その恋愛フラグ、折らせていただきます。~折れば折るほど、彼が“落ちる”音が聞こえる~
すまげんちゃんねる
第1話 その鉄の音は、始まりの合図
「物語の主役は、いつだって茨の道を歩む。ならば私は、安全な道端の石になる」
これが、私――彩葉一心(あやは いっしん)が高校生活に掲げた、唯一絶対のスローガンだ。
キラキラ輝く青春? 胸がときめくラブストーリー? そんなものは、人生という名のクソゲーに用意された高難易度コンテンツに過ぎない。主役(プレイヤー)になったが最後、面倒な人間関係のクエスト、友情崩壊のバッドエンド、そして色恋沙汰という名の即死トラップが待ち受けているのだ。
(もう二度とごめんだ…!)
脳裏に蘇るのは、中学時代の黒歴史。クラスの中心でちょっとイケてる男子と仲良くなった結果、女子グループの嫉妬という名の集中砲火を浴び、SNSという名の公開処刑場で焼き尽くされた、あの地獄の日々。友情も、淡い恋心も、全部ぐちゃぐちゃにされて残ったのは、「目立つ=死」という単純明快な生存戦略だけだった。
だから私は決めたのだ。誰の記憶にも残らない「モブ」になる、と。物語を彩る葉の一枚にすらならない。ただ、背景に溶け込む石ころになるのだ、と。
「さて、と」
新学期が始まって三日目。私は教室の窓際後方、すなわちモブの王道ポジション『Sランクシート』で、静かに文庫本に没入していた。完璧だ。この三日間、私がクラスメイトと交わした言葉は「はい」「いいえ」「プリント後ろです」の三種類のみ。消費MPゼロのエコな学園ライフ。最高じゃないか。
ピロン、とスマホが震える。表示されたのは、我が軍唯一の軍師殿からだった。
『鏡子:今年の目標は?』
『一心:【平均】。成績も体力測定も、全て5段階評価の3を死守。教師の記憶というサーバーにすら私のデータが残らない“絶対的モブ”を目指す』
『鏡子:その目標設定への執着が、既にお前のキャラクター性を確立している。もはやユニークキャラだ。諦めろ』
『一心:断る! 私は、ネームレスで退場する!』
観月鏡子(みづき きょうこ)。中学時代からの腐れ縁で、私の奇行を全て把握した上で面白がっているクールビューティーだ。彼女とのLINEは、この平穏なモブライフにおける唯一の娯楽と言えた。
その時、教室が不自然なほど静まり返った。何事かと顔を上げると、教壇の前で、一人の男子が自己紹介を始めていた。
「えーっと、九重透です。サッカー部やってます。中学から知り合いだった人も、高校から入ってきた人も、みんな仲良くしてください。一年間、よろしく!」
キラキラキラ……。
私の目には、彼の全身から金の粒子みたいなエフェクトが舞っているように見えた。少し茶色がかったサラサラの黒髪。日に焼けた健康的な肌。人懐っこく細められるヘーゼル色の瞳。身長は目算で179cm、サッカーで鍛えられたであろう引き締まった体躯。
(出たな、歩くメインヒーロー様……!)
脳内で警報が鳴り響く。【SSRメインヒーロー:九重 透】。危険度SSSランク。私のような日陰のモブが、その聖属性のオーラを浴びただけでHPが蒸発する。あれは人類の敵だ。いや、私の平穏な日常の敵だ。
クラスの女子たちが「きゃあ、透くんと同じクラス!」「神様ありがとう!」と色めき立っている。当然の反応だ。しかし私にとっては、核ミサイルが隣町に配備されたのと同義だった。
「はい、じゃあみんな、今から席替えをしまーす!」
担任の呑気な声が、私の思考を中断させる。
まずい。まずいまずいまずい。このタイミングでの席替えは、物語のお約束! 最悪のフラグがビンビンに立っている!
心臓が嫌な音を立てる。神よ、仏よ、このゲームの運営様よ! どうか、どうかあのラスボスから最も遠い席を…!
「じゃあ、彩葉さんからくじ引いてー」
「っ…!」
名指しされた。ちくしょう、ここで運命が決まるのか。
私は震える手でくじ引き箱に手を突っ込む。指先に触れる、数多の可能性(紙片)。頼む、頼む…!
