第18話 風とリリア
I あの夜の夢
ミサキが、こっちを向いて笑っていた。
その笑顔は、どこか懐かしくて――でも、少しだけ遠かった。
「タクトくん、遊ぼ!」
くるりと背を向け、
彼女はゆっくりと暗闇の向こうへ走り出す。
「ミサポン……!」
追いかける。
「待てって! どこ行くんだよ!」
足音が響く。
けれど、踏み出すたびに世界が滲んでいく。
――気づくと、そこは夜のお世話室だった。
扉が少しだけ開いていて、
中から、柔らかい光が漏れている。
タクトは、息をのんだまま覗き込む。
中では、なにかが――光の中で静かに揺れていた。
それがなんなのかは、よく見えない。
けれど、あたたかくて、懐かしい匂いがした。
タクトの心が、引き寄せられていく。
その瞬間、光が一気に広がった。
眩しさに目を閉じる。
胸の奥が、強く締めつけられる。
――息ができない。
* * *
タクトは目を開けた。
汗ばんだ手が、胸の上で震えていた。
また、あの夜の夢だ。
(少し間)
「……シホも、きっと……」
⸻
II 朝の光
夢の続きが、まだ胸の奥でざわめいていた。
けれど、外はもう朝の光だった。
窓の外から、風の音と子どもたちの笑い声が聞こえる。
タクトはまぶしさに目を細めながら、
ゆっくりと布団を抜け出した。
足の裏に触れる床がひんやりして、
現実の感触が少しずつ戻ってくる。
その感覚が、どこか安心だった。
⸻
III 森の巨人と小鳥
朝の園庭。
ベア先生の肩に、リリアちゃんがちょこんと乗っていた。
ツインリボンが風に揺れて、
光を受けながら、ふわりふわりと踊る。
ベア先生は優しく歩いていた。
その姿はまるで――森の巨人に、小鳥が止まっているようだった。
「あらぁ、今日もリリアちゃんのリボン、元気ねぇ〜。
風さんとダンスパーティかしら?」
「えへへ、風さんがね、“もっと高く”って言うの!」
「まぁ〜! 風さんもお目が高いこと!」
(くすくす笑う)
「ベア先生、きょうからほんとの“おつきさま組”の先生?」
「そうよ〜。前の先生のクレア先生ね、おうちの用事で、もうここには来られなくなっちゃったの。」
「……いきなりだったね。」
「うん。びっくりしたよね。でもね、クレア先生、とってもやさしかったでしょう?
だから今もきっと、風の中で、みんなのこと見守ってるわ。」
(ベア先生は少しだけ空を見上げて微笑む)
「だから大丈夫。これからはベア先生が、リリアちゃんたちの“おつきさま組”を守っていくからね。」
「……うんっ!」
ふと、ベア先生が歩みを止めた。
「あら……あそこにいるの、タクトくんじゃない?」
「あっ、ほんとだ! タクトにいにだ!」
園庭の端、タクトがひとりで空を見上げていた。
風が吹いても動かない。
「ん〜……あの顔は、“ちょっと心が曇り空”ねぇ。」
「……なんか、元気なさそう。」
ベア先生はリリアちゃんを見上げて、にっこり微笑んだ。
「リリアちゃん、出番よ。
太陽みたいにキラキラ笑って――
アイドルみたいに、元気を届けてあげなさい♡」
「うんっ、まかせて!」
リリアちゃんがベア先生の肩からぴょんっと飛び降りる。
スカートがふわりと広がり、ツインリボンが光を散らした。
「そう、それでこそリリアちゃん!
笑顔は世界のごほうびよ〜♡」
「いってきまーす!」
風がやわらかく吹く。
ベア先生はその小さな背中を見送りながら、静かに呟いた。
「森の中の小鳥が、今日も光を運んでくれるわねぇ……。」
⸻
IV 光の舞
園庭の真ん中で、リリアちゃんがくるくる回っていた。
ツインリボンが光を受けて、太陽の下で小さく虹をつくっている。
「タクトにいに!」
「……おはよ、リリアちゃん。」
「なんか元気ない顔してるー。」
「別に。……ちょっと寝不足なだけ。」
リリアちゃんは一瞬だけ首をかしげ、
それから、何かを思いついたようにぱっと笑った。
「じゃあ、元気出るおどり、してあげるね!」
「えっ、いいよ、そんなの――」
「せーのっ!」
リリアちゃんが両手を広げて、くるり。
スカートの裾とツインリボンが同時にふわりと舞い上がる。
タクトの言葉は、その風の中に溶けて消えた。
風がやんで、園庭が静まり返った。
次の瞬間、ツインリボンがふわりと持ち上がる。
リリアちゃんは、まるで光に導かれるように、ゆっくりと一歩を踏み出した。
足元に影が揺れる。
それは彼女の影ではなく――
太陽の欠片が地面に描いた、柔らかな輪だった。
カサ……
スカートの裾が通りすぎるたび、空気が金の花びらみたいに舞った。
ツインリボンが風をとらえ、そのたびに光の粒がふわりと宙に浮かぶ。
それはもう「踊り」ではなかった。
言葉のない祈り。
この世界のやさしさを、そのまま体で奏でているみたいだった。
タクトの胸の奥で、何かがほどける音がした。
それは、夜の夢と朝の光が溶け合うような――静かな解放の音だった。
リリアちゃんの輪郭が、光の中でゆらめいた。
まるで――天使が舞い降りたみたいだった。
ツインリボンが陽を集め、背中に光の羽を描き出す。
リリアちゃんの瞳が、まっすぐタクトを見た。
その瞳の奥には、誰も知らない世界のやさしさがあった。
「……なんか、すげぇな……」
言葉が空気に溶けて、音にならずに広がった。
リリアちゃんはくるりと一回転して、指先で光をなぞるように止まった。
「ね、もう大丈夫でしょ?」
その声はまるで、空の上から降ってきたみたいに柔らかかった。
タクトは何も言えず、ただ小さくうなずいた。
風が吹く。
ツインリボンが最後にひときらめきして、陽光の中に溶けていった。
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V 夕方の園庭
一日が終わるころ、園庭はオレンジ色に染まっていた。
砂場の跡、ブランコの影、どれも長く伸びて、夕日の中で静かに眠っている。
タクトは、ひとりでその景色を見ていた。
風が通るたびに、どこかで小さな鈴の音がする気がした。
それは――リリアちゃんのツインリボンの音に似ていた。
昼間の光景が、ふとよみがえる。
光の中で舞っていたリリアちゃん。
あの無邪気な笑顔。
言葉じゃなく、踊りで伝えてくれたあたたかさ。
「ね、もう大丈夫でしょ?」
その声が耳の奥で響いて、タクトは小さく笑った。
「……ほんとに、大丈夫になったかもな。」
その言葉を言うと、胸の奥にまだ残っていた影が、夕焼けの色に溶けていった。
空を見上げると、雲の切れ間に光が一筋、差し込んでいた。
まるで――誰かがまだ、そこで踊っているみたいだった。
「リリアちゃん……ほんと、すげぇな。」
小さなつぶやきが風に流れる。
どこか遠くで笑い声が返ってきた気がした。
ツインリボンの光が、夕空の向こうで、一瞬だけ――きらりと輝いた。
その輝きは、まだタクトの心のどこかで、生きていた。
⸻
🕊 次回予告
第19話 光を描く少年と、光を奏でる少女
泣けなかった子。
奏でる子。
描く子。
三つの優しさが重なったとき、
小さな教室に“光”が生まれた。
⸻
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