余計な希望を与えることもできない

「……気になるなら食ってみるか? 無の味を知ることになるぞ」


「最初で最後の機会だろうし貰ってやろう。粉の味とどっちがマシだろうね?」


 気が緩むように、互いに背を向けるのをやめて好き勝手な姿勢を取った。


 脚を伸ばし、腰を捻り、ベキベキと緊張と筋肉ともろもろがほぐれる音が鳴っていく。


 それでも目が合うと、裸同然の無防備な状態も、お互い敵兵同士であることも、先ほどまで殺し合ったことも、……なにもかもが気まずくって互いに顔を逸らす。


 ……今更隙を見て捕虜にしようだとか、従えてやろうとかそんな思惑を抱く気力もなかった。


「ええい……意識されると恥ずかしいから自然でいろ」


「今のが自然なんだろ……」


 とやかく言いながらもシロロンは腕で最低限に胸を隠しながら乾パンに噛みついた。牙で強引に引き千切ると、一口サイズにして手渡してくれる。


「ほら、食ってみるといい。酷い味と硬さに苦しむことになるだろう」


「お前もだよお前も」


 互いに嫌なものを押し付け合い、口に放り込む。


 呑みこむのも難しくて長い沈黙が続いて、咀嚼し終えると同時に顔を歪めた。


「なんというかそちらのは……力が抜ける味だね。これで戦争に勝つ気でいるのが不思議で仕方ない」


「確かにやる気はお前らのがあるだろうな。ハッ、武器が壊れたら非常食で殴り殺したりとかするのか? それとも日頃から食べれる煉瓦で顎を鍛えてもしものときは喉首に噛みつくのか? 犬」


「ワタシはそこまでは言ってないだろう……!!」


 互いに貶して、シロロンだけが顔を赤くして険しく睨んだ。肩を掴んでぐわんぐわんとユミフネを揺らし訴えてくる。


「やめろ。こっちは骨折れてるんだよ。痛い」


「当然の報いだね」


 雨と泥に濡れた笑み。牙を見せて嘲りながらシロロンは一蹴した。少し乾いた尻尾がべしべしと体を叩いている。……そっちは痛くはなかった。


「……それでこのあとは君はどうするのかね?」


 焚き火と食事はほんの少しばかり気力を回復するには役立ったけど、いくら喧しくしようとも目の前に広がる鬱蒼とした絶望は消えない。


「…………わからないのか?」


「わかっているさ。ワタシは竜騎兵のなかでも成績は良くてね。非常時における行動優先順位は把握しているものさ。ただ君が見当違いの行動をとらないか心配してあげているのだよ」


 シロロンはしたり顔で平然と嘘とプライドを並び立てていく。……不安らしい。


「……寝る。雨が止むまでな。ああ、いや待て。その前に可能な範囲で雨水は溜めておこう」


 実のところユミフネもここから先どうするかなんてちっとも思いついてはいなかったが、その場の思い付きを並び立てた。


「あーー……それもそうだね。いや、ワタシも同じことを考えていたとも。どうやら貴様は最低限の知識と閃きはあるようだね。テストは合格さ」


「んで、てめえのテストに合格したらなんかあんのかよ……」


「何もないよ??」


 シロロンはきょとんとした様子で断言した。ユミフネをからかい楽しんで尻尾を揺らしていく。


「なに? 褒めて欲しかったかね? 敵兵に? ワタシの国ではとても屈辱的な行為に思えるが貴国では違うのかね?」


「…………俺にはそこまで愛国心はねえよ。褒めろって意味じゃないぞ? どうせバカにするだけだろうし」


「なんだか怠惰なやつだな。貴様のような奴に衝突したのはワタシの人生にとって一番の汚点だ」


「そうだな。泥まみれだぞ雌犬。お前も俺もこれから先は負け犬転落人生だくそったれ」


「オ・オ・カ・ミ!! だ!! ガルルルルル……!!」


 普段から犬だなんだと揶揄されているのかもしれない。


 念押しするように一文字ずつ大声をあげると、犬のように獰猛な唸り声を喉奥から響かせていく。


「そうやって無駄なエネルギーを消費して早死にしとけ。俺は寝る……」


 適当な葉っぱを泥の地面に敷いて体を横にした。


 ……いくら疲れていようが寝れるはずもない。落ち葉は雨に濡れて不快だし、枝が肌を擦り切るし、泥は結局滲んでいる。


 不安は消えず胸の中で渦巻いて、胃がキリキリと痛んだ。……地面は酷く冷たい。


 すぐ背後でガサゴソと音を立てながら、シロロンも横になって休み始めた。


「……寒い」


 一言だけぼやいてユミフネの脚を足置きにした。


「おい」


「ふん……知らんのか? 緊急時は互いの体温を失わないように体を密着させることもあるのだよ」


「随分博識じゃないか。人を足置きにするのは両親から学んだのか?」


「…………父と母は死んだ。ワタシが幼い頃にね」


 なんてことのないように淡々と語っていたが、明らかに触れるべきではないことを踏み抜いて、ユミフネは言葉を失った。


 足置きにされていることにこれ以上の文句も言えずに黙り込む。


「……余計な気遣いはやめろ。同情と哀れみを受けるほどワタシは弱くないのだよ?」


 足の指先で器用にぐりぐりと痛くもない攻撃を仕掛けてくる。


「はぁ……。じゃあ足退けるか、その知識通り体をもっと密着させてみたらどう――ぅ"!?」


 素肌のまま腰と腰が触れてユミフネは声を上げた。


 ――恥ずかしさではない。断じて。ただびしょ濡れの尻尾が背に触れる感覚で変な声が漏れ出ただけだ。


 そんな風に念じるように思いこんだ。


「……こんなことがなければ絶対にしてないからね? 勘違いしないように」


「勘違いするわけねえだろ…………。逆に聞くが平常時にこんな恥さらしなことをするやつがいると思ってんのか?」


「うるさい。黙り給え。寝るんじゃないのかね?」


 ――寝れるわけねえだろ。


 ぼやく気力もなく脱力した。


 下敷きにされた脚が痺れ始めても動かせない。


 柔らかに触れ合う肌だけは確かに生暖かくてむず痒い。


「…………」


「……帰れると思うかね? 生きて」


 沈黙したままただ時間が過ぎるのを眺めていると、雨音に掻き消えそうな声で尋ねられたのに、余計な希望を与えることもできずに、本当に寝てしまうまで寝たふりを貫いた。


 ――――意識が微睡んで途絶える。


 

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