第2話:風船ガム・トリック

SF研究会、通称SF研。

その部室の扉を開けた瞬間、おれの鼻をハンダの焼ける匂いと、消費期限の切れたカップ麺の酸っぱい匂いが同時に襲った。うっ、目にしみる。


「会長! お待ちしておりました!」


白衣を着たメガネの男――SF研部長が、部屋の奥から駆け寄ってくる。その後ろには、山と積まれたジャンクパーツと、壁一面に書き込まれた意味不明な数式。なんだここ、マッドサイエンティストの秘密基地か何かか。


「状況は聞いている! 早速だが、コードネーム『ラグナロク』の迎撃プランについて、君たちの見解を聞きたい!」

美咲先輩が凛とした声で言うと、部長は待ってましたとばかりに胸を張った。

「はい! 我々の計算によれば、校舎を人型に変形させ、直径50mの超合金ドリルで隕石を真正面から粉砕するのが、最も効率的かつロマンに溢れた迎撃プランかと!」

部長が自信満々に差し出した設計図には、どう見ても昭和のスーパーロボットにしか見えない「決戦兵器・愛校号」が描かれていた。


……駄目だこいつら、話が通じねえ!

ていうか、その設計図、来月の文化祭の出し物のだろ! 13時間で校舎が変形してたまるか!


「却下だ。現実的な案を出せ」

美咲先輩の冷静な一言に、部長は「そ、そんな…我が青春の結晶が…」と肩を落とす。その後も、他の部員たちから景気のいい(そして確実に学園ごと吹き飛ぶ)プランが次々と飛び出した。


おれの胃が、本格的に自主的なワープアウトを開始しようとしている。

もう嫌だ。こいつらのSF的妄想に付き合っている暇はない。おれはただ、この面倒な8月31日をさっさと終わらせて、平穏な二学期を迎えたいだけなのだ。

そのためには、アレしかない。


おれは、この壮大なSF会議の空気を完全に無視して、手を挙げた。


「あのー、すいません」

全員の視線がおれに集まる。

「そんな物騒なことより、学園祭の準備しません? ほら、中庭に飾る予定の、あの巨大アドバルーン。予行演習で今日のうちに上げちゃいません?」


我ながら、何を言っているんだとは思う。だが、これしか無いのだ。

直前のループで、おれは見た。美咲先輩が、解析しきれない断片的な隕石データを、藁にもすがる思いでSF研に渡すのを。そして、その不完全なデータから、連中が見当違いの結論を導き出すのを。

「隕石は特殊な静電気を帯びる! ならば、巨大な絶縁体(ゴム風船)で反発させられるはずだ!」

もちろん、そんな理論はデタラメだった。だが、連中は真剣だった。大真面目に、必死に、あの巨大アドバルーンを打ち上げたんだ。

そして、おれは見た。その「間違った作戦」が、なぜか正しい結果――隕石の軌道偏向――を引き起こす、システムのバグを。

システムの開発者が意図しない、偶然の産物。まさしく「バグ技」。成功する保証なんてどこにもないが、確実に失敗する未来よりは、万倍マシだ!


瞬間、部室がしんと静まり返った。

SF研の連中が「こいつ、地球の危機に何を言ってるんだ?」という顔でおれを見ている。そりゃそうだ。どう考えても場違いな提案だ。だが、おれは知っている。衝突3時間前に、あの巨大アドバルーンをグラウンドのど真ん中で打ち上げると、なぜか隕石の軌道がほんの少しだけ逸れて、学園への直撃を回避できる可能性があるのだ。


「……なるほど」


沈黙を破ったのは、美咲先輩だった。

彼女は何かを閃いたように、ポン、と手を打った。その瞳には、先ほどまでの氷のような冷たさではなく、ある種の尊敬の念すら浮かんでいるように見えた。


え?


「…そういうことか。欺瞞工作、いや、陽動作戦か」

「…はい?」

おれが間抜けな声で聞き返すと、美咲先輩はSF研の連中に向かって、高らかに宣言した。

「諸君、ハルカの作戦を聞いたか! 我々が対空レールガンや決戦兵器の準備に固執していると敵に誤認させ、その裏で本命の作戦を遂行する! 敵――すなわち、隕石の背後にいるかもしれない知的生命体の観測の目を欺くための、高度な心理戦だ!」


……え、何その話。知的生命体って何。

おれの頭上に、巨大なクエスチョンマークがいくつも浮かぶ。


「アドバルーンによる微細な大気擾乱を利用して、隕石の軌道をミリ単位で偏向させる…。なんとエレガントな作戦だ。ハルカ、君はそこまで読んでいたのか!」

「い、いや、おれは別に…」


読んでない! 全然読んでないです! おれはただ、楽してループを抜けたいだけなのだわ!

おれの心の叫びは、しかし、興奮する美咲先輩とSF研の熱狂には届かなかった。

「おお! さすがはハルカ!」「我々の発想が物理法則に囚われすぎていたとは!」「アドバルーン! なんと盲点!」


勝手に話がどんどん進んでいく。

そして、美咲先輩はおれの肩にポンと手を置き、絶対的な信頼を込めた瞳で、こう言い放った。


「作戦名は『コードネーム:風船ガム・トリック』としよう。そして、この作戦の現場責任者は、発案者である君に任せる。いいな、ハルカ」


いいわけがあるか。

しかし、もはや「はい」か「イエス」か「御意」以外の選択肢は、この場の空気には存在しなかった。


――終わった。

楽して生きるはずだったおれの人生、ここで終了のお知らせだ。

そう思っていた時期が、おれにもありました、なんて数時間後には笑えないだろうな、たぶん。

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