動する予定はあるのか。


 最終的には、もし今後同じデザインで活動するなら、ぜひデザインのブラッシュアップをしたいという申し出によって締め括られていた。


「どうするのですか、マスター?」


 そう尋ねてくる割に、命の顔は分かりやすいくらいに期待に満ちていた。七夢鳴海は、命のアバターを破格なクオリティであると評価していたが、確かにここまで細かな感情表現ができるアバターは、Vtuberという文化が発祥し、その技術レベルが飛躍し続けている現代においても、高次元であることは確かだろう。


 相手は著名人で、ここで断ってもし余計な勘繰りを入れられでもしたら、今より面倒な事態になるかもしれない。


 そう思うと、深琴の選択肢としては一つしかなかった。

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