第11話:必要なのは勇気

「ついにリーちゃん先輩と一緒に寝てしまいました。それも、ホテルで」

「誤解招くから絶対によそで言わないでね」


 昨晩は大変だった。

 浴場で「洗いっこしましょう」なんて言いながら背中を流してくるし、布団をちゃんと二人分敷いたのにこっちに入ってくるし。甘え方が先輩に対して、というよりもっと距離感が近いように思うのは気のせい?


 起きたあとは朝食や着替えといった諸々を済ませて、髪もばっちり二つ結びに。


「では、行きましょうか。隣さんの家に」

「うん」


 午前十時。道のりは舗装された道が続いていた。昨日は林に行っていたから、同じ村なのかとギャップを感じる。


 隣さんの家は、古い和風の豪邸といった印象。


 瓦葺かわらぶきの三角屋根で、周りを石塀が囲んでいる。

 城を住宅用に小さくしたような感じ。

 木製で正方形の表札には厳めしい「隣」の一文字が彫られている。


 そういえば、面識もないのに突然押しかける形になったけど、イドちゃんは横山さんやコツブくんのことを何て言って説明するつもりなんだろう。何か策があるのかな。


 細長い指がインターホンを押す。

 しばらくののち、女性のしゃがれた返事が聞こえて、イドちゃんは告げた。


「こんにちは。横山勝美さんとコツブくんのことについて聞きに来ました」


 ……ストレートすぎない?


 でも、そうだった。私を勧誘しに来たときも面識ないうえに突然だったじゃん。


 門前払いされるんじゃないかと心配になったけど、「今出るから」と返ってきてひとまずは安心した。


 隣さんは玄関からぬっと出てきた。

 白髪が短くぼさぼさで、目は落ちくぼんでいて目尻からしわが伸びている。顔にはほくろやしみが多い。

 上は紺のシャツ、下はグレーのロングパンツ。資料で見た姿とあまり変わりない。


 けど、何て言うんだろう、写真だと分からなかった表情の曇りというか、虚無感のようなものがある。


「誰の孫かしら。サンちゃんとコツブを知っているなんて」

「会ってきました。霊が視えますから。私は人の霊で、こっちの可愛い先輩が動物霊ではあるのですが」

 それ言っちゃうの?

「そうかい。上がって」

 いいの?

「その、私が言うのも変なんですけど、疑わないんですか。素性も知らないのに」

 聞くと、覇気のない声が返ってきた。

「命でも金でも家でも、欲しいなら渡すよ。もう、何もない余生を送っているだけだもの」


 霊を信じているってわけではなさそう。話し相手がほしかったって感じかな。

 ただ、何もないってことはないはず。

 だって、肩に乗っているから。


 ――オオクワガタの霊が。



 内装もレトロ。

 柱や梁は黒くて、リビングに行く間にもふすまをいくつか見た。

 古めかしく見えるけど、照明が新しいし、カビやしみがなくてきれいだから、多分リノベーションをしている。ホテルよりも豪華で、ちょっと落ち着かない。

 一人が住むにしては広いから、もともとは家族で住んでいたんだと思う。

 三人分の椅子があるってことは、お子さんもいたんだと思う。


「さて、昔話でも聞きに来たっていうのかしら」

「はい。特に横山さんとコツブくんについてお願いします」


 幽霊相手じゃないけど、話をするのはイドちゃん、情報をまとめてメモを取るのが私って形に自然となる。


「本当に昆虫相撲の話を聞きに来たのかい。今更どうしてかしらねえ」

 浄化のためって言っても、多分、信じてくれない。


「この村ではねえ、流行っていたのよ、昆虫相撲。それも、男女関係なく。クヌギ林に行って、どれだけ強くて大きな虫を捕まえられるかって競っていたわね」

「隣さんもってことですよね」


 しわだらけの顔に、苦々しい表情が浮かんだ。


「いいえ。私は虫取りが苦手だったから、親にお店で買ってもらうことにしたのよ。オオクワガタを、ね」


 そう言った口から、ため息が漏れた。


「みんなと交ざれると思ったのよ。けれど、逆にひんしゅくを買う形になってねえ。金に任せて強い虫を使うずるい奴って。それで、ついたあだ名が『成金王女』。相手にしてくれる人はすぐにいなくなったわ。一人を除いて、だけど」

