第3話
「マスター、注文いいですか?」
ソファに腰かけた黒いスーツの男性が手を挙げた。傍らには大きなスーツケースを携えている。
「はい、ご注文をお伺いいたします」
「ブレンドコーヒーとフォカッチャをひとつ。あと、この“玉葱パフェ”って美味しいの?」
「それはですね――熱狂的なファンがいるんですよ。お客様は出張で北見に来られたんですか?」
「そうなんですよ。東京から商談で北見へ来ました。聞いていた通り、日本とは思えないくらい寒いんですね。気温がマイナス13度になっていて、びっくりしましたよ」
「はははっ。出張で来られた方は皆さんびっくりされますね。玉葱パフェは一度試してみてもいいかもしれませんよ。東京に帰ったときの話のネタになりますから」
「うーん……いや、玉葱パフェはまたの機会にするよ」
「はははっ、ですよね。ブレンドコーヒーとフォカッチャをお持ちいたします。ごゆっくりどうぞ」
マスターはカウンターへと戻っていった。
男性は目を閉じ、一息つく。珈琲の香りが店内にゆるやかに漂い、BGMのジャズが静かに空気を満たしていた。
ふと横を見ると、ソファに座って本を読んでいるバーテン服の男性と目が合った。
「どうも。私、すぐそこでダーツバーを営んでいる“コン”と申します」
コンはそう言うと、男性に向かって名刺を差し出した。
「これはこれは、ご丁寧にどうもありがとうございます。私、東京から出張で来ています。鈴木と申します。いやー、北見にこんな落ち着く喫茶店があるなんて知りませんでしたよ。羽田空港で知り合った男性に教えてもらいましてね。それがまた面白い人だったんですよ」
「ほう、それはどんな方だったんですか?」
「いやー、それが“これからシリコンバレーに出稼ぎに行く”って言ってましてね。何でも“北見の焼肉を伝道しに行く”とか言っていましたよ」
「ふっ、それは面白い人ですね。まぁ北見は焼肉の町と言われていて、“焼肉の伝道師”――ヤキニキストがいる町ですから」
「はははっ、ヤキニキスト? 何ですかそれは? いやー、面白い町ですね。この町のファンになりましたよ」
「この町を気に入っていただけたなら良かったです」
コンと鈴木が楽しく話していると、ブレンドコーヒーとフォカッチャが運ばれてきた。
「ブレンドコーヒーとフォカッチャでございます。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう。わぁ、おいしそうな珈琲とフォカッチャだ。いただきます」
そう言って鈴木はフォカッチャを一口食べた。
サクッ、もぐもぐ。
「外はサクサクで中はもちもちだ。この店のフォカッチャ、美味しいですね」
「このお店のフォカッチャはマスターの手作りなんですよ。小麦粉は北海道産“春よ恋”を使っていて、他の小麦粉より独特のもちもち食感が出せるんです」
コンは頷きながら言った。
「へぇ、すごいなぁ。確かに独特のもちもち感ですね」
鈴木は感心しながら珈琲を口に運んだ。
焙煎の香りがふわりと広がり、それと同時に、体の芯に温もりが染み渡っていく。
「うん、珈琲もうまい。北見の寒い冬には体に沁みますね」
「マスターがこだわっていて、珈琲豆はオリジナルブレンドみたいですよ」
鈴木は満足そうに頷きながら思った。
――出張で北見に来ることがあったら、またこの店に来よう。
そういえば、とポケットから名刺を取り出す。
「オホーツクノ夜珈琲 マスター 滝本茜」
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