第10話 秋の約束

 風ノ丘の頂上で、悠はしばらく立ち尽くしていた。

 灯篭の光は、柔らかく揺れながら、十年前の秋の景色を思い出させる。紅葉の葉が風に舞い、遠くの町を包む陽の光は、まるで紗月の微笑みのようだった。


——紗月、ここにいるんだ。

形はなくても、確かにいる。


 悠は深く息を吸い込み、マフラーを胸に抱き直す。風の中で、糸の陰影が“S”と“Y”を優しく浮かび上がらせる。十年前に気づけなかった文字が、今になって胸に響いた。


 そのとき、背後から小さな声が聞こえた。

「悠?」


 振り返ると、圭介が立っていた。

「やっぱり来たか」

少し笑いながら言う。圭介の目にも、光が差しているように見えた。


「……圭介、紗月の灯り、見えたよ」

悠は頷く。

「これが、あいつが残したものか」

圭介も静かに頷いた。

「そうだ。形じゃなくても、あいつの想いは確かにここにある」


 二人はしばらく、丘の上から町を見下ろしていた。

 風に乗って、紅葉の葉が舞い落ちる。

音もなく、しかし確かに季節の営みを告げる音があった。


 悠は灯篭の光に手を添え、心の中で約束した。

——紗月の想いを忘れない。

——そして、自分も生きることで、この灯りを守る。


「圭介、ありがとう」

悠が言うと、圭介は肩をすくめて笑った。

「いや、俺じゃない。あいつが残したものだ」


 その瞬間、陽が傾き、丘の上の風景が金色に染まった。

 光がマフラーを透かし、SとYが一段と輝く。

 悠は目を閉じ、風の音に耳を澄ませた。

——紗月の声が、風の中に溶けている。


 過去の悲しみは、もう痛みとしてではなく、胸の奥で温かく生きる想いに変わっていた。


「紗月……ありがとう」

小さく呟くと、風が頬を撫で、葉が揺れる。

丘の上の空は深く青く、遠くの町も静かに染まっていた。


 悠は深呼吸をして、灯篭をそっと祠に戻した。手を合わせ、静かに一礼する。

——これで、全ての想いが風に託されたのだ。


 帰り道、落ち葉の道を踏みしめながら、悠は微笑んだ。紅葉通り、喫茶〈灯〉、風鈴の音。すべてが、紗月との時間の続きだ。


 遠くの空に小さな雲が流れ、金色の陽が町を包む。

 悠はそっとマフラーを整え、歩き出した。

 風ノ丘を下りながら、心の中で誓う。


——来年も、再来年も、ずっと紗月を想い続ける。

——そして、想いを抱えて生きていく。


 風がやみ、陽が丘を照らす。

悠の背中には、十年前と同じ秋が、そして紗月の笑顔が、静かに寄り添っていた。

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