第34話
良いことを思いついた──と思った私が甘かったわ。
蝙蝠族の自治区に行く、と言い出した瞬間、三人は全力で嫌がった。
けれど私は“専用飛行機計画”を胸に秘めて、なんとか説得したの。
……で、後悔してる。
「お姉さん、ホントにこっちで合ってるのか?」
ライカちゃんは枝を払いながら文句を言い、
「まさか蝙蝠共が使ってる道がこんなとはな……」
オイレちゃんは鬱蒼とした草を切り裂き、
「獣王様! 地図が逆です! あ、あれ? でもそうするとこっちに崖がないと、
おかしいのに……」
と、私と一緒に地図を読むカーターくんは泣きそう。
山に谷に崖に密林。
どれもこれも“道”と名乗るのも図々しいレベル。
そうよ。
飛べるんだから、彼らが地上に道なんて作るわけがないのよね。
考えてみれば当然のこと。
……うん、やめておけばよかった。
「もう無理! 休憩よ、休憩!!」
私が限界の声をあげると、三人は揃って「またかよ……」みたいな顔をした。
何よ……その目は? 言いたいことがあるなら言いなさいよ。
返す刀で文字通り、ぶった斬るわよ。
こっちは頭脳労働の女なの!
肉体労働なんて似合わないの!
女の価値を何だと思ってるのかしら。
渋々ながらも、ライカちゃん達は腰を下ろせそうな場所を確保し、
本日、何度目かわからない休憩タイムが始まった。
はぁ……はぁ……水筒、水……
振っても、ちょびっとしか出てこないじゃない。
「ライカちゃん、水、もう無い」
「はあ!? さっき汲んだばっかだぞ!? お姉さん、飲みすぎなんだよ!」
「喉渇いたの!」
「ヴェロニカ様。私の分を……どうぞ」
「オイレ! おまっ……甘やかすなよ!!」
ふふ♪ さすがオイレちゃん。
水うま〜。
喉が生き返るわぁ。
しかし──お腹が空いた。
やばい、空腹で心が折れそう。
そのときだ。
鼻腔に、ふわりと“禁断の香り”が刺さった。
……これは……タマネギ?
香ばしい……ソースの匂い……
そして……肉の……ジュウゥゥゥ!!?
ステーキ!!!!
完全にステーキの匂いじゃない!!!
え? なんで? どこ?
ライカちゃん達は何故か気づいてない。
嗅覚最強の彼らが気づかず、私だけ分かる……?
でも、そんなことどうでもいい。
今はただひとつ確信している。
“あのステーキは一人分しかない”。
何故か知らないけど、絶対そう。
気づけば私はふらふらと香りの方向へ歩き出していた。
森の奥へ、ふらふら吸い寄せられて進むと──
突然、視界が開けた。
そこは本来なら鬱蒼と木々が生い茂っているはずの場所。
なのに、そこだけ円形にぽっかりと空間が出来ていて、
その中心に“切り株レストラン”が鎮座していた。
切り株の上には真っ白なクロス。
中央の燭台には火が揺れ、
ワインのボトルが冷静に立ち、
白いパンが籠に山盛り添えられている。
そして──
湯気を立ち上らせる分厚いステーキ。
……なにこれ?
森の中よ?
昨日まで湿気と泥と虫だらけの世界だったわよ?
なのに、目の前にあるのは……
まるで絵画から出てきたような、完璧なディナーセット。
「わぁ……」
気づいたら声が勝手に漏れていた。
見ているだけで分かる。
これは私のステーキ。
私のために用意されたステーキ。
私だけが食べていいステーキ。
どうして分かるのかは……知らない。
でも──
ただただ、美味しそうなのよ。
ガサッ──!!
