第2話:帝都霊術学園と三人の出会い
あれから、四年という歳月が流れた。
九歳の少年だったカイトは、十三歳になっていた。
前世の記憶という途方もない重荷を、その小さな身体と精神に馴染ませるには、十分すぎるほどの時間だった。
***
春。
帝都に舞う風は、まだどこか冬の名残を帯びて冷たいが、その肌触りは確実に柔らかさを増している。
陽光は白から淡い金色へと変わり、街の赤煉瓦を温かく照らし出していた。
今日は、帝都霊術学園の入学式だ。
***
満開の桜が、空を覆い尽くさんばかりに咲き誇っていた。
学園の正門から本校舎へと続く長い坂道は、見事な桜並木のトンネルとなっている。
風が吹くたびに、薄紅色の花びらが一斉に舞い上がり、まるで祝福の吹雪のように新入生たちの肩に降り注いだ。
真新しい、黒の詰襟に銀の刺繍が施された制服に身を包んだカイトは、その無数の花びらを浴びながら、一人、坂道をゆっくりと登っていた。
周囲には、同じ制服を着た少年少女たちが、期待と不安をない交ぜにした表情で、弾むような声を上げている。
「すごい! これが学園の桜並木か!」
「本校舎、見てみろよ。まるで城じゃないか」
彼らの視線の先には、丘の上に聳え立つ学園の本校舎があった。
重厚な石造りの洋館を基調としながらも、屋根には優美な曲線を描く黒瓦が葺かれ、窓には繊細な組子細工の意匠が凝らされている。
西洋の合理性と東洋の神秘性が、完璧な調和をもって融合した、まさしくこの世界の象徴のような建造物だ。
***
周囲の喧騒とは裏腹に、カイトの心は凪いでいた。
この四年間、彼は貪るように学んだ。
九歳の身体に宿る三十五歳の精神は、圧倒的な情報吸収能力を発揮した。
街の図書館に通い詰め、この世界の歴史、物理法則、そして魔法や陰陽道といった術の基礎理論を、片っ端から頭に叩き込んだ。
それは、前世で新しいプログラミング言語を習得する作業によく似ていた。
世界の理(ルール)を理解し、その構文を覚え、自分なりに応用してみる。
その繰り返しだった。
だが、独学には限界がある。
どうしても分からない、巨大なブラックボックスが二つあった。
一つは、人型兵器『ネクサス・ギア』の動力源にして心臓部である『オリジン・コア』。
もう一つは、七十年前にこの世界の文明を一変させたとされる、原因不明の『大厄災』。
この二つの謎は、まるで国家によって情報統制されているかのように、公の文献には一切の記述がなかった。
この学園ならば、その答えに近づけるかもしれない。
カイトにとって、今日という日は、新たな人生の門出というよりは、長年続けてきたデバッグ作業の、次のフェーズへ移行する節目に過ぎなかった。
***
荘厳な講堂での入学式は、退屈の極みだった。
学長の長い祝辞も、来賓の退屈な挨拶も、今のカイトにとっては意味のない儀礼(セレモニー)でしかない。
ただ一つ、彼の意識を引きつけたのは、新入生代表として壇上に上がった一人の少年だった。
「新入生代表、サエグサ・レン」
名前が呼ばれると、会場に軽いどよめきが起こった。
サエグサ家。
この国にその名を知らぬ者はいない。古くから帝に仕え、陰陽寮の中核を担ってきた、国内随一の名門陰陽師の一族。
壇上に立った少年、サエグサ・レンは、その名に恥じない完璧な存在に見えた。
寸分の隙もなく着こなした制服。
月光を思わせる、艶やかな銀色の髪。
そして、人形のように整った顔立ち。
だが、カイトが目を奪われたのは、その瞳だった。
蒼く、深い色合いを持つその瞳は、ただの優等生が持つ自信や希望とは明らかに異質な、何かを探し求めるような、鋭い光を宿していた。
