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 ◇◇◇


『あんたなんか産まなきゃよかったわ!』


 今はもう思い出せなくなった母の顔。けれど、そう言われた日のことを、千歳は今も時々夢に見る。


 好きな男と結婚し千歳を産んだ母だったが、夫が浮気相手と一緒になると家を出て以来、人が変わったように千歳にひどく当たるようになったのだ。恐らく千歳の顔を思い出してしまうのだろう。自分を捨てた男の顔を──。


 ほどなくして母は、働きに出ると近所の人間に千歳を預けるように。しかし、次第に家に帰ってくる頻度が少なくなり、ついには帰ってこなくなった。


 母に捨てられからは、長らく近所の剣道場で面倒を見てもらっていた。そんなある日、剣の腕を買われて特務部隊へ入隊したことをきっかけに、以降はずっと一人で暮らしている。


「家族」というものにいい思い出がない自分が、「家庭」など築けるはずもない。結婚を避けていたのは、そういう理由もあった。


『あんたがいたから、私は幸せになれなかったのよ!』


 呪いのような母の言葉が、知らぬうちに体中を蝕んでいる。まるで幸せなど望むなよ、と脅されているような感覚は、いつまで経っても消えてはくれやしなかった。


「……また、あの夢か」


 窓の外から聞こえてくる鳥たちのさえずり。そんな清々しい朝とは裏腹に、千歳は鬱々とした気持ちで目を覚ました。


 ゆっくりと体を起こし片膝を立てると、長い髪に指を差し入れて乱暴に掻く。ここ最近は見ていなかった夢をまた見ることになったのは、自分が家庭を持ったからだろうか、とふとそんなことを思う。


「……やはり引き受けるべきではなかったか」


 今更そんなことを言っても仕方がないのは重々承知しているが、千歳にとって「家庭を持つこと」が重荷であることは確かだった。

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