引き当てた紙を恐る恐る開く。書かれていた番号は――『14番』。窓際の後ろから二番目。悪くない。悪くないぞ…!
「はい、次、九重くん!」
「うっす」
頼む! 頼むから『13番』と『15番』以外を引いてくれ! 祈る私を嘲笑うかのように、透はあっさりと一枚の紙を引き当てた。
「お、15番だ。よろしくな、14番と16番!」
………。
世界から、音が消えた。
私の脳内に【GAME OVER】のテロップが赤々と点滅する。終わった。私の平穏なモブライフは、新学期開始わずか三日で、その幕を閉じた。
席替え後。私の右隣には、爽やかな笑顔を振りまくラスボス――九重透が座っていた。
「よろしく、彩葉さん」
差し出された彼の手。大きくて、骨張っていて、いかにもスポーツマンという感じの手。
(接触=イベント発生! 回避、回避回避回避!)
私はその手を完全に無視し、深々と、しかし無言で一度だけ頭を下げた。透は差し出した手をどうすることもできず、苦笑しながら引っ込める。よし、まずはジャブを回避。
私はすかさず、机と机の間に教科書を数冊積み上げ、物理的な防壁――通称『条紋ウォール』を構築した。
「はは、すごい壁だな」
「……」
話しかけるな。オーラを出すな。息をするな。
しかし、神は私に試練を与え続ける。
「あ、やべ。論理国語の教科書忘れた。彩葉さん、見せてもらってもいいか?」
きた!【教科書見せて? イベント】! これで机をくっつけようものなら、甘酸っぱい青春の一ページが強制的に始まってしまう! 断固拒否だ!
しかし、無視すれば角が立つ。私は無言のまま、自分の教科書を掴むと、彼の机のど真ん中に、やや叩きつけるようにして置いた。ドサッ、という音が小さく響く。
「え? あ、ありがとう…。でも、彩葉さんの分は…?」
「私は昨日、三回読んだから内容は全部頭に入ってる」
早口でそう告げると、私は前を向いて授業に集中するフリをした。もちろん、全部覚えているわけがない。だけど、ここで教科書がない不便さより、彼とのフラグが立つリスクの方が遥かに大きいのだ。
授業の終わり際。透がノートを取るのに夢中になっていたせいか、彼の消しゴムが床に転がり、私の足元へやってきた。
【消しゴム拾ってあげますよイベント】! ダメだ、ここで屈んで拾って「はい」なんて渡したら、彼の指と私の指が触れ合って「あっ…」となる少女漫画の王道パターンに突入してしまう!
彼が「あ、ごめん」と腰を浮かすより早く、私は動いた。
足元に置いていた定規をさっと拾い上げ、床に落ちた消しゴムを狙う。角度、力加減、完璧に計算し――シュッ!
まるでビリヤードの達人のように、定規で弾かれた消しゴムは美しい放物線を描き、透の椅子の座面にコトンと着地した。
「……え?」
呆気にとられる透。私は涼しい顔で、何事もなかったかのように定規を筆箱にしまう。
その瞬間。
私の脳内にだけ、澄んだ金属音【キィンッ!】が響き渡った。
(…よし)
フラグを、完璧にへし折った成功音。
安堵した私の口元に、自分でも気づかないほどの微かな、本当に微かな笑みが浮かんだ。
それを見ていた透は、きょとんとした顔の後、なぜか少し楽しそうに、ふっと息を漏らして笑った。
「(困ってる人を助けられて、嬉しいんだな)…彩葉さんって、不思議な人だな」
彼の小さな呟きが、私の耳に届くことはなかった。
ただ、ポケットの中のスマホが震える。画面には、鏡子からのメッセージ。
『鏡子:お前のその奇行、全てが裏目に出ていることにいい加減気づけ。日向の中のお前の好感度、既にストップ高だぞ』
『一心:違う! これは戦争だ! 私の平穏を守るための、聖戦なんだ!』
私はスマホを握りしめ、内心で固く誓う。
どんな手を使っても、全てのフラグを叩き折り、私のモブライフを死守してみせる、と。
隣の席のラスボスが、私に興味深々な視線を向けていることにも気づかないまま――私の長くて孤独な戦いは、今、幕を開けたのだった。
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