彼の宣誓は、淀みなく、理路整然としていた。
しかし、その言葉の端々には、世界の理(ことわり)に対する深い洞察と、それを守護する者としての覚悟が滲み出ていた。
(こいつは、俺と同じだ)
カイトは直感した。
(ただ、見ている方向が違うだけだ)
俺が世界のソースコードを「解き明かしたい」と願うハッカーなら、彼はそれを「守りたい」と願う守護者(ガーディアン)なのだろう。
***
入学式が終わり、新入生たちがそれぞれの教室へと向かう。
ざわめきと活気に満ちた廊下を、カイトは人波を縫うように進んでいた。
その時だった。
「きゃっ!」
短い悲鳴と共に、目の前を歩いていた女子生徒が、何もない平坦な廊下で派手にすっ転んだ。
まるで、見えない落とし穴にでもハマったかのような、不自然な転び方だった。
鞄が宙を舞い、教科書や真新しい文房具が、派手な音を立てて床に散らばる。
「い、いったぁ……」
女子生徒が涙目で顔を上げる。
亜麻色の髪を二つに結んだ、快活そうな少女だ。
「大丈夫か?」
カイトはため息を一つ噛み殺し、手を差し伸べた。
見て見ぬふりをするには、あまりにも派手な転倒だったからだ。
「あ、ありがとうございます! すみません!」
彼女はカイトの手を借りて立ち上がると、慌ててスカートの埃を払った。
そして、太陽のような、屈託のない笑顔を向けてくる。
「アサヒナ・ヒマリです! 助かりました!」
アサヒナ家。
古くから続く式神使いの名家だ。サエグサ家と並ぶ、この国の特権階級の一つ。
「……ナグモ・カイトだ」
カイトは短く名乗った。
ナグモ。
どこにでもある、ありふれた平民の苗字だ。
だが、ヒマリは家柄など気にする素振りも見せず、ニカッと笑った。
「カイト君ね! よろしく! 私、昔からそそっかしくて、よく何もないところで転んじゃうの」
「……そうか」
カイトは散らばった教科書を拾い集めながら、密かに違和感を抱いていた。
(そそっかしい、で済むレベルか?)
歩行という動作は、脳からの指令と、筋肉の反応、そして三半規管によるバランス制御が複雑に連携したシステムだ。
今の彼女の転倒は、まるでエンジン出力が強すぎてタイヤが空転したかのような、奇妙な不自然さがあった。
身体能力(ハードウェア)に対して、何かしらのエネルギー(入力)が過剰供給されているバグのような動き。
カイトが最後の一冊、『式神使役論』の教科書を手渡すと、ヒマリは再び深々と頭を下げた。
「本当にありがとう! またね、カイト君!」
彼女は嵐のように去っていった。
だが、その背中を見送るカイトの脳裏には、彼女が一瞬だけ見せた、春の薄氷のような冷たい表情が焼き付いていた。
転んだ直後、ほんの一瞬だけ浮かんだ、自分の身体を疎むような、諦めに似た瞳。
その違和感(バグ)は、すぐに明るい笑顔で上書き(パッチ)されてしまったが、カイトの記憶には、小さな警告(ワーニング)として残った。
***
自分のクラス、『一年三組』の教室にたどり着くと、すでにほとんどの生徒が席に着いていた。
カイトは、窓際の、後ろから二番目という絶好のポジションに割り当てられた自分の席を見つけ、静かに腰を下ろした。
隣の席の生徒は、まだ来ていないようだ。
教科書を鞄から取り出し、ぱらぱらと捲っていると、不意に隣の椅子がガタリと音を立てて引かれた。
「……」
現れたのは、一人の女子生徒だった。
腰まで届きそうな、艶やかな黒髪。気だるげな表情で、制服も少し着崩している。
彼女はカイトを一瞥すると、何の興味もなさそうに、どさりと椅子に座り、机に突っ伏してしまった。
(変わった奴もいたもんだ)