木の葉が揺れた瞬間、景色がひっくり返った。
ついさっきまでロウソクが揺れ、肉汁の匂いが漂っていたはずのテーブルは、
ただの切り株に戻っている。
皿だったものは、ただの石ころ。
パン籠は、乾いた苔の塊。
ステーキは──木の皮の破片。
「な、なにこれ……!? ちょ、ちょっと!!」
理解するより早く、背中に強烈な衝撃。
私は地面に押し倒され、息が止まりかけた。
肩に乗った“何か”は軽い。
軽いのに、動けないほどの圧がある。
視線を上げると──
逆光の中、黒髪の影がこちらを覗き込んでいた。
少年。
細い身体。
しかし、腕がある部分に生えているのは……悪魔の羽。
両足の指先には鋭く曲がった爪。
大きな三角の耳。
蝙蝠族──。
「……なんだ。噂の“獣王様”って聞いたけどさ」
少年は唇の端を、してやったりと吊り上げた。
「こんな幻影に、あっさり釣られるとは思わなかったよ。
思ったより、大したことないね?」
嘲る声が、私の首筋に落ちた。
「お姉さん!!」
空気を裂くようなライカちゃんの声。
次の瞬間──横振り下ろされた斧の風圧が、
私を押さえつけていた蝙蝠の少年を弾き飛ばした。
少年は、軽やかに空へ跳ね上がる。
斧の一撃はかすりもしなかったようだ。
その動きは風に乗る黒い影……羽音だけが、やけに耳に残った。
「ヴェロニカ様!」
オイレちゃんがすぐさま短刀を構え、私の前に立つ。
梟の瞳が鋭く光り、完全に狩りの目だ。
「獣王様! 幻影系の魔法を受けた可能性があります!
すぐ治療しますから、安心してください!」
カーターくんが慌てて薬袋を開く。
……ええ、もう、その臭い薬は見ただけで涙が出てくるのだけど?
「てめぇ!!」
ライカちゃんが木々の上を見上げ、牙を剥く。
「蝙蝠!!
ウチらのお姉さんに何してんだコラァ!!」
木の頂点。
そこに少年は軽く腰を下ろしていた。
まるで休憩でもしてるかのように腕を組んで。
そして──愉快そうに笑った。
「いやいや、挨拶しただけだよ。
だって“獣王様”がオレらの里に来るのが見えたからさ。
歓迎しないと失礼でしょ? ……狼」
舌を転がすような声。
嘲るようなクスクスとした笑い声が、
木々の間に不気味なほど響き渡る。
頭の中がガンガンする。
幻影の余韻か、それとも怒りか。
けれど──
彼の“軽さ”だけは、はっきり感じ取れた。
私たちをまるで“遊び相手”のように扱う、その態度を。
「大丈夫ですか……獣王様?」
「ええ、なんとかね……ちょっと頭がグラグラするけど。ありがと、カーターくん」
私は額を押さえながらゆっくりと息を整えた。
視界はようやくまともに戻りつつある。
……幻惑系の魔法って、本当に性質が悪い。
そんな私の様子を見下ろすように──
あの蝙蝠が、木の先端から高らかに声を張った。
「はは! その程度でふらついてんの?
“獣王様”って名乗るならさ、
少しくらい自分で立ったらどうだい? 弱っちいねぇ?」
その軽薄さに、オイレちゃんの瞳が鋭く細まる。
「……貴様。ヴェロニカ様に無礼だぞ」
短刀を逆手に構え、静かに前へ出る。
獣を狩る梟の気迫が溢れ、空気がひりついた。
だが、少年は肩をすくめ、笑うだけ。
「いやいや、待てよ?
勝手に“国境侵犯”したのはそっちじゃん。
ここは蝙蝠族の里。
入国するなら事前に許可取るのが筋だろ〜?」
軽い声なのに、言ってることはしっかり“縄張りの宣言”。
軽い顔してるけど、こういう連中が一番厄介なのよね。
それに一人で来たということは、私達を一人でどうにかできるということかしら?
「……獣王様。指示を。戦闘しますか?」
カーターくんが杖を握りしめる。
小柄な身体なのに、緊張で背中がピンと張っている。
私は一つ息をつき、蝙蝠を見上げた。
「ねぇ、蝙蝠くん。
まずは名前を名乗ってもらえる?
お姉さんは礼儀を大事にするのよ」
ヒエンはニッと犬歯を見せ、暗い羽を揺らした。
「オレはヒエン。
蝙蝠族の里、“影渡りのヒエン”って呼ばれてる。
そういうあんたは? “獣王様”?」
妙に自信満々で、挑発的で、そして……なんだか楽しそう。
「ヴェロニカ。獣王ヴェロニカよ。よろしくね」
まぁ、この私を押し倒したのだから、それ相応の覚悟はできてるんでしょうね?
──続く。
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