第2話 チョロい女
放課後。
俺に恥辱を与えた愚か者らは、すでに家路に就いただろう。
追いかけて、息の根が止まるその瞬間まで後悔させてやりたいところだが——。
いまのカラダは軟弱な人間——
背丈は平均だが、細身の体躯で腕力に劣っている。
魔族だった頃とは異なる肉体構造。
前世の格闘術もどこまで通用するか未知数だ。
「ナツメ」
「なぁに、ユクてゃ?」
「ユクリャだ」
復讐するには、準備が足りない。
だが、ひと泡吹かせるための道具は手中にある。
明日から甲斐甲斐しく世話させて、本来の俺が復活したことを示すか。
この生意気な女が従順にかしずく姿を見れば、やつらも驚愕するに違いない。
ふっ——余興だ。
まずは肩でも揉ませてやろう。
「おまえに、さっそく命令しよう。俺に尽くせ。満足させろ」
ナツメは目を丸くする。
半開きの口が、ぱくぱくとおぼつかなく動いた。
「尽くせって……あ、あたしの身体で?」
「当然だ。おまえはもう頭のてっぺんからつま先まで、俺のものだろう」
「きゅんっ……あ、でもダメだよぉ……」
「ダメ、とは」
この後に及んで口答え。いちいち反応が冴えない。
まさか『
あるいは人間に転生した弊害。効果が弱まっている可能性も。
見透かすように、ナツメが上目で見つめる。
「まだ、足りないものがあるよね……?」
「足りないものだと?」
そんなもの——すべてだ。
果ての見えない領地も、絢爛な城も、指先のように動く配下も。
かつての強大なチカラもな。
「何が不足しているか、答えてみろ」
「……ことば、かな」
言葉。
欲しければ、こぶしでも平手でもくれてやる。
だが、ここ日本——現代において、女に手を上げる行為は外道。
犯罪かつ、白い目で見られる。
あちらの世界では、人間ですら奴隷をこしらえ、厳しい折檻をしていたのだが——。
平和な世の中に感謝しろ、女。
「ふん、どんな言葉だ」
「……わかってるくせにぃ」
つまらん駆け引きをするな。
ふたたび『
根底にある弱点を透視する、看破の眼。
先ほどは理解不能な文言が視えたが——今度こそ。
『ジェラって出てくる独占欲ありまくりの言葉』
チィッ、意味がわからん。
ええい、まどろっこしい。
「何度も言わせるな。ナツメは俺の女、所有物だ。誰にも触れさせない。指の一本たりとも」
「はうっ。それってカノ——」
「くちばしを挟むな。本来ならば、俺以外との会話すら許すつもりはない。だがおまえにも日常がある。そのくらいは譲歩してやる」
「うぐっ。つまり——」
「うるさい」
呆然と見る女の後頭部をつかみ、真紅の唇を力ずくで奪う。
「んちゅっ」
そのまま舌を絡める。
歯茎をなぞり、人間の歯を一本一本数えるように触れる。
「んあ……っ」
ナツメは大きく目を見開く——が、徐々にとろんと下がり、しまいには瞑った。両手を背中に回し、強く握りしめてくる。鼻息荒く、何度も吐息をこぼした。
この女、たかが接吻で発情しているのか。
隷属を刻む、ただの通過儀礼だというのに。
「ペッ……甘ったるい味だ」
「はぁ……はぁ……っ」
ナツメは息も絶え絶えに肩を上下させる。
崩れそうな膝を、脇から抱えて支えてやった。
魔族の唾液は催淫効果を持つが、田中優介のものも同様とはな。
「急に、なにしてっ……ファーストキスだったのに……」
「俺もだ。田中優介が初めて唇を合わせた相手は、ナツメ。おまえだ」
「えっ」
「案外、悪くなかった。甘美な馳走をつまんだ気分だ」
「あうぅ……」
「だが、その安っぽい砂糖菓子みたいなリップは捨てろ。ケバい化粧も似合わない。素顔のほうが億倍マシだ。俺に見合う格好に変われ」
「ユクてゃ……しゅき……っ♡」
腕の中で、ナツメは恍惚とした目を向けてくる。
ふん、チョロい女だ。
しかし、人間の感覚は興味深い。魔族ともまた、違う。
田中優介の記憶で、人間の交尾映像を観た覚えがある。
接吻は単なる慣習のつもりだったが、この先を体感しておくのも悪くないだろう。
「つづきはおまえの家だ」
「ふえっ!? それって……でも、うちはダメだよ……っ」
「断ると言うのか」
「だって、親がいるし……」
人間の持つ恥じらいか。
だが、その観念は理解できる。
同じぬるま湯に十六年も浸っていたのだからな。
「では、俺の家だな」
「ユクてゃのおうち!?」
「どのみち拒否権はない。だが準備に少々、時間がかかる。おまえも支度しておけ」
「支度って?」
「毎日カラダを清めろ。あとは、せいぜい覚悟を決めておくんだな」
「強引……でもそこが……いいかも」
次の算段が決まった。
ナツメとはここで別れるとしよう。こいつを役立てるのは明日以降だ。
もう用はない。と、思ったのだが。
「じゃあ連絡先、交換しよ?」
「……通信機器は所持していない」
「え、ユクてゃ、スマホもないって……普段どーやって連絡してるの?」
「不要だ。『
「脳波って……意外とロマンティックなんだね」
俺のようなリアリストに向かって何を馬鹿な。
試しに『交信』を発動する。
『この声が届いたら、服従のポーズをしろ』
「でもぉ、会えないあいだ、連絡とれないの寂しいし……」
『きこえますか……いま、あなたの頭に直接呼びかけています……右手を挙げて』
「夜にもおしゃべりとか、したいっていうかぁ……」
なっ——。
これも届かないのか。
異能の弱化は大きな懸念だ。田中優介の脆弱性が原因ならば、いずれ血を吐くほど鍛えねばなるまい。
「チッ、わかった。スマホを準備しよう」
「やたっ! ユクてゃ、やさしい〜!」
この女、とことん勘違いしやがって。
念のため、最後に『
「『チャーム』。最後に繰り返せ。おまえはこの俺、ユクリャの女だ」
「ちゃ、チャーミング?」
「うるさい、さっさと繰り返せ」
「はいっ! わたしは、ユクてゃの……女……です♡」
ユクリャだ。相変わらず発音がひどいな。
まあ、いい。
あちらとこちらでは、言語の発声法が異なる。
些事には目を瞑ってやろう。
ナツメを帰らせたところで、次の目的を思い返す。
意識が戻った瞬間から構想していたこと。
先送りにする理由もない。
次は——我が城を手に入れる。
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