カイトがそう思いながら再び教科書に視線を戻した時、机の上に置かれた彼女の手に、ふと目が留まった。
その指が、まるで猫じゃらしで遊ぶ猫のように、小さな金属製の歯車を一つ、カチカチと弄んでいる。
その動きには一切の無駄がなく、彼女がその小さな部品の構造と機能を完全に理解していることを示していた。
(……ベベルギアか。それも、かなり精密な)
前世のプラモデル好きの血が、ふと疼いた。
「面白い歯車だな。遊星歯車機構(プラネタリーギア)にでも使うのか?」
独り言のつもりだった。
だが、その単語は、眠れる機械龍の逆鱗に触れてしまったらしい。
机に突っ伏していた少女が、ガバッと顔を上げた。
それまで眠たげに閉じていた瞳がカッと見開かれ、驚くほど強い光を放ってカイトを射抜いた。
「……あんた、今、なんて言った?」
「え? いや、だから、遊星歯車機構……」
「知ってるの!? なんであんたみたいな一般人が、差動回転の基礎構造を知ってるわけ!?」
さっきまでの気だるげな態度はどこへやら。
彼女は身を乗り出し、食い入るような勢いでカイトに詰め寄ってきた。
その剣幕に、カイトは少しだけたじろぐ。
「い、いや、まあ、趣味で……。それより、そのベベルギア、傘歯の角度が少し変わってるな。普通の直交軸じゃなくて、非直交軸用か? もしかして、ネクサス・ギアの関節サーボの部品だったりするのか?」
カイトが前世の知識を元にそう口走った瞬間、彼女の目の色が、さらに変わった。
尊敬、驚愕、そして歓喜。様々な感情が入り混じった、複雑な光。
「……あんた、名前は?」
「ナグモ・カイトだ」
「私はアマノ・ミコト。覚えておきなさい、ナグモ。あんた、面白いじゃない。少しは、退屈しないですみそう」
アマノ・ミコト。
帝都でその名を知らない者はいない。国内最高の技術力を誇る魔導具工房、『アマノ工房』の跡継ぎ。
無類の機械オタクで、学園のシミュレーターでは常にトップの成績を収めているという噂の。
ミコトはそう言うと、再び机に突っ伏した。
だが、今度は眠っているわけではないらしい。時折、ちらりとカイトの方を見ては、にやりと口の端を吊り上げている。
カイトが何気なく彼女の教科書に目をやると、『機動兵器操縦理論』の分厚い専門書の、心臓部について書かれたページに、赤いペンで無数の書き込みがなされていた。
『なぜ、コアは分解不可能なのか?』
『アストラル・エンジンとオリジン・コアの構造的差異は?』
それは、学問的な探求というよりも、獲物を追い詰める狩人のような、執念に満ちたメモだった。
***
最初の授業が始まる直前、教室の扉が静かに開き、最後の生徒が入ってきた。
銀色の髪。
サエグサ・レンだった。
彼は、クラスの中心に空けられていた席――委員長の席だろうか――に静かに座ると、周囲の生徒たちから矢継ぎ早に浴びせられる質問に、一つ一つ丁寧に、そして理路整然と答えていた。
カイトは、その完璧な優等生の姿を横目に眺めながら、先ほど教科書で見つけた、ある矛盾点について思考を巡らせていた。
『基礎霊子物理学』の教科書には、「霊子は、観測者の意志に感応する性質を持つ」と書かれている。
だが、一方で『術式構築概論』では、「術式は、誰が使っても同じ結果を再現できる、普遍的な法則である」と定義されている。
(矛盾してるじゃないか。観測者によって結果が変わるなら、普遍的とは言えない。もし普遍的なら、観測者の意志は介在しないはずだ。この二つの定義を両立させているものが、何かあるはずだ……。それは、もしかして……)
「……世界の理そのものに、何らかの『補正機能』でも実装されてるってことか?」
