俺だけが知っている、明日の来ない夏休みについて

チャプタ

第1話:N度目の絶望と、やる気のない救世主

ピピピピ、ピピピピ……。

無機質な電子音が、おれの意識を浅い眠りの底から引きずり出す。うるさい。マジでうるさい。手探りでスマホを掴み、アラームを止める。そして、おれはゆっくりと目を開けた。

見慣れた、知らない天井。


「…また、この天井か」


俺が最後に見た、あの東京の空とは、似ても似つかない。どこまでも均一で、雲の形さえプログラムされたような、作り物みたいな青だ。


【 8月31日 】


スマホの日付が、無慈悲に現実を告げる。

これで何回目だ? 最初の頃は、そりゃあ必死だったさ。元の世界に帰ろうと、あらゆることを試した。だが、この箱庭の物理法則は完璧で、おれという異物を決して外には出さなかった。

だから、もう何も考えない。ただ、この一日が終わるのを待つだけだ。


「ま、そんなわけで、おれの夏休みは今日も明日も永遠に最終日です――いい加減、本物の空が見たいもんだぜ」


ベッドから這い出し、制服の胸元に縫い付けられた名札を一瞥する。

【 ハルカ 】

それが、この世界でのおれの“名前”らしい。

俺には、確か、ちゃんとした苗字があったはずだ。家族も、友達もいた。だが、ループを繰り返すうちに、その記憶はノイズの混じったデータのように、少しずつ、少しずつ、すり減って、掠れて、もう思い出せなくなりそうだ。


おれは机に積まれた手つかずの宿題の山を掴むと、ためらいなくビリビリに引き裂き、ゴミ箱へとダンクシュートした。AIエージェントたちのための課題なんて、人間様がやってられるか、なのだわ。


「さて、と。今日も世界を救う気は一切ないけど、とりあえず学校には行きますか」


制服に着替えながら、おれは深く、深ーいため息をついた。


校門をくぐった瞬間、鬼の形相をした風紀委員の先輩(AI)に腕を捕まれた。

「ハルカ! 探したぞ! 緊急生徒会会議だ、すぐに来い!」

「え、おれ、生徒会では平の書記なんですけど…」

「いいから来い!」

抵抗も虚しく、おれは宇宙戦艦のブリッジみたいな生徒会室へと強制連行された。この完璧な予定調和、マジでうんざりする。

部屋の中央では、巨大な立体ホログラムが学園の精巧なジオラマを映し出し、その右上からは禍々しい赤い光点――つまり、隕石――がゆっくりと迫ってきている。その光景を、生徒会長の氷上美咲が腕を組んで睨みつけていた。この学園で唯一、ただのAIエージェントではない、特別な存在。


「単刀直入に言う」


凛とした声が、室内の緊張感をさらに高める。


「13時間後、コードネーム『ラグナロク』が本校舎に直撃する。我々の夏休みは、今日で終わりだ」


……ああ、知ってる。お前たちの夏休みはな。俺の夏休みは、あの日、東京で終わったんだよ。

おれの内心のツッコミなど知るよしもなく、役員たちが次々と声を上げる。


「対空レールガン『天穿(あまうがち)』の稼働準備を急がせろ!」

「地下シェルターへの全校生徒の避難誘導プランは!?」


ああ、始まった。いつもの不毛なスクリプトだ。こいつらは、プログラムされた思考の中で、毎回同じ結論に至り、同じように失敗する。


「ハルカ!」


不意に、美咲先輩の鋭い声がおれを貫いた。


「君も生徒会の一員だろう、何か意見はないのか!」


全員の視線がおれに突き刺さる。数えきれないほどのループで、おれはこの議論の結末を嫌というほど知っている。レールガンはエネルギー不足で発射直前に学園全域を停電させ、地下シェルターは備蓄が足りず、最終的にパニックが起きて終わる。全部、無駄なのだ。


「はぁ……」

おれは、思わず心の底から漏れたため息を隠さなかった。

「どうせ無理ですよ、そんなの。レールガンは停電するし、シェルターは食料が一日分しかないから暴動が起きます。…あ」


しまった。

人間としての、予測不能な感情が口から漏れた。

瞬間、部屋の気温が五度くらい下がった気がする。役員たちが「error: understanding」とでも言いたげに固まる中、美咲先輩だけが、氷のような瞳でおれを真っ直ぐに見据えていた。


「……ハルカ。なぜ君が、それを知っている?」


その声には、単なる疑念ではない。AIが、未知のバグを発見した時のような、冷たい分析の色が混じっている。


「まるで、何度もこの日を体験したかのような口ぶりだな…」


ギクッ!

やばいやばいやばい! この女、ただの現場監督AIじゃない! おれの存在の「異質さ」に、気づきかけてやがる!


「い、痛たたたっ! す、すいません、急に腹が…! 人間なんで、ストレスに弱いんですよ!」

おれは渾身の演技で腹を押さえ、そそくさと部屋から脱出しようとした。しかし、ドアノブに手をかける寸前、おれの腕は細いながらも鋼のように強い力で、ぐいっと掴まれた。


「待て、ハルカ」

振り返ると、そこには絶対零度の表情を浮かべた美咲先輩が立っていた。

「君には、SF研究会まで来てもらう。その『人間特有のエラー』の根拠、詳しく聞かせてもらおうか」


……終わった。

おれの平穏なループ生活、ここでゲームオーバーのお知らせだ。


おれの胃が、本物の人間だからこそ感じる、生々しい痛みできりきりと悲鳴を上げ始めた。

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