「それが、横山さんだということですね」

「ええ」


 微笑みで、かすかにほうれい線が深まった。


「サンちゃんは気が強くて、頑固な子だった。喧嘩もしょっちゅうしたけれど、私が中学生に上がると同時に引っ越すまで、ずっと昆虫相撲に付き合ってくれたのよ。あいつと遊ぶとがうつるぞ、なんて言われていたのに。しかも、ずっとコツブくんにこだわって、負け続けても、何度も、何度も。勝つまでやるからって約束されたけど、結局、はたせないままになってしまったわね……」


 小さな目は、どこか遠くを見つめていて、やがて笑みが消えた。


「それからは、順調すぎる人生だった。受験で困ったことはなかったし、仕事も円滑に昇進して、結婚もしたし、子どもも授かって、家まで建てた。でも、定年退職して、子どもが村を出て、夫を看取ると、もう何も残っていないことに気付いたの。今していることといえば、もしもサンちゃんと遊んでいたころに戻れるのなら、なんて考えるくらいかしら」


 そうか、これだったんだ、顔に浮かんでいる虚無感の正体は。回想するしかなくなった人生に対する虚しさだったんだ。


 だったら。


 メモを取っていた手が止まって、自然と声に出ていた。


「もし、もしもなんですけど、横山さんとコツブくんが切り株にいるって言ったら、信じますか?」


 多分、これは私の精一杯だと思う。霊がいるなんて、他の人には理解されないってずっと思ってきたんだから。


 でも、いい答えが返ってくるかもって、考えちゃいけなかった。


「信じたところで、どうしようもないわよ。私には視えないんだもの。それに、私にとっては大きな失敗をしたトラウマの場所でもあるのよ。第一、何をしに行けばいいっていうの?」


 言葉に詰まる。


 浄化したいっていうのは、こっち側のわがままだ。隣さんにとっては、ただトラウマの場所に行くだけでしかない。

 視えなくて、信じていなくて、何をしに行けばいい。まったくそのとおりだと思う。


 でも、たとえエゴだとしても、できるのなら、隣さんも、えっと、えっと……。


「リーちゃん先輩」


 そっと、手をつながれた。

 大きくて、すべすべで、温かい手に。


 声のほうを向くと、切れ長の目と目が合った。信じていますって、きれいな瞳が言っている。


 ……そうだよ。二人いるんだもん。私の精一杯を、超えなきゃ。


「もう一つ付け加えます。大事にしていたっていうヨコヅナくんが、隣さんの肩に留まっているとしたら、切り株へ来てくれますか?」

「ヨコヅナが?」

「はい。霊は思い入れや未練で残るんです。もしかしたら、ヨコヅナくんも望んでいるのかもしれません。コツブくんが自身に勝ってくれる日が来ることを。約束がはたされる日が来ることを」


 想定外だとは思う。

 霊になったあとも相棒がずっと肩にいたなんてこと。

 イドちゃんまでびっくりした顔をしている。

 視えているのは自分だけだってことをときどき忘れてしまう。

 つい最近までは、常に意識して隠していたっていうのに。


「……少し、考える時間をくれないかしら」


 すでに、窓からの光より照明のほうが明るくなっていた。私たちもそろそろホテルに戻らないといけない。


「分かりました。また明日、午前九時ごろに来ます。信じてもらえなくても構いません。でも、切り株には来てほしいんです」

「どうして、そこまでするのかしら。知人でもないのに」


 どうして。理由は一つだけ。


 口にすると恥ずかしいことだとは思う。けど、恥じらいなんてもので隠したくない気持ちでもある。

 だから、勇気が欲しくて、――イドちゃんの手をぎゅっと握った。


「救える存在になりたいんです。霊も、人も」

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