聞こえないはずの、小さな呟きだった。
だが、その言葉は、教室の喧騒を突き抜け、的確に一人の男の耳に届いていた。
サエグサ・レンが、ゆっくりとこちらを振り向いた。
彼の蒼い瞳が、初めてカイトという存在を正確に捉え、その奥に驚きと、そして強い興味の色を浮かべた。
「君、面白いことを言うね」
レンは席を立ち、まっすぐにカイトの元へと歩いてきた。
彼の周りにいた生徒たちが、モーゼの前の海のように道を開ける。
「名前を聞いてもいいかな?」
「ナグモ・カイトだ」
「僕はサエグサ・レン。よろしく、ナグモ君。君が今言った『補正機能』について、もう少し詳しく聞かせてもらえないか? 君の言う通り、霊子物理学と術式構築学の間には、一見すると大きなパラドックスが存在する。多くの生徒は、それを疑問にすら思わない。君は、その答えを知っているのか?」
その問いは、純粋な知的好奇心から来るものだった。
だが、その奥には、彼の背負う宿命の重さが滲み出ていた。
彼は、この世界の理が、完全無欠なものではなく、どこかに綻びや矛盾を抱えていることを、本能的に、あるいは一族の知識として知っているのだ。
カイトは、目の前の銀髪の美青年を見据え、静かに答えた。
「さあな。ただの仮説だ。この世界という巨大なプログラムが、バグを起こさずに安定稼働しているんだから、どこかにエラーハンドリングや例外処理の仕組みがあるはずだと、そう思っただけだ」
「プログラム……エラーハンドリング……」
レンは、カイトが使った奇妙な言葉を口の中で繰り返し、そして、ふっと微笑んだ。
それは、新入生代表として見せた完璧な微笑みではなく、同質の魂を持つ好敵手を見つけたかのような、楽しげな笑みだった。
「なるほど。君は、世界をそういう風に見ているのか。……ますます、君に興味が湧いてきたよ」
その時、始業のベルが鳴り響いた。
レンは「また、話そう」と言い残し、自分の席へと戻っていった。
***
一日の授業が終わり、夕暮れの光が教室に差し込んでいる。
カイトは窓際の席で頬杖をつき、今日出会った三人の顔を思い浮かべていた。
太陽のような笑顔の裏に、自身の身体すら制御できない危うさを隠す式神使い、アサヒナ・ヒマリ。
無愛想な機械オタクの仮面の下に、世界の核心に迫ろうとする執念を燃やす天才技師、アマノ・ミコト。
そして、この世界の理をその双肩に背負い、完璧さの奥に焦燥を滲ませる陰陽師の嫡男、サエグサ・レン。
名家という檻の中で生きる彼らと、その外側にいる「ナグモ・カイト」。
あまりにも個性的で、それぞれが全く異なる方向に突き進んでいるはずの四人。
まるで、複雑な数式を解くために集められた、性質の違う変数(パラメータ)のようだ。
この出会いは、偶然なのか。
それとも、何者かの書いた脚本(シナリオ)なのか。
あるいは、無数の因果の糸が絡み合った結果、必然的にここにたどり着いた、一つの特異点(シンギュラリティ)なのか。
答えは、まだ分からない。
「……退屈しないですみそうだ、か」
隣の席で聞いたミコトの言葉を、カイトは静かに反芻した。
ああ、全くだ。
九年間、どこか他人事のように眺めていたこの世界が、急に色鮮やかに、そして予測不能なものに見え始めていた。
カイトは、前世では一度も感じたことのなかった、胸の高鳴りのようなものを感じながら、静かに口の端を吊り上げた。
彼らの出会いが、やがてこの世界の根幹を揺るがす壮大な物語の、ほんの始まりの一ページに過ぎないことを、今はまだ、誰も知らなかった。
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